第二章

第16話 稲妻のような恋

 光り輝く宝石がいくつも嵌められたシャンデリア。その下には数々の呪いに塗れた品が並ぶ。一見見る限り美しい品々の数々だが、それらは持ち主と同じように安易に触れれば危険なものばかりだ。白い枠木が美しい出窓のそばにはクッションが置かれ、天井からはいくつも宝石が吊られている。ツヤのある木目調の螺旋階段が存在感を放っていた。その部屋で話すのは輝かんばかりの美貌を放つ二人の男女。


 「今回の依頼は当たりね」

 

 光沢のある絹のような銀髪を下ろした女は片方の口端をあげて言った。引き込まれそうな銀の瞳。ハッと息を呑むような気の強そうな迫力のある美人だった。名をディアナ・ヴェール。髪を払うと、上機嫌に鼻歌を歌いながら空色の色をした爪の手で鍋をかき混ぜる。その鍋の中身はぐつぐつと煮えて異臭を放っていた。それを覗き込み、匂いを至近距離で嗅いだ男は鼻に皺を寄せると告げる。


 「何でもいいけどさ、もう呪いの調合は飽きたぜ。部屋にこもってると肩がこる。あ、魔力は言われた通り貸したんだから割分はくれよな、姉さん」


 顔を傾けてニヤリと笑うその男は金髪の巻毛。彫刻のように見事な鼻筋を持ち、まつ毛はふさふさと空色の瞳を縁取っていた。簡素な黒衣を身に纏っていたが、それでも筋肉質な身体は隠せない。彼の名はロクシアス・ヴェール。この二人には自然と視線を惹きつけられる、カリスマ性というべきか……圧倒的な箔があった。特に同業者が見れば、只者ではないと一瞬でわかる箔が。

 

 「わかってるわよ。ていうか依頼に興味ぐらい持ちなさいよね、全く」

 「じゃ、俺ちょっと遊んでくる」


 手を振って扉に向かうロクシアスをディアナは呆れたように見る。ロクシアスは無類の女好きであった。魔法使いらしく、傲慢にも魔法が使えない人間を見下しているくせに、容姿が整っていれば遊ぶ女など魔法使いでなくともかまわないというスタンスをとるほどだ。魔法使いでないものは全て等しく軽蔑しているディアナにとっては理解できないことだった。


 「魔法使いでない女なんか引っ掛けて何が楽しいのよ、穢らわしい。……まあいいわ。じゃ、デルポイ山脈で大蛇をとってきてくれる? 次の呪いに必要なの」


 ロクシアスはそれに応えるように背後に手を振った。またディアナは鍋をかき混ぜ始める。そしてある時、何気なく呟いた。

 

 「……そういえば昔依頼を受けて呪ったターゲット。そろそろ死んでもいい頃なのにしぶといわね」



 「確か……エリス・ローレンスだったかしら」




 ◇

 


 魔法使いの街。それは”魔法使い最後の楽園”と呼ばれ、魔法が使える者しか入ることは許されない街。入るには条件があり、魔力を持ちなおかつ入るための仕組みを知っていなければならない。その街の情報を人間に語ることは魔法による契約によって固く禁じられている。まあ、抜け道や例外などはあるのだが。

 その魔法使いたちが賑わう、グレースと呼ばれる街を、ロクシアスは歩いていた。女の子に人気の可愛らしい街でナンパには最適だ。箒に乗った女の子が通り過ぎる。ふわりと短いスカートがはためきロクシアスは口笛を吹いた。道ゆく女の子の尻を眺めながらも機嫌よく歩いていたロクシアスはそれを視界に入れてふと足を止める。

 様々な魔法使いのための店が並ぶ大通りの端だった。箒の店、その隣は魔法薬の店。看板がいくつも下がっていて、道端にはゴミが落ちている。横にそれたその道は路地に続いているようだった。路地では黒髪の若い女が男たちに絡まれている。ローブを着た四人ほどの男たちだ。後ろ姿しか見えない女は白いワンピースを着ていて、困惑しているようだった。一瞬、ロクシアスはふむと考えたあと、その女に駆け寄った。

 まあ、今は機嫌もいいし助けてやってもいいかと思ったのだ。もしかしたら、相当美人かもしれないし。


 「悪い、またせたなディアナ」


 肩に手を乗せてニヤと笑い、女の顔を覗き込んだロクシアスは固まった。その脳裏に走った衝撃をなんと言い表そうか。

 女の黒髪は肩ほどの長さ。意志の強そうな顔をした女だった。輝かんばかりの黄金の瞳がどんな宝石よりも美しかった。女が怪訝そうにこちらを見て、やがてロクシアスの機転に気がついたのかハッとした顔をして頷く。しかしロクシアスはそれどころではなく、口をはくはくと動かしていた。

