第11話 ルディアの決意

 「発信機だと……」


 アレスは声を震わせ囁くように言った。


 「正確にはそういう魔法がかけられた石だけれど。聖女になる日、国の管轄下におかれた魔法使いに埋め込まれるの。居場所がどこでもわかるようにね。その魔法は死ぬまで解けることはないわ」


 ルディアはそう言って鼻を啜る。アレスは険しい顔で言葉を放つ。


 「方法を探す。何かあるはずだろ。ルディア、この世界は広い、絶対に方法があるはずだ」

 「いいえ、無理よ。足手纏いを連れた上、いつでもどこでも居場所が把握され続けるのに、逃げるなんて。世界中逃げ回るつもり?」

 「ああ。お前となら、それだって」


  アレスは手を伸ばし、ゆっくりルディアの頬をなぞる。ルディアは微笑んだ。


 「いいのよ。私はね、十分幸せなの。貴方と出会えて、エリスと出会えて。エリスはね、私の希望なのよ。最後の光。ね、分かるでしょう? エリスをお願い」


 アレスはルディアをきつく抱きしめた。アレスの大きな手がルディアの背中をグッと抑える。ルディアは目を閉じて心から幸せそうに笑みを浮かべる。そっとアレスの肩をなぞると、告げた。


 「さあ、行って。私が追っ手を食い止めるわ」


 アレスは歯を食いしばると、背を向けてエリスを乱暴に抱える。俵担ぎにされたエリスは手を伸ばし、思わず叫んでいた。


 「母さま!! 嫌だ、嫌だよ!! 母さまああッ!!」


 滲む視界には涙流しながら微笑むルディアの姿があった。手を伸ばすもどんどん小さくなっていく。飛び降りてルディアの方へ行こうと暴れるが、アレスはびくともせずにエリスを抑える。やがて諦めたエリスは嗚咽を漏らしながら涙の染みをアレスの肩に作った。遠くから様子を見守っていたギルは駆け寄り、アレスの横を並走しながら言った。


 「まずいぞ、ジェーンの能力が切れかけている。もうそろそろ時間切れだ」

 「……ああ、分かってる」


 ジェーンは催眠の能力をもった人間だった。近い血筋に魔法使いがいるため、強力な能力を持っていた。そうして神殿内を走っていると、向かいから剣を持った男たちが現れる。


 「いたぞ!!」


 ギルは「あちゃー」とどこか人ごとに呟く。アレスは舌打ちするとダンッと地面を蹴った。蹴った地面にクレーターのようなヒビができるのを肩から身をのり出したエリスは呆然と眺めていた。アレスはあっという間に距離をつめると、ありえない速度で回し蹴りを放つ。筋肉が隆起しているのが服の上からでも分かる。吹っ飛んでいった男には目もくれず、振りかぶられた長剣を歯で受け止めると、刃を噛み砕いてしまった。そして破片をぷっと吐き出す。唾液に塗れた破片が音を立てて地面に転がった。砕けた長剣を見た男は冷や汗を流しながら言葉を漏らす。


 「ば、化け物」


 そしてアレスは鼻でせせら笑い、吐き捨てる。


 「田舎くせえボンクラが、邪魔してんじゃねえよ」

 「あらら。いや悪いね、今アレスは虫のいどころが悪いんだ」


 ギルが気の毒そうに倒れた彼らに手をあわせる。エリスは目を丸くして眺めていた。アレスはエリスを抱えているというのに、警備たちは全くアレスの速さに対応できていない。アレスは長剣を奪い取るとあっという間に襲いかかってきた男を袈裟斬りにした。血に濡れた長剣を持ったまま、血溜まりに伏した男たちには目もくれず、出口めがけて駆ける。


 「アレス!!」

 

 そうしてどうにか神殿から脱出したアレスたちは、警備に扮したジェーンとハロルドと合流した。街の南西部に向かって走りながらハロルドが話す。


 「まずいぞ、騒ぎが大きくなってきた。追っ手もこのまま増え続けるだろうな」

 「……追っ手なら、心配いらねえよ」


 アレスは目を伏せて言葉を溢した。


 「? どういうことだ」


 ハロルドが言葉をこぼした時、怒声が聞こえてきた。視線を向けると十字路の道から街の人々が、鬼の形相でそれぞれ武器を持って駆けてくる。しかし、その時。左右の道の人々とアレスたちの間にみるみるうちに光り輝く黄金の結界ができた。街の人々がその結界に触れると、ジュウと肉の焼ける音が響き渡った。


 「痛い!! 触れると火傷するぞ!!」

 「どういうことだ!!」

 「なんで街を守っているはずの結界がここに張られているんだ!?」

 「結界に触れると焼かれるのは魔物じゃないのか?!」

 「ああ!! 聖女様、お許しください!!」

 

 人々は阿鼻叫喚だ。無理もない、ずっと信仰していた聖女に裏切られたのだから。結界はアレスたちが進む道を守るように囲って張られている。逃げ道に残りあぶれた人々はジェーン、ハロルドやギルが捌く。アレスは走る足を止めることなく、結界に視線をやると少し笑って呟く。


 「ルディアは、聖女としてこれ以上ないくらい優秀だった。最初から俺が守るまでもない女なんだよな。守らしても救わしても、くれなかった」

 

