第17話 解呪
エリスはロクシアスに手を振って別れると、美しく色が散りばめられた石畳を歩き始めた。ひらりひらりとワンピースが風になびき、足にまとわりつく。
迷宮から出た後、ロイとエリスは隣国にやってきていた。エレクティオン王国の隣国、アイルメド国のペミー通り。路地の壁の下から九段目、左から三番目のレンガに触れることがキーの隠された街、それがこのグレースの街だ。
グレースの街は可愛らしい街だった。見たことのない色とりどりの花たちが彩る花壇。絵が変わる店の看板。踏むと色を変えるタイルの歩道などがあり、ロイの隣でキョロキョロと見回すエリスはワクワクと顔を綻ばせた。
そうして入った小さなある家。この街で、ある男にその場所を借りたロイは、床に容赦なくチョークで魔法陣を書いていた。呪いを解く準備らしい。それを物珍しい目でまじまじと眺めていたエリスは、ロイに「邪魔だから出てけ」と言われて追い出されてきたのだ。
幸いエリスにとって、この街は見たことのないものばかりで面白かった。刀を下げてないことで、男に絡まれるという貴重な体験をしたし、ソラにも会えた。エリスはふと薔薇に視線を落とすと微笑んだ。
エリスは花々が咲き誇る花壇の道を歩き、その家の扉を開けた。そこには床に座り込み、腕で汗を拭うロイがいた。その地面には複雑な魔法陣が描かれ、不思議な光り輝く石や植物が置かれている。エリスに気づいたロイはこちらに視線を向けて笑った。
「帰ってきたか、準備は終わったぞ……ん? どうしたんだそれ、ご丁寧に防腐魔法までかかってるな」
ロイは立ち上がり、歩み寄ってくるとまじまじとエリスが持つ純白の薔薇を眺めた。
「もらった」
「……お前が?」
「うん」
エリスが嬉しそうに笑うとロイは眉をくいと上げた。腕を組んでエリスをジロジロと眺める。
「フーン……まあいい、そんな花のことは。お前、その魔法陣の中心に立て」
エリスは花を窓際に置くとおずおずと魔法陣の上を歩いて真ん中に立った。振り返って聞く。
「こうか?」
「違うもっと右。いや行き過ぎだ、そうそこだ」
「それにしても、この呪い。どこかで見覚えがある魔力だな」
「まさか、知り合いか?」
「いや…魔法使いは数が少ない。魔法学校に通ってた頃の誰かかもな。これだけ魔力を練るのが上手いんだ、ありうる」
ロイは魔法陣に手をつくと、何やら呪文を唱え始めた。魔法陣がだんだんと光を放ってゆく。石が青の光を放つ。ジリジリと置かれた草木は端から焼けていく。強い風が、円を描いて吹く。風がロイの額にいくつも汗が浮かんだ。
「本当にすごい呪いだ。芸術的ですらある。こんなに手こずった呪いは久しぶりだ」
やがてエリスの呪印が焼けるような熱さと共に、光を放つ。バタバタと風に激しく靡く白いワンピースの胸元に光を放つ呪印が浮かび上がる。あまりの熱さに痛みを感じるほどだ。エリスは歯を食いしばると呪印を押さえて膝をついた。たまらず叫ぶ。
「まだなのか!!」
「まだだ! 呪印が消えるまでだ!」
ロイは脂汗を流しながら呪文を唱える。エリスが呪印を押さえていた手を外してみると、端から塵になるようにサラサラと消えていくのが見えた。そしてその呪印は完全に消えた。
光を失った陣の上で、エリスとロイははあはあと息を荒げながらその場に座り込んでいた。エリスは汗ばんだ顔をあげてロイを見る。
「終わったのか」
「呪印は?」
胸元のワンピースの布を引っ張り、覗き込むように確認すると、呪印があった部分は象牙色の肌が続くばかりで綺麗さっぱり何もなくなっていた。エリスは満面に喜色を浮かべると、ロイを見た。あまりの興奮に頬が上気している。ロイはこんなに嬉しそうなエリスを見たことがなかった。何よりもエリスの目が輝き、生き生きとしているのがわかる。ロイは疲れを滲ませながらも、自慢げに口端を釣り上げて微笑んだ。
「言ったろ? 俺の腕は確かだって」
エリスはロイに飛びついた。エリスを腕の中に抱え込んで床に倒れたロイは目を丸くする。が、すぐに口角を上げた。
「これは対等な取引だ。それに、……相棒を助けるぐらいなんてことはないさ」
「うん!」
◇
アイルメド国から南西に位置するデルポイ山脈にて。
