第20話 チョコレートコスモス
紅蓮の騎士団。それはここドラコヴィア国に仕える騎士団のことで、深紅のタペストリーと太陽と薔薇の紋章を掲げている。その力は絶大で、入るには厳しい試験を突破しなければならず、精鋭が集まった集団だ。数々の恩賞のため騎士らに分け与えられた騎士領は広大で、国王といえどもその権力が及ぶことはなかった。
誇りと情熱を持ち、主を守るため剣を捧げて生きる。彼らは民から絶大な人気を誇っていた。
「止まれ」
荷馬車が止まり、二人いる門番たちが歩み寄ってくる。さて、どうするか。エリスはロイの顔を伺った。ここで事情を話して子供たちを騎士団に押し付けてもいいが、気がかりなのはサラだ。レゲがサラという少女について言及したからには、グレースにつながる手がかりがあるに違いない。ここでその鍵を手放していいものか。一人の門番が荷馬車を覗き込んで尋ねる。
「この子供達は? かなりの数だな」
「ああ、そこの沼地で保護したんだ」
ロイはなんでもないかのように続ける。
「魔物に襲われている荷馬車がいてね、助けてみれば奴隷商人たちだったと言うわけだ。ここの騎士団に父親を持つ子供がいるので、預けようかと」
子供達もうんうんと頷いている。門番たちは顔を見合わせた。
「そうだったのか。災難だったな。では通るといい、騎士団たちにも伝えておこう」
「どうも」
荷馬車はゆっくりと走り出して石造りの外壁を越えて街の中に入った。この国の南東に位置するルザの街だ。活発な雰囲気のある街で繁栄しているようだった。ちらほらと構える店の看板が下がり、道ゆく人々が生き生きと賑わっていた。そうしてエリスはあたりを見回しているうちにも、ガタゴトとひび割れたレンガの道を車輪が走る。流れていく景色の中でも一際大きな建物が見えた。美しい彫刻が施された白色の建物だ。太陽の紋章が刻まれて天に向かって塔が高々と伸びている。エリスは指差して尋ねた。
「あれはなんだ?」
「教会さ。……この大陸で一番力を持っている宗教でオリヘス教という。100年前の戦争では人間側として多くを支援したことで、今もなお強大な権力を持っているんだ。まあ、教義は想像の通りって感じだな。万人の上に神が立ち、万人はこの神の前に平等とされる。俺たちに不都合な教えがあるとしたら……魔法使いは善良な民を悪の道に誘う”悪魔”としているってことだ。あいつらからすれば俺たちは異教徒よりも先に排除すべき存在なのさ……何かいいたげだがどうした?」
「いや、神なんかに縋るやつの気がしれないなと思っただけだ。いつだって最後に頼れるのは自分だけだろ」
それを聞いたロイはフッと笑みを浮かべて言った。
「お前みたいな奴には分からないだろうが……心の拠り所ってやつは案外大事だ。そういう目に見えないものは、心が折れるギリギリでも踏ん張る力をくれる。自分が、たった一人で生きているなんてのは幻想にすぎないのさ」
エリスはそれを聞いて考え込み、沈黙が降りた。しばらくしてロイは背後の子供達に振り向きながら口を開いた。
「おいお前ら、よく聞け。俺はどうしても騎士団に見つかるわけにはいかない。このドラコヴィア国の、紅蓮の騎士団にはな。だから直接お前たちを騎士団には預けないぞ。騎士団の駐在所の近くで止めてやるから、自分たちでいくんだ」
その時、エリスは通った建物に壁にかかったタペストリーに描かれた紋章を目に入れた。その紋章には見覚えがあった。どこでだろう。エリスは眉に皺を寄せる。思い出せない。ロイは馬車を止めた。そして飛び降りる。
「さあ、行ってこい。……サラ、お前は俺たちが送ってやる。どこだ? 家は」
「はあ? どうしてよ」
サラは訝しげな声を出した。子供達はゾロゾロと降りてタペストリーがかかった建物に駆けていく。エリスも馬車を飛び降りると、ロイは髪を払ってレンガの道を歩き出した。サラは渋々声を張り上げた。
「ちょっと、私の家はこっちよ!」
ロイとエリスはサラが先導する道を歩き出した。小さな家々が続く道に入る。乾いた土の続く田舎道に入って、畑が見えた。
「俺たちはグレースという女に届けるものがある。この名に聞き覚えは?」
「なんでママの名前を……」
サラは訝しげに言いかけた。
「サラ!!」
その時だった。その声がしたのは。女が一人駆け寄ってきてサラを抱きしめる。
「ママ!!」
「どこに行ってたのよ! 心配したんだから!」
その女はサラの肩を掴んで顔を覗き込んだ。どこにも傷がないことを確認しているようだった。ロイは胸元から封筒を取り出した。咳払いをして、声をかける。