 どこか懐かしそうな目だった。重い沈黙が流れる中、ギルがアレスの背中を思いっきり叩く。顔をあげたアレスに、ジェーンとハロルドもアレスの背中を叩いた。

 

 「俺たちの仕事はまだ終わってないだろ、リーダー。エリスが今度はお前の希望だ」

 「……ああ」

 


 しばらくすると、街の外壁が見えてきた。しかし抜けられそうな出口はない。とてもじゃないが簡単には越えられそうにないほど高い外壁が聳えていた。しかし少しも焦らずにアレスは短く告げる。


 「頼む、ハロルド」

 「了解」

 

 ハロルドが息を吸い込むとその姿形が変わっていく。ブルブルと身を震わすと耳が生え、大きな尻尾が生えた。艶やかだったグレイの髪は、明らかに人のものではない毛に。服から除く手足は獣のそれになった。体は膨れ上がったかと思うとブチブチという布地を裂く音と共に、みるみるうちにその影は大きくなっていく。

 エリスはポカンを口を開けて見ていた。エリスはロアの街の中では見たことも聞いたこともなかったが、それは巨大な狼だった。大木のような重量感を与える太い足。鎌のような爪。銀を帯びたグレーの長い見事な毛並みがふさふさと生えている。口から牙と赤い舌がのぞいた。口は人間を丸呑みにできるほど大きい。瞳は澄み切った青。

 ハロルドは狼化の能力をもった一族の末裔であった。

 

 唖然としているエリスをよそに、ジェーンとギルは長い毛を掴み、次々と背中によじ登り乗り込む。伸ばされた手を取って、エリスも乗り込もうとした時。


 「この野郎!! エリスをどこに連れていくつもりだ!!」


 リオの声だった。震える手でナイフを構えて駆けてきて、キッとアレスたちを睨みつける。アレスはめんどくさそうに首に手をやると、言った。


 「面倒だが、殺すか?」

 「ダメ!! 絶対ダメ!!」

 

 エリスは叫んだ。冗談ではない。そして息を吸い込むと告げる。

 

 「少しだけ、話をする時間が欲しい」


 アレスたちは冷静に顔を見合わせる。そしてギルが懐から出した懐中時計を見ながら言葉を放った。


 「三分ならいいぜ」


  

 アレスたちが見守る中、エリスはリオの側に歩いて行った。リオはエリスが近づいてくるのを見ると、パッと顔を綻ばせて言う。


 「エリス!! 心配したんだぜ。親父がエリスが攫われたって言うから」


 そして小さな手を出した。

 

 「さっさと逃げようぜ、行こう」


 エリスは唇を噛んでその手のひらを見つめる。傷ができ、タコができた戦う者の手だ。他でもないエリスのために、ついた傷。それを今からエリスは裏切り、踏み躙る。

 それでも見たい景色があるから。


 「ごめん。私もうリオとは一緒に居れない」

 「はあ?」


 エリスはリオの瞳をまっすぐ見つめた。瞳の中のエリスは決意を秘めた目をしていた。

 

 「さよならだよ、リオ」

 

 リオの顔が怪訝に歪む。


 「何言ってんだよ、エリスは聖女候補だろ。もしここから居なくなって、エリスが聖女になったら誰がこの街に結界を張るんだよ」

 「……ごめん」


 その言葉に、エリスが本気だと分かったリオは目を見開くと叫ぶ。

 

 「ばっかじゃないのか!! お前、人殺しになるってことだぞ。俺の親父も母さんも、ばあちゃんも、皆んな皆んな死ぬかもしれないんだぞ!! ネイナだって!!!」

 「……でも、」


 それまで唇を噛み締めて聞いていたエリスは本心を告げることにした。偽りのない本心を。


 「自由が欲しいんだ。私は外の世界を見てみたい」


 例え血に濡れたとしても。どんな業を抱こうとも。エリスには重い代償を払ったとしても見たい景色があった。

 ただ自由でありたかった。ここで何者にもなれず寿命をすり減らして生涯を終える人生は絶対に嫌だった。人の命は限りある。ならば、きっと自分の欲求に従っていきた方が後悔はないだろう。母が与えてくれたこの人生の使い道はまだ分からない。でも、これだけは分かる。エリスの行く道は、聖女としての人生では決してないことを。


 リオは言葉に詰まって、息を呑んだ。真っ直ぐリオを見つめる、エリスの黄金色の瞳はギラギラと燃え輝いていた。リオはそこで初めて、エリスの奥底にある狂気とも言える執着に気づいた。

 いつからだろうか。いつしかエリスの心には、決して消えることのない火がごうごうと燃え盛っていた。エリス自身にもどうすることもできない焔だ。エリスは自由に、誰よりも強く焦がれ、手を伸ばし続けている。きっとエリスはそれのためならなんだって犠牲にできるだろう。

 ただ、どうしても自由が欲しかった。エリスが生まれてから、当然のように目の前に横たわっている理不尽に耐えられなかった。

 自分が皆の犠牲になって大団円なんて許せなかった。己の行く道を立ち塞がるのなら、踏み潰してでもその先にあるものを見たかった。

 

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