第10話 逃し屋の一味たち
エリスを抱え込んだ男は素早く走り出した。あっという間に大通りの喧騒から離れていく。
「街中探し回る羽目になったぜ。その黒髪と、黄金の目を見てピンときたね」
咄嗟に叫ぼうとエリスが息を吸い込むと、慌てたように口を塞がれた。
「待て待て待て、俺はお前の父親の仲間だ。お前とお前の母さんを助けるためにわざわざ俺たちはここにきたんだよ」
「父親? わたしの?」
「まさか聞いていないのか」
耳元にじゃらじゃらと飾りをつけ、うっすらと無精髭を生やした男は手短に話し始めた。
ルディアにはもともと許嫁がいた。聖女候補であるからには大人たちが決めた許嫁と結婚するのは当たり前だ。エリスの許嫁はリオだ。……話を戻すが、しかし若き日のルディアはあろうことか外部の人間であるアレス・ブラットレイという男に惹かれたのだという。そしてアレスは流れ者の殺し屋だった。交際がバレると、アレスはルディアを外に連れて行こうとするが、ルディアは「聖女としての役目」を理由に断ったのだ。
”いつか必ずお前をここから連れ去ってやる”
数が多くなる追手に、無理やりルディアを連れていくことは無謀だと察したアレスは一度はそこを立ち去ることを選択した。
「自分に人を殺す力はあっても、人を救う力はないことにその時気づいたって言ってたぜ。もともとあいつは金で依頼を請け負う凄腕の殺し屋だったんだが、ルディアと出会い逃がし屋を始めたんだと」
「逃がし屋?」
「そうさ、どこからでも誰からでも依頼人を逃す凄腕集団。それが俺たちってわけ」
昔、エリスはルディアに己の父について聞いたことがあった。その時、ルディアは素早く周りを確認すると、頬を緩めながらエリスの耳元で言ったのだった。「エリス、あなたの父はね、とても強くて優しい人だったのよ」と。強くはまだ分かるとして……優しい? 殺し屋が?
「な、わかったか? 俺たちはお前の味方なんだよ」
男に抱えられたままのエリスは、しばらく考えて口を開く。
「助けるって……」
「そうだ。お前、この街の外に出たいだろ?」
そりゃ、出たい。出たいと思っていた。しかし、あまりに突然降って湧いた、街を出るきっかけにエリスは戸惑っていた。
「でもリオやネイナにお別れも言ってないのに」
「お別れなんて言えるはずないだろ。あのな、嬢ちゃん。こっちも命懸けな訳。俺も余裕なくなってきたし冗談はほどほどにしてくれや」
咄嗟に出たエリスの言葉を男はざっくばらんに切り捨てた。男は走りながら徐に懐から出した懐中時計を見て舌打ちする。
「まずいな、とっくにこの街を出てないといけない時間だ」
この男はエリスを脇に抱えたまま迷いのない足取りで走り続けている。エリスはハッとした。
男の向かっている先。この道は覚えがある、神殿だ。この街には一年に一回、神殿に篭り結界を張り直す儀式がある。
それが祭りの三日目である今日だ。
アレスたち逃がし屋の一味たちは祭りで街中が浮かれる中、警備が薄くなる儀式の際にルディアを攫う予定だった。その計画が狂ったのがエリスの存在だ。アレスはまさか、己が去った後に妊娠が発覚し子供が生まれていたなんて知りもしなかったのだ。
そうしている間に神殿が見えてきた。ロアの街の中心にある白く巨大な建物だ。巨大な柱が屋根を支えている。柱前には警備の者たちが立っていた。
ところがこの男は何を思ったのか、躊躇いもなく警備の者に近づいていく。そして顰めた声で話しかけた。
「よお、見つけてきたぜ。状況はどうだ」
声を掛けたのは入り口の前で槍を持ち、警備の服装に身を包んだ男と女。これだけ小さい街では警備の者とも顔見知りになることが多いが、二人は一度も見たことのない顔だ。赤茶の髪を刈り上げた長身の女がこちらに目を向けて口をひらく。
「ギル。アンタ遅すぎ……って言いたいところだけど。悪いニュースがあるわ」
「まさか。まだアレスは説得できてないのか」
「そのまさかよ。ルディアってこんなにも頑固だったのね。アレスの話ではいかに美しくて素晴らしい女性ってことしか聞いてなかったけど」
