第12話 自由、そして追われる者へ


 「じゃあ……さよなら。リオ」


 エリスは背を向けると歩き出した。


 「おいエリス! 待てッ!」


 激昂したリオに腕を掴まれるが、その時。アレスが音もなく歩み寄り、リオの襟首を持って軽々持ち上げた。そしてつまんなさそうに息を吐くと、雑に放り投げる。リオは尻餅をついた。歩み出したアレスとエリスの背後から血を吐くような叫び声が聞こえてくる。


 「エリス!!! 俺は許さないぞ!! 誰が許そうとも俺は絶対に許さない!!」


 「いいか、お前のせいで人が死ぬようなことがあれば、必ず見つけ出す!! この手で報いを受けさしてやる!!」



 

 アレスの手伝いもあり、エリスはどうにかハロルドに跨った。

 

 「わぁお、熱烈ね」


 後ろに乗っているジェーンは他人事のように言葉を放つ。というかこの場にいる彼らは、誰もリオの言葉に動じていない。怨嗟の声など彼らにしてみれば聞き飽きたセリフなのだ。心が痛むような人間性を持った奴は、そもそもアレスと気が合うはずもない。やがてハロルドは走り出し、高く高く跳躍した。そして軽々外壁を飛び越える。

 必死にハロルドの毛を握りしめていたエリスは、それを目に入れて息を呑んだ。跳躍するハロルドの上から視界に入った景色。それはどこまでも澄み渡る青空、そして緑が遥か彼方まで続く山々の地平線。


 ────そうして、エリスは街の外に出た。



 ◇


 

 それから少しした肌寒い雪空のある時だった。体が熱くなり、何かの力が巡る感覚があった。

 

 「どうした。まだ食うきか」

 

 アレスに声をかけられ、何十個目かの硬いパンと格闘していたエリスはゆっくりと顔を上げた。そこは寂れた宿屋の食堂だった。

 なるべく人のいない夜遅い時間帯を選んだが、まだちらほらと人がいた。逃し屋の一味たちはいつも一緒にいるわけではない。連絡があるまで各自好き勝手に過ごすのがお決まりだった。エリスはアレスと共にいることが多かったが、エリスにとってそれは気まずい時間だった。

 しかしそんなことも忘れて、ブカブカのフードを被るエリスは青ざめた顔で囁く。


 「母さまが死んだ」

 

 アレスの顔色が変わる。それはいずれ必ずくることだと覚悟していたことだった。しかしエリスにとっても、アレスにとっても、胸が抉れるような事実だった。

 エリスはボウっと己の小さな手を見つめる。不思議とエリスは今得たこの力をどう使えばいいのか理解していた。ギュッと手を握る。

 先ほどまで腹ペコだったのに、突然胸が詰まったように食欲が出なかった。母が死ぬのはもっと先できっとまた助けにいけると、エリスは根拠もなく信じていた。アレスだってそうではないだろうか。しかし母はいずれ遠くないうちに己が死ぬことを分かっていたのだろう。

 

 ……そして、しばらくしてロアの街が壊滅したと噂で聞いた。ロアの街がある古代樹の森を抜けた北部の地域の魔物は強い。騎士を雇うのにも金がいる。あの小さな街にそんな金はないだろう。エリスが十歳の時のことだった。

 

 「見ろ」


 エリスはアレスの歩く速度に必死に追いつこうと足早で歩いていた。突然立ち止まったアレスに顔をぶつけたエリスは、鼻を摩りながらアレスが指さす先を見た。それは壁に貼られた手配書だった。目を凝らしたエリスはやがて息をのんだ。それはエリスの似顔絵だった。下に書かれている文字は『街を滅ぼした少女 生け捕りで捕まえたら賞金五千万レン』。

 アレスは黙ってエリスのフードを深く被らせると、音もなく手配書の側に歩み寄り一枚破り取った。

 ────場所が変わり、一味のアジトにて。

 