人を軽々丸呑みにできそうなほどの大蛇が牙を剥いて、毒液を垂らす。その体格は家の周りをまるまるとぐろを巻けるほどの長さだ。敵意の込められたその大蛇の視線の先にはロクシアスがいた。いつもの黒衣に身を包み、岩場に立つロクシアスは落ち着き払って手を振る。すると空中に金の弓矢が現れた。ロクシアスがそれをとり、腰の矢筒から一本の光り輝く矢を引き抜くと、一気に引き絞って矢を放つ。特別な術を施した矢だ。刺された場所からあっという間に病魔が体を焼き尽くす。放たれた矢は空中を曲がるように追尾して身を低くした蛇の目に突き刺さった。数えきれないほど放たれる矢の嵐に大蛇は悲鳴を上げた。ロクシアスは焦ることなく淡々と矢を番え、射る。確実に大蛇の急所を貫いていく。
「ふう、そろそろいいか」
ロクシアスは弓矢を下ろした。その視線の先では大蛇が息絶えていた。しかし大変なのはこれからだ、これを持って帰らなければならないのだから。まあ……ただの人間ならまだしもロクシアスは魔法使いだ。方法はいくらでもある。
────その時だった、ロクシアスが崩れ落ちたのは。彼は心臓のあたりを掴み、大量に脂汗を流しながら膝をつく。突然の激しい痛みに混乱しながらも、ロクシアスの頭は答えを叩き出していた。
「これは……ッ呪い返し」
手を見れば黒い文字の形をした呪詛がみるみるうちに体を這って覆っていく。返ってきた呪いが体を回っているのだ。浅く息をしながら忌々しそうに視線を上げて、言葉を絞り出した。
「ハハッハハハハ、この俺に屈辱を舐めさせるなんて、久しぶりだよ……どこの誰だか知らねえがこの借りは絶対に返させてもらうからな」
不気味な笑い声がその山脈に響いていた。
◇
「おい、フォーサイス。終わったのか?」
床に倒れていた二人はハッと顔を上げる。そこにはフードを被った男が不機嫌そうに指で腕をトントンと叩いていた。
「全く不愉快なんだが? せっかく場所を貸したっていうのにチョークで魔法陣を書くなんて、こんな使い方するとは聞いてないんですがね」
「悪かったって、レゲ。魔法で綺麗にすればいいだろ? もちろんお前の頼みもかなえるからさ」
ロイは立ち上がった。かなり馴れ馴れしくレゲの肩に手を置くと、レゲは不潔なものを見る目でその手を叩き落とした。
「それは当たり前だ。これは魔法使いの取引なんだ。契約不履行は許されない。大体この人間の女が街に入るのを見逃してやったっていうのに、恩を仇で返しやがって」
レゲは冷たい目でエリスを見た。ロイは頬を描いて言葉を紡ぐ。
「それは感謝してるよ。この街の創設者直々に許可をしてくれたおかげで、エリスはこの街に何のリスクもなく滞在できた」
それを聞いたレゲはバカにしたようにふん、と鼻を鳴らした。思わずエリスは尋ねる。
「創設者? この街の?」
「ハッそんなことも知らないのか」
レゲはフードを下ろした。そこにいたのは橙の髪を乱雑に撫で付けた目つきの悪い男だった。銀の虹彩を持っている。レゲは腕を組むと言い放つ。
「こういう隠された街を作れるのは大魔法使いと呼ばれる選ばれた魔法使いだけだ。街を丸々作るなんて並の凡夫にはできないことだ」
「まあそうだな。というか大魔法使いになるための試験で、こういう隠された魔法使いのための街を作らなくちゃいけないんだ。俺が作った街もあるぞ」
「そうなのか!」
エリスは唖然としてロイの顔を見た。自分で散々天才だとか何だとか言っていて信用してなかったが、本当に才のあるやつなんだなとエリスは思った。その様子を見て、レゲは鼻で笑って言った。
「フン。本当にこいつが私と同じ大魔法使いじゃなきゃ、こんないい加減なやつとつるんでない。責任感のかけらもない、”ちゃらんぽらん”なんかとはな」
「相変わらずお堅いな。……お前の頼みは確か、手紙だったよな。この街と同じ名前のグレースっていう女に手紙を渡すっていう」
「本当はお前がグレースの名を発するのも許し難いが、話が進まないし仕方がないから許してやろう」
「なんで俺に対してそんな当たりきついんだ? なんかしたっけ?」
レゲは言いにくそうに言葉を詰まらせると、胸元から封筒を出した。繊細な花模様が描かれた封筒だ。
「グレースに、彼女に手紙を届けて欲しいんだ」
「まあいいが……そもそもどこにその女はいるんだよ」
「それは……サラという少女に会えばわかる」
「はあ? ちょっと待てお前ッ」
レゲはそれだけ言い捨てると紫の煙になって目の前で消えてしまった。
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