第7話 ロイの弱み
またエリスとロイは、迷宮の先へ歩き出した。コツコツと二人分の足音を立てて石積みの道をゆく。壁にかけられた松明が二人が行く道を照らしていた。エリスがむっつりと黙り込んでいることもあり、殺伐とした空気だ。ロイはなぜ怒らせたのか気づいていないようだった。しきりにエリスに視線をやっては首を傾げている。
騎士団たちの怒号まじりの喧騒が迷宮に響き、遠くから反響しているのがわかる。それどころか、足を進めるにつれてこちらに近づいているようだ。ロイは振り返り、呟く。
「あいつら、ちゃんと図書館の方へ向かっているな。どうやら道案内をしている魔法使いがいるらしい」
「魔法使い? 騎士団に味方していると言うことか?」
思わず溢したエリスの疑問に、ロイは冴え冴えとした目で吐き捨てた。
「奴隷さ。魔法使いたちはは百年前の戦争に負けてから、見つかれば強制的に収容され管理されるんだ。そしてその力を人間たちのために振るうよう強いられる。きっと俺を捕まえるために、国から借りてきたんだろう」
「……人はどこでも同じだな。力が足りなければ、搾取される。本当に……最悪だ」
エリスが吐き捨てるように言うと、振り向いたロイは呟いた。
「……そうだな」
そうして少しづつ、でも確かに着実に迷宮を進んでいると、また騎士団たちの声と足音が迫ってきていた。ロイとエリスは顔を見合わせる。
「来たな」
「ああ、走るぞ」
合図もなしに同時に地面を蹴って駆け出した二人は曲がり角を曲がり、狭い道を通り抜け、転ぶように階段を駆け下りる。それでも、騎士たちとエリスたちとの距離は縮まっていく。
「こっちだ」
ロイが手を引いて方向を変えてくれたその時だった。それを視界に入れたエリスとロイは立ち止まる。ちょうど曲がった道の先から、騎士団たちが現れた。
「いたぞ!!」
「さっきの女も一緒だ!」
見つかってしまった。
エリスは舌打ちし、すぐさま刀の鯉口を切る。走る勢いを止めぬまま、二人の間を鋭く一線引くと、こちらに切りかかろうとしていた一人が崩れ落ちた。
「よくもッ!!」
間髪入れずにもう一人の騎士が襲いかかってくる。エリスは地面を力強く踏み込み、斬りかかった。エリスは女だ。間合いの広さではどうしても体格のいい男の方が勝る。つまり一瞬で懐に飛び込んで仕留めることが勝機。
────目にも止まらぬ速さで横なぎに振るわれた斬撃。
鎧ごとすっぱりと切られた男は、血を流してゆっくり倒れた。その騎士には視線を戻さず、エリスはそのまま己の頭部に振るわれた剣を刀で受け止めた。次から次へとキリがない。エリスはフー、と息を吐いた。開かれたその瞳の瞳孔は丸く開いている。
騎士団の攻撃の隙間を縫うように、瞬きの間エリスの刀は振るわれる。まるで手元が伸びるように迫る一閃だった。素早く近くにいた騎士を下から上へ叩き斬ると、その細い脚からは想像できないほどの脚力で、エリスは地面を蹴りまた相手との距離を一瞬で詰める。そして、その居合は放たれる。
斬撃とともに飛んだ血が頬につくが、エリスは無表情で次の攻撃に視線を走らせた。
────その時、エリスの背中に寒気が走った。
のけぞるようにして避けたのは、ギラリと輝く長剣の、目にも止まらぬ突き。エリスは背中を反らしたその体勢のまま、地面に手をつくと相手の顎目掛けて思いっきり蹴り上げた。
「ッガ!! て、めえ」
男はよろめくも長剣をこちらに向ける。
「脳震盪狙ったんだがな」
エリスは唇を舐めた。そして口角を上げると、駆ける。
どれほど戦っただろうか。残りの騎士が三人、そして二人となった頃。ハッと背後を見るとロイに騎士が近づくのが見えた。駆け寄ろうとしたその時。長剣が高速で弧を描く。
「よそ見とは余裕だなッ!」
「ッ!!」
刃と刃がぶつかり、火花を散らす。エリスは歯を食いしばると相手の騎士を睨む。男は鍔迫り合いの中、ニヤリと笑った。襲いかかってくるこの男が邪魔でロイの側に行けない。
だが、エリスはそこまで焦っているわけではなかった。『大丈夫だろう』とエリスは思っていたのだ。あれだけの力を持っているのであれば、ロイはエリスなんかがいなくても騎士団を倒せるだろう、と。
エリスはチラリとロイの方を見た。ロイは襲いかかってくる男に向けて手を翳すが、────ロイの表情に躊躇いが浮かぶのが見えた。
ギラリと光る刃が迫る。
ロイはまだ動かない、────動かない!!