その女、ジェーンは呆れたようにぐるりと目を回してため息をつく。それを聞いてグレイの髪色を持った警備の男ハロルドはフッと笑った。そしてジェーンは手で払うような仕草をして短く告げた。
「行って。アレスはダメでもその子なら説得できるかもしれないでしょ」
「悪いな、助かった」
エリスは抱えられたまま、ギルと共に神殿の中に入って行った。ギルは足音を響かせて広い廊下を走る。不思議なことに廊下に配置された警備の者たちは、これだけ堂々と目の前で侵入するエリスたちに気づいてないようで、ボーッと虚空を見つめている。
そうこうしているうちに神殿の深くに進んできた。聞こえてきたのは話し声、いや……言い争いの声。
「ルディア。なあ、なんでだ。なんで拒む」
「何度言っても無駄よ。 私は貴方とは行けないわ!」
「このためだけに俺は、何年も仲間を集めて準備をしてきた。俺と生きて欲しいと思うことはそんなに、……そんなに悪いことか」
初めて聞いた低い声。震える声だった。そこでエリスは地面に下ろされ、自分の足でたった。ギルに背中をそっと押されたエリスは広間に出る。そこには白い衣装に身を包んだルディアと、見知らぬ大柄な男がいた。黒髪で、鋭い目つき。頬と目元に傷跡がある野生溢れる男だ。こちらを見たアレスはエリスを視界に入れる。
乾いた、酷く冷たい目だった。
エリスは悟った。この人の目的は母だけだったのだろう。この人の大事なものに、私は入っていない。エリスは心が寒くなる感覚に手のひらをギュッと握る。
アレスの視線の先を辿って、エリスを視界に入れたルディアの顔が歪む。そしてアレスを見て口を開いた。
「私は行けない。でも……代わりと言ってはなんだけどエリスを連れてって欲しいの」
エリスはまさかルディアが言うとは思っていなかった思いがけない言葉に驚いた。アレスは苛ついたように声を荒げる。
「ああ、エリスも連れてけばいいんだろ。もちろん、お前も────」
「無理なのよ!!! お願い分かって!!」
ルディアが叫ぶ。エリスはルディアが声を荒げるところを、それまで見たことがなかった。ルディアは涙を流しながら震える声で続ける。
「聖女として生まれたからには皆んなを守る義務があると思ってた。でも、」
エリスを振り返って、少し笑う。その瞳は涙を次々と溢しながら潤んでいる。
「エリスには、私の娘には……背負って欲しくないと思っている自分がいることに気づいたの。今まで数々の聖女がその身を犠牲にして多くの命を救ってきたというのに、自分の娘だけは生きていてほしいなんて、……身勝手な女でしょう」
エリスにはもう何もかもが分からなかった。今まで散々、聖女の責務について懇々と説いてきたルディア。エリスは今まで、ルディアはきっと自分の娘より、聖女の仕事や誇りの方が大事なのだと思っていた。そうだ、ルディアは誇りを持っていた。それで死んでも構わないと、みんなのためなら本望だと、清廉潔白な顔をして生きていたのだ。
それを……今更になって何を言い出すのだと、エリスはどこか沸々とした怒りが込み上げてきた。
今まで通り、エリスに正論で持って説き伏せようとしたのならば、エリスはルディアを切り捨てられただろう。己の自由な人生においていらない存在だと割り切れた。なぜ、なぜ今更になって!!!
そして、一番の疑問はなぜそこまでして逃げようとしないのか、だ。アレスはルディアを救い出すためだけにここに来た。聞きたいのはアレスだってそうだろう。しかしアレスはボリボリと頭を掻くと黙ってルディアの腕を掴んだ。その顔は冷たい。
「あー……めんどくせえな。いいぜ、分かった。無理にでも連れてく。最初からそうすればよかったな」
そのまま担ぎ上げようとするアレスに、ルディアは腕を掴まれたまま顔をこわばらせて言った。
「……私はね、心臓に発信機が付けられているの。もう取り外しは不可能よ」
アレスが息を呑んだ音が聞こえた。エリスはそれを聞いてぼんやりと立ち尽くしていた。
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