第18話 旅の目的

 「アイツ言い逃げしやがったな。これは面倒ごとの匂いがするぞ……ハア、まあいい」

 

 諦めたようにため息を吐くとロイは受け取った手紙をしまった。そして指を振ると床が綺麗になる。


 「俺の旅の目的を話そう。俺には趣味がある。魔法に関係する気に入った品を収集する趣味だ」


 エリスは雑然とした様々な品々が存在するロイのあの部屋を思い出していた。


 「この俺に似合うような洗練された美しい最上級の品のために、遺跡や迷宮に潜るんだ」

 「冒険者じゃないか」

 「失礼な。あんな野蛮な奴らと一緒にするんじゃない」


 そしてロイは胸元から折り畳まれた紙を取り出した。ところどころボロボロになった羊皮紙だ。ロイは床に座り込んでそれを丁寧に広げる。エリスは息を呑んだ。床に広げられたそれは地図だった。それもただの地図ではない、貴重な世界地図だ。

 精密な世界地図は庶民には出回らず、どこも政府によって秘蔵され厳重に管理されている。侵略意図をもった外国にとって相手の精密地図は極めて有益な情報源となるためだ。なぜか当然の如くロイは持っていたのだが。エリスたちが今いるのはナヴィア大陸だ。

 危険な魔物や厳しい自然が行く手を阻むため、この広大な世界は行き来がかなり難しい。旅をすると言うのは命懸けだ。そして大陸を越えたという話はあまり聞いたことのない話だった。

 エリスはしゃがんで地図を覗き込んだ。その地図には至る所に印が付いていた。


 「今いるのがここだ」


 エレクティオン王国の東にある隣国、アイルメド国をロイは指輪のはまった指で差した。


 「次は俺の作った街に向かうぞ。そろそろ戻っておきたいし、お前に渡すものがある」

2”

 ロイはアイルメド国から指をずっとずっと北西に滑らしてギリギリ地図の端で止めた。印が付いているそこは”最果ての地”と呼ばれる北の大陸の端の島々の一つだった。そのすぐそばにある白で塗られた大陸。エリスはその地に聞き覚えがあった。永久凍土に覆われ氷で閉ざされた大地はどこの国にも所属していない。罪人が送られる最後の流刑地。罪人が次々送られても溢れることのないのは、送られた罪人が過酷な環境にすぐに死んでいくため。そこは全ての生き物が息たえる極寒の地だ。エリスは訝しげな声を出した。


 「こんなところに街が?」

 「こんなところだからこそさ。並の騎士団には絶対に見つからない場所だ」


 ロイは自慢げに言った。


 「俺の街に行くことはレゲにも話していた。おそらくそのサラという少女にはこの道中に出会うことになるんだろう」

 「何でわかるんだ?」


 エリスは尋ねた。


 「レゲは未来予知に長けた魔法使いだ」


 ロイは落ち着き払って答える。


 「俺の知る限りあいつが予言を外したことは一度もない。あいつがいうからには俺たちは嫌がろうにも必ずそいつと出会うんだろうさ」

 

 エリスはふと疑問に思った。


 「なあ、あの扉は?」


 この世で一番安全な部屋につながり、やろうと思えばロイの望む場所に扉を繋げることができる。あの便利な扉。あれがあればひとっ飛びじゃないか。


 「夜の扉マギアテュラーは一回、四十キロメートルまでしか行けない。そして初めて行く場所には飛べない制約がある。だから自分の足で直接行ってポイントを作らなくてはいけないんだ。この印が付いているところがポイントがある場所だ。この旅は新しくいくつかポイントを作りながら、転移できる範囲に入ったら四十キロメートルずつ飛んでいく旅になるだろうな」

 「……そうなのか」

 「今、魔法使いなのに色々と縛りが多いと思っただろう。そうだ、魔法使いってのもなかなか便利なことばかりじゃないのさ。ただちょっと使える能力が多いだけの人間だ」

 

 ロイは口端を上げると皮肉げに笑った。


 夜の扉マギアテュラーを使ってその街に行くには、少なくともポイントの四十キロメートル以内に到達しなければならない。そしてロイが言うには、ここからナヴィア大陸の北西の端ギリギリで、やっと街があるそのマール島に飛べるらしい。ロイが記したその道筋は、まっすぐここから北西に進む道だった。広大な自然が広がる古代樹の森や山々をこえなくてはならない。危険な旅になるだろう。

 何よりその道筋には大陸北部にあるロアの街もあった。それをみたエリスは顔を歪めた。

 

 




  

 そよ風が気持ちいい。草原一面の濃い緑が一陣の風に凪いていく。その景色にエリスは口角を上げ、その数歩後を歩くロイは髪を耳にかけて靡く髪を抑えた。海のような広大な平野に、風が限りもなく駆け抜ける。ロイとエリスはアイルメド国を出るとまっすぐ北西に進んでシノネア草原に入った。この草原を抜ければ、湿地帯に入る。エリスはゆっくりと息を吸い込んだ。新鮮な空気が肺に入っていく。さわさわと揺れる葉の向こうから野鳥の声が聞こえてくる。