エリスは息を呑んで叫ぶ。
「何やってるッ!! 早く魔法を使え!!!」
血潮が飛ぶ。
ロイは上手く避けて致命傷は避けたらしいが、左腕を斬られて負傷した。ダラダラと血が流れる手を押さえて、ロイは背後に飛び退る。さらに騎士が長剣を振るおうと腕を上げた。
咄嗟にエリスは目の前にいる相手の刃を潜り抜け、蹴り上げた。狙うのはよろめいた男の首。確かに感じた手応えとともに、今度は地面をダンッと蹴るとエリスは駆け出し、ロイの方へ距離を一気に詰める。
────光が一瞬、真横に奔った。
ぐらりとよろめいて最後の一人の騎士が倒れ伏す。エリスは血に濡れた刀を振ると、鞘に戻した。そしてすぐにロイの方を振りむくと駆け寄った。
「大丈夫か!」
「俺を誰だと思ってる? これくらいなんともない」
ロイは冷静に言葉を紡ぐ。しかしその腕は袖口までびっしょりと血に濡れている。とても大したことない傷には見えなかった。エリスは唇を噛む。どう見てもこれは己のミスだ。エリスは今まで人を殺すための剣なら腐るほど振ってきたが、人を守る剣は初めてだった。いや言い訳はよそう、この契約を結ぶと決めた時点でそんなことは覚悟の上だったはずだ。エリスは、護衛としての仕事を全うできていない。
その時、騎士団たちの喧騒が遠くから聞こえた。
「場所を変えるぞ、ここにいてはまたあいつらに見つかる」
「……ああ」
足早に道を進んでいるとある時、薄暗い地下を続く石積みの道からパッと視界が開ける。
そこは鍾乳洞がいくつも垂れ下がる青い青い湖だった。水のさざめきが反射する洞窟の中、穴が空いた天井から自然の日光が降り注ぎ、水面がキラキラと輝く。その湖はため息が漏れそうなほど美しくこの世のものではないようだった。湖の色は、底まで透き通る淡い水色。静かな湖畔に生き物は存在していないらしい。
一面に広がるその絶景にエリスは息を呑む。木でできた古い桟橋がちょこんと、エリスの視界の左手にあり、小舟がロープでつながっていた。
「ここでしばらく休もう」
「ああ」
ロイは腕の止血に取り掛かった。ロイは腕をまくり、傷口を出すとポケットから出した包帯で左の二の腕をキツめに縛り、傷口を圧迫する。その澱みない動作を後ろから眺めながら。エリスは思わず尋ねていた。
「なんで攻撃しなかったんだ?」
「俺の仕事はなあ、野蛮で暴力的なものじゃないんだよ。洗練されたこの俺にふさわしいことしかしたくないし」
「でも死ぬところだったんだぞ」
ロイは包帯を巻いていた手を止めた。キッとこちらを睨み言い放つ。
「……俺は繊細なんだ!! 本当はやりたくないんだよ! 魔法で、人を、傷つけるなんてことは!!」
エリスは呆れて声も出せなかった。何を甘っちょろいことを言っているのか、この男は。この世は弱肉強食で、弱い者から淘汰される。抗わない弱者に与えられるのは死のみ。この世界に生きていたらバッタでも知っていることだ。……まあいい。甘いことを抜かす責任はいつかこの男が取ることだ。エリスには関係ない。エリスは血の滲むロイの腕を見て言った。
「……その傷、魔法で治せないのか?」
「治せない。騎士団で使われる剣は普通、封石で作られているからな」
ロイは今にも舌打ちしそうなほど、忌々しそうに言う。
「封石?」
「魔法を封じる効果を持つ鋼だ。魔法使いも、封石の前では無力さ。この迷宮は至る所に封石が使われている。だからあの扉も使えない」
なるほど、それで騎士団たちは魔法使いを捕まえられるという自信があるのか。そしてロイはあの扉を使えない。ロイは包帯を巻き終わった腕を見ながら言葉を続ける。
「しかしちょっとばかしまずいな。これじゃ満足に腕が振れない。まあ……なんとかなるか、俺天才だし」
「なあ、疑問なんだが魔法使いって普通杖を使うんじゃないのか?」
エリスの頭の中にあったのは、杖を持つ魔法使いのイメージだ。それに対してロイはバカにしたように鼻で笑った。
「ハッ。杖なんて使う魔法使いは三流もいいとこだ。そんなのと俺を一緒にしないでくれよ」
エリスは「そうなのか」とポカンとするばかりだ。エリスにもロイという人間について分かってきたことがある。ロイは魔法使いとして自分の実力には並々ならない自信と、誇りがあるのだということだ。
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