「グレースであっているな?」
「あなたは……?」
グレースは警戒したように眉をギュッと顰めて言った。ロイは落ち着き払って封筒を指に挟んで差し出した。
「レゲという男から預かっているものがある」
「レゲから?」
その名を聞いてグレースの顔がパッと綻ぶ。グレースは封筒を受け取って中身を開ける。開けると中身は手紙と、押し花が入っていた。暗く深い赤色の花を咲かせる、大人っぽい花だ。チョコレートのような、甘い独特な香りが鼻先に香った。グレースはその花を指に挟むと手紙を読み始めた。クスッと笑ったり、頬を緩めて微笑んだり、コロコロと表情が変わる。目をキラキラさせて少女のようだった。ロイが顎に手をやり興味深そうに言葉を紡ぐ。
「レゲの好みがこういう女だとはな」
「好み?」
「あの花はチョコレートコスモス。花言葉は『移り変わらぬ気持ち』『恋の思い出』『恋の終わり』だ。レゲには幼馴染の魔法使いではない女がいると聞いたことがあったが……長年の恋に終止符を打ちにきたのかもな」
「まだわからないぞ。『移り変わらぬ気持ち』という意味もあるんだろ?」
エリスは少しレゲを擁護する気持ちになって言った。ロイはエリスに視線をやるとニヤと笑って言った。
「ふ、お子様だなエリスは。恋が終わるってのはな、悪いことばかりでもないんだ。新しく前を向けるってことでもあるんだからな。子供ができても諦めきれてなかったんだ。レゲはこれまで長いこと、この恋に頭を悩まされ続けたんだろ。いい意味でも悪い意味でもな。それにしてもあの堅物が……ふふ、笑えるいいネタだ」
「そういうところだぞ」
くすくす笑うロイにエリスは呆れた目を向けた。これだからレゲはロイを蛇蝎の如く嫌っていたんだろう。
「グレース!! 見つかったのか!!」
グレースの名を叫びながら鎧に身を包む男が駆け寄ってきた。サラと同じ茶髪を流していて、鎧の下には鮮やかな赤が使われた服を着ていた。背中に斧を差している。グレースはその声にパッと振り向いて頬を綻ばせた。
「パパ!」
「サラ!」
サラは父トーマスと固く抱き合った。
「どうしたんだ! 今までどこに!」
「この人たちが助けてくれたの! きっといい魔法使いよ!!」
ロイはその言葉を聞いてため息をついて手を顔に当てた。サラは口を滑らしてしまったことを今思い出したらしく、顔を青くしている。
「魔法使いだと……!?」
トーマスはその瞳に敵意を宿すと、間髪入れずに背中に差した斧を抜きロイに刃を向ける。
「動くな!! いいか、少しでも動いたらただじゃおかない。その女もだ!!」
ロイの頬に斧の刃が当たり、つーと血が垂れた。斧には何か石が嵌め込まれていた。どうする?、とエリスは伺うも、ロイはピクリとも表情を動かさずに腕を組んでいる。サラはトーマスのズボンを掴んで叫んだ。
「やめて! やめてよパパ!! 助けてくれたのよ!!」
「そうよ! その人たちは私の大事な人の友達なの!!」
「騙されているんだ!! お前たちは奴らの凶暴さを知らない!!」
グレースも必死に言うが、トーマスは意にも返さない。その様子を、ロイは冴え冴えとした眼光で眺めていた。凍りつくような温度の感じられない目だ。トーマスはロイを視界に入れたまま、じっとりと汗を滲ませながら呟く。
「思い出したぞ、その目。どれだけ姿形を変えてもその目だけは忘れない」
トーマスは国に仕える騎士だ。国のため戦争に向かったこともあった。当時新兵だったトーマスは、戦場で兵器として使われる魔法使いの姿を間近に見たことがあった。いつだって忘れることはない。目を閉じれば思い浮かぶ。
新鮮な血と汗の匂い。服に染みついた硝煙が鼻につく。次々と投下される刃がスローモーションのように男の喉を切り裂くのが見えていた。時に、その魔法の餌食になる相手は敵味方も関係なかった。剣を降らせ、凍り付かせては、火の海を作って焼き殺す。そいつは命乞いする敵も一人残らず殺した。その時はただ恐ろしかった。あまりの恐怖で目を塞ぐことすらできない。意図も容易く命を奪うその男。その男はトーマスにとって血塗られた悪夢そのものだった。
「アール・ヴィストリス。それがこの化け物の名前だ」
ロイは冷たい目で、黙ったままトーマスを見ていた。エリスは思い出した、あのタペストリーに描かれた紋章。ロイの背中の焼きごてと同じ紋様だ。ロイを奴隷として戦争に向かわせた国。それがここドラコヴィア国なのだ。
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