第19話 サラという少女

 大きな湖のそばの湿地帯に入り、二つの道が見えた。右はこのまま沼地に入る、ロイとエリスが進む予定だった道だ。霧の立ち込める沼が視界の先に見える。泥の深い湿地に足を取られるので馬車などは行けない道だろう。徒歩のエリスたちには関係ないが。左は林が続いていてどうやら沼地を迂回する道らしい。荷馬車などは普通こちらの道を進む。

 エリスたちが右に進もうとした時だ、左の道から叫び声が聞こえてきたのは。エリスとロイは顔を見合わせた。こうしている間にも助けを求めている声がしている。ロイは額に手をやり、ため息を吐いて言う。


 「しょうがない。様子を見にいくぞ」


 林をいく広い道は湿っている。木が密生していて、どこからも日が差し込んでいなかった。早朝の涼しげな空気と共に白い霧が漂い、巨大な苔むした木々が鬱蒼と茂っている。濡れた地面をブーツで踏むとペチャと音がした。刀に手をかけて用心しながら道を歩いてゆくと、すぐに荷馬車が転倒しているのが見えた。馬がいななき、怯えている。……カエルの魔物だ。馬鹿でかい丸々太ったイボカエルが道を塞ぎ、荷馬車を飲み込もうとしている。その荷馬車には泣き叫ぶ子供がたくさん乗っていた。ギョロリと丸い瞳がエリスを視界に入れた。地面に尻餅をついた男が叫ぶ。


 「助けて、助けてくれ!!」


 瞬間エリスは地面を蹴った。距離を一気に詰めると、ぬめるカエルの腹を切り裂いた。ツーンと鼻にくる胃液と共に、ドシャドシャと今まで飲み込まれたものが出てくる。馬や馬車、中には人間と思わしき死体などもあった。随分前に被害に遭ってそのまま飲み込まれたのだろう。

 エリスは顔を顰めると刀を滑らし次の攻撃にうつろうとするが、その時カエルが目にも止まらぬ素早さで口から赤い舌を伸ばした。すんでのところで身をかわすがその間合いはぐんと伸びて、刀を握る腕に長い舌が巻き付く。エリスは目を見開いた。

 身動きを封じられた。エリスが舌打ちしてその舌を斬ろうとしたその時、カエルの皮膚の表面から、色鮮やかな紫の粘液がぷつぷつと現れる。掴まれた腕に激痛が走った。まずい。カエルの体を垂れるそれは悪臭とともに地面の土を溶かした。エリスは顔を引き攣らせる。

 その時だった。炎でできた龍が宙を泳ぎカエルを飲み込む。ロイの魔法だ。肌が焼け付くような熱風を放つ炎の中でジュウジュウと焼けながらカエルは悲鳴をあげた。

 皮膚を少し溶かし、傷を負った腕を抱えたエリスに、ロイは尋ねる。


 「大丈夫か?」

 「問題ない。少しヘマしただけだ」


 エリスは刀の血を払うと荷馬車に歩み寄った。そして目を見開く。


 「これは……」


 荷馬車に転がっている子供達は皆、手枷と足枷をつけられていた。誰もが怯えた顔でエリスを窺っている。言葉を失うエリスに、一人の少女がきっと睨んで叫んだ。


 「私たちに何する気!? 私に何かしたらパパがただじゃおかないんだから!!」

 「……何もしない。それを外すだけだ」

 

 エリスはしゃがむとその少女の瞳をじっと見つめた。若草色の瞳が戸惑うように揺れた。その小さな体は小刻みに震えている。

 

 「どうやらこいつらは子供を攫う奴隷商人たちだったようだな」

 

 振り向くと、ロイは喚く男を縛り上げるところだった。男は「離せ 」と叫んでいるがロイは少しも耳を傾けない。どうやら生き残ったのはこいつだけらしい。


 「その手錠は封石で作られたものじゃない。つまり魔法使いじゃないただの子供ってことだ。この荷馬車も国の紋章も何もない目立たないものだし、間違いなく違法なものだろう」


 エリスはそっと少女に近づくと枷を刀で叩き切った。一人が枷を外されると他の子供達もおずおずと腕を差し出す。エリスは次々と枷を破壊していった。全ての子供の枷を壊したエリスはロイの顔を見た。