 「これでエリスも俺たちと同じ賞金首だな。いやぁめでたい」


 ギルが穴だらけのソファに腰掛けると酒をジョッキに注ぎ、笑う。テーブルの上にはアレスが破り取っていたエリスの手配書があった。エリスは肩を縮ませてジョッキに注がれたジュースを飲む。ところどころ欠けて剥がれた煉瓦の壁に寄りかかるジェーンは眉を顰めて言った。

 

 「笑い事じゃないわよ。……それにしたって、なんでエリスがロアを壊滅させた犯人として指名手配されているのかしら。確か本当は魔物被害だって聞いたけど」

 「簡単なことだ。その方が都合がいいのさ」


 アレスは黒張りのソファに背を預けると、葉巻を指に挟みゆっくりと煙を吐く。片眉を上げたハロルドが尋ねる。


 「都合? 誰にとってだ」

 「国にとって」


 葉巻を咥えたアレスは簡潔に述べた。


 「エリスの力は使えるからな。聖女の力はこれまであの街が代々管理していたが、国としてはどこも喉から手が出るほど欲しい力だろう。街が滅んだ罪をなすりつけて、指名手配者にした方がテオナ国や他の国々からすれば得なんだよ」

 「……腐ってるわね」


 ジェーンが眉を顰めて腕を組む。エリスは呆然とそれを聞いていた。それでは街を出た意味がないじゃないか。やっと自由になったと思ったのに。エリスが一心に追い続けていた自由。それは指の隙間からこぼれ落ちていく。しかしアレスは想定内だったかのようにエリスに視線を投げて告げた。


 「エリス、お前を鍛える。文句は言わせねえ。拒否権もない」

 

 それからはエリスにとって地獄の始まりだった。

 

 「──あああッ!!」


 エリスは木刀を構えてアレスに飛びかかるが軽くかわされる。しかしエリスもまさか一発でこの化け物を仕留められると分かったわけではない。すぐさまに二撃、三撃と木刀を振るう。アレスは木でできた短剣で虚空にいなす。その際、使っているのは片手のみだ。もう片方の手はポケットに手を突っ込み、時折あくびをこぼしている。エリスは米神をひくつかせた。

 地面を蹴り力強く踏み込む。しかし必殺の意気込みで放たれた木刀が軽く流されて虚空に散る。そしてついに手首を掴まれ、投げられてエリスは転がった。地面に叩きつけられた痛さにエリスは悶絶する。最近のエリスは身体中にアザができては、消えて、またできてを繰り返していた。


 「弱えな」


 アレスは呆れたようにため息をつく。エリスはボソッと呟く。


 「あんたが化け物なだけだろ」

 「なんか言ったか?」

 「全く」


 そうして毎日アレスに稽古をつけられながらも日々が過ぎ、エリスが十四歳になった時のことだった。胸元に禍々しい呪印が浮かび上がったのは。

 それは強烈な痛みとともに身体を蝕んだ。太陽が描かれた蛇と月が描かれた蛇が複雑に絡み合っている呪印。それはきっと命を縮める呪いだ。痛みの発作が起こる時間は、緩やかにしかし確かに狭まってきていた。アレスたちはそのあらゆる伝手を持ってして調べてくれたが、分かったのはこれが希少な魔法使いによる呪いだということだけ。

 

 「お前の目的はなんだ」


 稽古の中、アレスに突然問いかけられた言葉にエリスは眉を顰める。

 

 「強くなること……?」


 この世は弱肉強食。強い者が勝ち、弱い者が死ぬ。そして自由は、強者だけの特権だ。

 だからエリスは強くなりたかった。

 しかしアレスは淡々と告げる。

 

 「違うな。強いから勝つんじゃない。勝った方が強いんだ。いいか、どんな手でも躊躇わず使え。逃げることも視野に入れろ」


 思いがけない言葉にエリスは目を見開いた。アレスは真剣に目を細め、エリスの目をみた。

 

 「お前は生きたいんだろ」


 

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