 胸がドキンと痛み、一遍に頭がのぼせる。視界が揺れて呼吸が浅くなり、ロクシアスは額に手をやった。鼓動が激しくビートを刻む。この音がこの女に届いているんじゃないかと心配になる激しさだ。春の雷に撃たれたように、背筋を走るこの感情は、なんだ。

 

 「君、名は?」


 ロクシアスは知り合いだったという設定も忘れて、ようやくそれを尋ねた。女は怪訝そうにロクシアスを見るが短く答えてくれた。

 

 「……エリス」

 「エリス! そうか、エリスっていうのか!」

 

 ゆっくりとまつ毛から黄金色の瞳が滲むのをロクシアスは息もできずに眺めていた。その彼女の何もかもが輝いて見えた。ただ素直に美しいと思えた。

 ロクシアスがディアナに後程語った話では、この世で一番可憐な花だとか、天から落ちてきた天使やら、きっと女神なんだとか、この世の褒め言葉をかき集めて褒めちぎったが、実のところエリスの美しさはとてもじゃないがこの兄弟に敵わない並程度の容姿だった。要するにロクシアスはこの時、今までの美の基準が狂い観察眼が曇るほどの初めての恋に落ちたのだった。ロクシアスという男は、恋の魔力には抗えなかったのだ。

 

 もうロクシアスには、周りは全く見えていなかった。エリスに絡んでいた男たちは怒り心頭だ。そして懐から杖を出す。


 「いきなり割り込んで無視しやがって舐めてんのか?」

 「にいちゃん痛い目みてえみたいだな、身の程を教えてやるよ」


 ロクシアスはふと視線をずらして、男たちをそこで初めて見た。路肩の小石でも見るような冷たい眼差しだった。視線を戻して手を振ると、男たちは次々と路地の壁に叩きつけられた。情けない悲鳴が上がるがそれにもう視線をよこすことはなく、ロクシアスは夏の太陽のような笑顔でエリスに告げた。

 

 「俺はソラだ。……そうだ。エリス、天使に出会えた奇跡を祝して、これを可憐な君に」


 ソラとは、ロクシアスが外で使う偽名だった。ロクシアスは優雅な手つきでお辞儀をすると、一輪の純白の薔薇がその手に現れる。エリスは目を丸くしていた。


 「でも私何もしてないけど。なんでよくしてくれるんだ?」

 「俺が勝手に君に出会えてたことに感謝したいんだ。受け取ってくれないか」

 「お前、変なやつだな」

 

 エリスは、フッと笑うとそれを受け取った。パッとロクシアスの顔が明るくなる。


 「エリスはどうしてこんなところに? こういう路地は少し治安が悪いんだ。もうここには近寄らない方がいい」

 「そうなのか。いや魔法使いの連れがいたんだが、邪魔だって追い出されてしまって。暇だから街を散策してたところだったんだ」

 「なんてひどいやつだ! か弱い君を追い出すなんて、そんなやつ魔法使いだとしても許せない! ……ん? 魔法使いの連れって……まるで君は魔法使いじゃないみたいだけど」

 「まあ、そうなるな」


 ロクシアスは息を呑んだ。口から咄嗟に出ようとした言葉を必死で飲み込む。ロクシアスの頭の中で、あらゆる言葉がぐるぐると巡っていた。それは罵倒だったり、動揺の言葉だったり、さまざまだった。そうしている間にエリスの瞳が怪訝そうに歪む。

 ロクシアスは最終的にグッと顔を寄せてこう囁いていた。


 「いいか。それは、人間が立ち入ることが禁じられている魔法使いの街で、簡単に……魔法使いには言っちゃダメだ。君の連れはそんなことも教えてくれなかったのか」

 「……わかった。もう言わない」


 エリスはきゅっと口を結び眉を顰めて言った。最初は魔法使いじゃないと聞いて、騙されたとさえ思った。これほど美しい人が魔法使いじゃないだなんて失望したし裏切りだと思った。次にハッとした。裏切り? 彼女が魔法使いじゃないことはしょうがないことではないか。彼女が選んだわけではない。彼女の責任ではないのだ。その責任があるとすればエリスを魔法が使えないただの人間にした神という存在だろう。

 むしろ彼女の価値は自分だけが知っているとさえ思えた。

 この世の人間たちをどんなに軽蔑しようともエリスだけは別だ。魔法が使えないから何なのだろう。それがエリスの価値を貶める理由にはならない。

 そしてそれどころか、それを簡単に自分に言ってしまったエリスに心配の気持ちが芽生えたのだ。ロクシアスは不思議な気持ちだった。自分には、こんなに穏やかに人を思う気持ちがあったのか、と。

 ロクシアスは「ああ、これが恋なのだな」と悟っていた。これまでなんだって手に入れてきた。でもエリスはこれまで手に入れてきたどんな財宝よりも価値があるのだと思う。

 

 「でも、ソラはいいやつだな。会ったばかりの私を心配してそれを教えてくれた」

 

 エリスは白いバラを持って笑う。ロクシアスはボウっとそれを眺めた。


 

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