第13話 呪いの発現
『────とはいえ、強さも必要だ』
『──強く、強くなれ』
エリスはその言葉をよく覚えていた。いつだって忘れることはなかった。
地面を蹴り、一瞬で距離を詰めるとアレスに向かって居合を放つ。しかし抜き身の刀でそれを受け止められた。咄嗟にエリスは蹴りを放つも、アレスはニヤりと笑い、足首を掴まれ投げられる。空中で体勢を整え軽やかに着地したエリスは、再び踏み込む。切先を逸らすもそれはフェイント。流石にこれには乗ってこないか。
『──そして何にも囚われるな』
驚愕すべきはアレスのその技の精度。今になってわかる。一挙一等が素早くしなやかで、重い。他とは比べ物にならない美しささえ感じるほどの技術。エリスは口角を上げる。いつしかエリスは闘いを楽しむ術を得ていた。
『──お前は何にも縛られず誰よりも自由であれ』
幾度めかの鍔迫り合い。素早く離脱しようと地面を蹴るが、アレスの方が速かった。目にも止まらぬ速さで腕が伸ばされ腹を掴まれる。力を込められ、痛みが走る。それに一瞬気を取られていたのがまずかった。
衝撃と共にエリスは視界が一瞬暗くなった。顎に重い一撃をもらったのだ。エリスの脳裏に星が瞬きよろめく。咄嗟に突きを放つもアレスはもうそこにはいなかった。背後から首先に刃を突きつけられる。
冷や汗を流し、視線を横に滑らしたエリスをよそに、アレスは頭を掻くと言った。
「まあ……合格でいいか」
「本当か!」
「ああ」
十六歳になったエリスは呪いを解くための旅に出ることにしたのだった。これはアレスに一人前と認められるための試験だった。アレスは口を開く。
「俺は強者として生きる術は教えた。弱者にはなるなよ」
「ああ」
エリスは刀を納めながら頷く。一人前として認められた嬉しさで頬が緩む。「それと、」とアレスは続けた。
「その力の使いどころを決めとけ」
それを聞いたエリスは顔を歪める。その力とはエリスの忌まわしく思う結界の力のことだろう。アレスは今までその力を使わせようとはしなかったが、なぜ今になってそれをいうのだろう。
「どれだけ憎んでもそれはお前の力だ。もし……これだと感じることがあったら使うことを躊躇うな」
「……分かった」
そして最後に、アレスはポケットに手を突っ込むとエリスに背を向けてボソリと告げた。
「……俺なりにその呪いについては調べておく」
「ありがとう……父さん」
その言葉を聞いたアレスは眉を動かす。そして振り向き、エリスに向かって言葉を放った。
「勘違いするなよ。お前が死ねばルディアが死んだ意味がなくなるからだ」
「それでも……感謝してる」
エリスにとって心からの言葉だった。
「……あっそ」
それからエリスは女用心棒として生計を立てながら、旅を続けた。呪印を頼りに、時には騎士団に追われながら。そうしている間にも呪いはどんどん身体を蝕んだ。何度もエリスは挫けそうになり、アレスの元へ戻ることも考えた。
そんな時だった、ロイと出会ったのは。
◇
「解けたぞ!」
壁から手を離したロイはそう言って無邪気に笑った。壁の溝を青い光が走っていき、溝が集まる巨大な扉が幾何学模様の形に光り輝く。そしてその扉はゆっくりと開いていった。
完全に扉が開くと、エリスは息を飲み、ロイは目を輝かせて中に入っていった。その光景、まさに圧巻だった。
壁一面、本棚一面に本、本、本だ。
遥か高くまであらゆる本が並んだ本棚が聳え立ち、天井には数え切れないほどの星々が無数に散りばめられている。美しい夜空だ。雲、そして黄金に輝く月が描かれていた。本棚には至る所に暖かい明かりが灯されたランプが吊るされている。迷路のように張り巡らされる本棚と本棚の間には空高くにアーチが作られ、そのまた上にも本棚が作られている。あそこに吊るされているのはハンモックだろうか。床には高級そうな絨毯が引かれ、机とランプが置かれた読書用のスペースさえある。
エリスは目を瞬かせ、全体を見回した。その視界でロイはキラキラと笑いながら本を抱えて走り回る。
「これはすごい!! こんな貴重な本があったなんて!! これなんて一体何百年前の本だ!? 面白い!! これは面白いぞ!!」
走り回るロイの背後に本が積み上がり、その本の山は自動的にロイについていく。ロイは今までエリスが出会った、誰とも違う人だった。魔法が本当に心の底から好きなのだろう。未知の世界への止めがたい歩みを続ける好奇心の塊のような男。走り回っていたかと思えば今度は地面に座り込み、一心に本のページを捲るロイにエリスは近づいた。
「魔法が好きなんだな」
「ああ。魔法には何かしら俺の心をそそるものがあるんだ」
ロイはこちらに視線を一切向けずに言った。そしてどれほど時間が経っただろう。エリスがロイのそばに座り込み、少しうとうととしていた時。エリスはロイの声で飛び起きた。
「これは面白い!! みろ、数百年前に書かれた”人間の文化と歴史について”だと。初代もなかなかセンスがいい」
頬を緩めてその古い本をめくるロイ。その本の周りには、魔法や呪いに関しての本だけではなく、人間についての本も沢山あった。エリスはいつしか疑問を投げかけていた。
「人間が憎くないのか?」
何せ嫌なことは絶対やりたくないロイを戦争に無理やり行かせたのは人間だ。その言葉に、ロイはふと手を止めて顔を上げる。「うーん」と声を出すと、カリカリと頭を掻いて言った。
「別に憎くはないな。人間だっていい奴もいれば悪い奴もいるだろ? 魔法使いと一緒だ」
エリスにはそれが本気で言っているのだと分かった。その瞳には憎しみや恨みといったじっとりとした感情は含まれず、どこまでもからりとした声だった。ニヤッと唇を吊り上げ笑うロイには前を向く強さがあった。
「それにな、これからは人間の時代だ。いつまでも恨みを引きずっていても仕方ないだろ。魔と神秘の時代は終わったんだ」
この弱肉強食の残酷な世界で強さはもちろん必要だとして、最後に生き残れるのは変化に対応出来る者だとエリスは思う。なかなかできることではない。エリスにだってこだわりや、思い入れが強いものがある。簡単に人は変わることはできない。
しかしきっとロイはそれに当てはまるのだろう。変化を恐れない者なのだ。
「よし、古い呪いについての本も手に入れたぞ」
ロイはジャケットの中に滑らすように本を入れた。ずっしりと重そうな本だ。そしてその手を止めずに、次々と本はジャケットの中へと消えていく。エリスは口を開けてそれを見ていた。そして何冊消えただろうか。
「じゃあ、帰るか──」
ロイがそう言いかけた時だった。背後の壁に一閃が走る。エリスは咄嗟にロイの襟首を引っ掴み、己の身で庇うように地面に倒した。刃のぎらつきとともに本棚が斜めにズレるのが、エリスの目には見えていた。壁が崩れる轟音、灰色の砂煙が濛々とあたりに立ち込める。
素早くロイの前で刀を構えたエリスは、目を見開いた。
瓦礫が散乱する砂煙の中、本棚を貫通した巨大な穴から出てきたのは冷静な面持ちで長剣を持ち、前髪を掻き上げる男。騎士団長、ルーク・K・ブラックバーンだった。
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