 

 「どうする?」

 「……一番近い国の騎士団に任せよう。一人一人故郷に送り届けるなんて言うなよ。俺たちには手が余る」


 「それなら、ドラコヴィア国の騎士団がいいわ。パパがそこの騎士なの。ここから大して遠くないはずよ」


 若草色の瞳をしたそばかすのある少女が立ち上がって告げた。ふわふわとした茶髪が特徴的で、仕立てのいいワンピースを着ていて気が強そうに眉がきりりと吊り上がっている。それを聞いたロイは苦虫を噛み潰したような顔をした。


 「いや……それは」

 「何よ、送り届けられない理由でもあるの? 魔法使いさん?」


 ロイは口ごもる。エリスは目を丸くしてその様子を見ていた。エリスはロイが口で負けるところを初めてみた。


 「私はサラ。サラ・ルードヴィングよ」

 

 


 ◇




 「なんでこんなことに……」

 

 ロイは荷馬車の御者台に座り、手綱と鞭を持って馬を走らせていた。そうは言ってもサラが鍵なのは間違いないのだから、この選択に従うしかない。あの奴隷商人は縛ってあそこに置いてきた。魔物もいるし手をかけなくてもどのみち長くは持たないだろう。水溜りに車輪が突っ込み、泥水が跳ねていた。右手には湖がみえ水鳥が優雅に翼を広げている。

 背後の布地が張られた荷馬車の中では子供達がそれぞれ騒がしく喧騒を発していた。母を呼んで涙を見せる子供がいれば、逞しくもう笑顔を見せてやかましく笑い声を立てる。見ていて飽きない。エリスは膝を立てて座りこみその様子を見守っていた。その腕の傷は綺麗さっぱり消えていた。ロイが治したのだ。

 

 「ねえ」


 その時、サラが身を乗り出して御者台に座るロイに話しかける。


 「なんだ?」

 「あなたが魔法使いって本当なの?」


 ロイは馬の手綱を握りながらも鋭く視線をサラに流した。


 「だったらなんだ。お前の父親にでも言いつけるか?」


 サラはムッとした顔をした。


 「あら、だったらなんなの? 言っておくけど私は間違ってないわ。魔法使いは国の元で管理されなきゃいけないのよ。そう言うふうに世界で決まってるの。これは国だけじゃないこの世界の決まりよ」


 黙って視線を逸らしたロイは冷たく乾いた目をしていた。

 馬車を走らしてしばらくして、湿地帯を抜けたようだ。ガタガタと小石を巻き込んで馬車が跳ねる。土から天に向けてまっすぐ伸びる木々が生い茂り、日差しで乾き切った土が続く。たまに木々の間で狐か兎と思わしき小動物の影を見た。見上げれば、猛禽類のような鳥が上空を飛んでいる。

 そして何時間かたっただろうか。魔物に遭遇してはエリスが叩っ切るのを続けていたある時。遥か彼方に外壁が見えてきた。大きな門の前に槍を構えて待ち構えるのはドラコヴィア国の門番だ。子供達は歓声をあげる。

 馬車が門に向かう最中、ロイは口元を手で覆って言った。


「ハア……ここはマズイ。変装しなくては。……俺は二度とここにくるつもりじゃなかったのに。レゲのやつこれを知ってたな」


 喋る間にもゆっくりと目の色、髪の色が変わっていく。青紫の瞳は、明るい暖かさを含んだ茶色の虹彩に。髪色は毛先からみるみるうちに色が入っていく。白髪から艶のあるチョコレート色に。仕上げに眉を親指でなぞると、眉も茶色になった。ロイはふうっと息を吐いた。手鏡を胸元から取り出し、覗き込む。


 「おお! この俺もなかなかイケてるな」

 「すごい! 本当に魔法使いなんだ!」

 「髪と目が変わってる!」


 子供達がロイの顔を覗き込んで口々に言う。ロイは胸を逸らして言い放った。


 「そりゃな、この俺にかかればこれくらいどうってことない……あ、おいお前ら。間違っても俺が魔法使いだとこの街で言いふらすんじゃないぞ」

 「うん、わかった」


 子供達は頷く。ロイは笑った。


 「ならよし」

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