 「楽しそうだな、エリス。まだ旅を始めたばかりだって言うのに」

 

 エリスが振り返ると、ポケットに手を突っ込んだロイは口の片端をあげてそういった。ロイの長い髪がサラサラと風に靡く。エリスは気恥ずかしそうに頬をかいた。


 「実のところ、この旅を楽しんでるのは言い訳できない。今まで呪いを解くためだけに生きてきた。でも本当はこんな旅がしたかったんだ。宝物を巡って遺跡や迷宮に潜ったりして、新しい地を旅する。昔、思い描いてはワクワクしていた冒険譚を思い出したよ」

 

 それを聞いたロイは吐息を吐くように笑う。何を言うでもなく二人はまた歩き出した。そうしてかろうじて残っている小道を歩いていたその時、ロイとエリスは同時に顔を上げた。


 「来たぞ、魔物だ」


 空を円を描いて飛んでいたそれがまっすぐ奇声をあげて突っ込んでくる。手はなく、代わりに羽根で覆われた赤い翼で空を飛んでいる。顔と胴体は人間のハルピュイアだ。灰色の髪を振り乱し、その顔にはゾッとする気迫があった。その瞳はギラギラと真っ赤に輝いている。獲物を見る目だ。突っ込んでくる勢いのまま鋭い鉤爪を持った鳥の足で、こちらを掴もうとしてくる。

 エリスは目前に迫った鉤爪を刀で押し返す。突きを放つと、ハルピュイアは羽ばたいて距離を取った。

 どうやら簡単に殺せる獲物ではないと察したらしい。次の攻撃のタイミングを見計らいながら上空を旋回する。血走った瞳は注意深くこちらを見ていた。滴り落ちる涎を真っ赤な舌が舐めた。

 エリスは冷静に様子を見守る。ハルピュイアが急降下して鉤爪を振り下ろしてきた、今。

 エリスは地面を力強く蹴ると走り出した。心得たようにロイが後ろから手を伸ばし、岩を作って足場を作る。エリスはロイのことを信じて一切スピードを緩めることなく走った。地面からニョキニョキと生成される岩を次々に飛び移る、と言うより駆けるエリスの足元に次々と岩ができると言った方が正しい。あっという間に刃が届く範囲に距離を詰めると跳躍し、逃げ遅れたハルピュイアに切り掛かった。

 刃が一閃する。その刀は分厚い羽根を切りながら肉へと達し急所を躊躇いもなく切り裂いた。確かに感じた手応えとともにエリスが地面に着地すると、血飛沫が雨のように降り、どさりと叩き斬られたハルピュイアが落ちた音がした。

 ロイは何らかの魔法で跳ね返し当然のように血を浴びずに立っていた。エリスがムッとした顔をすると、ロイはしょうがないなとでも言いたげに指を鳴らしてエリスにかかった血を浄化し消し去った。


 「沼地に入る前に今日はここら辺で暖を取ろう。そろそろ夕暮れ時だ」

 

 ロイが指を振ると、先ほど生成された岩に青い扉ができた。歩み寄ったロイが真鍮のドアノブを握ると扉は開く。エリスはロイの後に続いて扉を潜った。


 火が灯った蝋燭が立てられたテーブルにエリスとロイは向かい合っていた。暖かく燃える暖炉の火がその部屋を照らしている。キラキラと天井で星が瞬く夜の扉マギアテュラーの中。ロイが合図すると空間が歪むように変形してテーブルと、調理場が現れた。夜の扉マギアテュラーは貴重な品々が安置されるこの部屋と、紺の扉のロイの私室、そしてエリスに与えられた薄青色のシンプルな扉の部屋、風呂場とトイレがある。エリスは彫刻の施された椅子に腰掛け夢中でガツガツとステーキを頬張っていた。上等な肉だ。こんな肉、庶民はなかなかお目にかかれない。目の前でサラッと調理してみせたロイは、どうやら美食家らしい。肉は舌の上でジューシーな脂と共にとろけるし、パンは赤子の頬のように柔く、もちもちだ。その食事のあまりの美味しさにエリスは我を忘れた。目を輝かせ頬を緩め、側から見ても幸せそうだ。その様子を見ながらワインが入ったグラスを傾けるロイは、呆れたように言った。


 「おいおい、この調子だと貯蔵がすぐになくなるぞ。食い尽くす気か」

 「ロイ、美味しすぎるぞこれ。こんなのを毎日食ってるのか」

 

 エリスは口の端にソースをつけて目を輝かせてロイを見る。


 「これくらいいつでも作ってやるよ」


 ロイは頬杖をついて笑った。

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