第5話 ロイという男
その時、どこからか遠くから「ギャー!!」と悲鳴が聞こえてきた。エリスは咄嗟に刀を構える。
「騎士団の連中、やっぱり俺を追ってきたな。どいつもこいつも執念深い奴らだ」
ロイは頭を掻くと呆れたように呟いた。どうやらこの街にある他の通路を使って追いかけてきているらしい。おそらく”罠”にかかったのだろう。そこまでして騎士団たちはこいつを捕まえたいのか。胡乱な目でロイを眺めてから、そこでエリスはふと思い浮かんだことを尋ねた。
「なあ、なんで夜の魔法使い専用の通路なのに罠があるんだ?」
罠っていうのは普通、部外者を追い出すため古代の遺跡などにあるシステムだ。この通路を使うのが”夜の魔法使い”だけなのなら、罠を設置する必要はないはずだ。エリスは刀を納めながら疑問をこぼした。それにロイは横目でエリスに視線を投げて、少し口端を上げた。
「いい質問だな。この迷宮を作った初代は実力主義だったんだ。そして魔法使いを深く愛していた。……ここはな、魔法使いが作った魔法使いのための迷宮図書館なんだ」
ロイは先に続く通路に視線を送りながら言葉を放つ。
「”夜の魔法使い”を名乗るのであれば、試練を乗り越えてこそ。……”夜の魔法使い”としてふさわしいようにあれというのが、初代ヴァレリー・ノクス・レメディオスの方針だった」
「じゃあ私が、代わりに試練を受けているのはズルじゃないのか」
「まあな、まあ初代様も許してくれるさ」
ロイは肩をすくめて言い放った。ケロリとした表情だった。
そして二人は長い通路を歩み始めた。カツカツと、二人分の足音が壁に反響して響く。石積みの通路は十字路に道が別れていたり、曲がりくねった道、突然広くなったり狭くなったりしたが、ロイは迷う素振りを全く見せることなく、着々と道を選んで進んでいった。先が見えない薄暗く狭い道だ。
無言の中、エリスは胸の中で膨らんでいた疑問を聞いてみることにした。気になって首の付け根がうずうずして仕方ないのだ。
「ずっと気になってたんだが……”夜の魔法使い”ってなんなんだ? 有名なのか?」
ロイは信じられないという顔をした。それに少しエリスはムッとする。しかしやっぱり気になったので黙って聞いた。
「子供だって知ってる話だぞ。……まあいいが、そうだな。誰でも知ってる昔話がある」
昔々、まだ、魔の者たちが世界を支配していた頃。あるところに勇敢な男の子がいました。勇敢な男の子はもっともっと強くなり、みんなを守りたいと思っていました。そこで、彼は仲間を集め、魔の者たちに立ち向かうため旅に出ることにしたのです。
まず最初に仲間にしたのは、弓使いの少女。彼女は正義感が強く、自ら「仲間にしてほしい」と言いました。
次に仲間にしたのは龍使いの少年。彼は小さな村を出て、男の子に着いていくことを選びました。
次に仲間にしたのは古代兵器をよく知る老人。代々受け継ぐその知識を惜しみなく使い、勇敢に戦いました。
最後に仲間にしたのは、結界を張ることのできる美しい女性。彼女は「人々を守ることができるのなら」と戦いに望みました。
邪悪で恐ろしい『夜の魔法使い』そして魔の者たちに、彼らは人類の勝利を賭けて、戦いを挑みます。
多くの犠牲と共に、彼らは勝利しました。男の子は国に戻るとたくさんの人々に歓迎され、褒美としてお姫さまをお嫁さんにもらいました。その後、人々は幸せに暮らしましたとさ。
エリスは子供のように目を輝かせてそれに耳を傾けた。これは寝物語に大陸の子供なら誰でも聞いたことのある話だったが、エリスは初めてだった。
「100年前の戦争は知ってるだろ。魔法使いと人間との戦争さ。勝利した人類側には五人の英雄がいたと、語られることが多い」
「ああ、結界の英雄の話なら知ってる」
「結界の英雄の話だけか? 珍しいな。まあともかく、」
ロイはすらすらと表情を変えずに語る。
「一方、魔法使い側として力を思う存分使い、人間たちを心の底から恐ろしがらせた男。それが初代夜の魔法使いヴァレリー・ノクス・レメディオスだ。今でも大人は『悪いことをすると”夜の魔法使い”が現れて連れ去ってしまうぞ』と、いうことを聞かない子供達に言い聞かせる」
「この迷宮が建てられたのは、戦前だった。しかしここが作られた目的は、人間たちの脅威に備えるためだ。……分かるか、ヴァレリーは凄まじいスピードで繁栄する人間たちの矛がいつこちらを向くかと恐れを抱いていたんだ。数がどんどん多くなり、技術が高くなる人間の脅威を、先の未来を見ていた。そして血統主義が主流だった中、”魔法使いたるもの力と誇りを持て”と実力主義を貫いた」
そうこう話しているうちに広い広い部屋に辿り着いた。
ロイとエリスは足を踏み入れる。石積みの壁には松明の炎が掲げられ、天井はドームのように高い部屋だ。
そして、そこにいたのは美しく、そして奇妙な生き物だった。まず目に入るのは真っ青な豹柄。大きな猫科の肉食獣で、サーベルタイガーのように長い牙を持っている。背中から緩やかな曲線を描く尻尾は長く、先には青い焔が宿っている。ゆったりとその尻尾を揺らし、地面に優雅に伏せているその生き物はゆっくりと口を開いた。
「ここは知力を試す試練の場。この先に進みたくば我の問いに答えよ」
その青い瞳は深い知性を宿していることに、エリスは気づいた。ロイはポケットに手を突っ込みながら、まじまじと眺める。
「ガラノスフィアだ。初代が作り出した魔法生物で、ここの番人をしているらしい。実は俺も見るのは初めてだ」
そんなロイに表情を変えることもなく、ガラノスフィアは淡々と言葉を放つ。
「第一問、魔法の基本原理として、魔法のエネルギーはどこから引き出されるか?」
「その個人が持つ”魔力”からだ。またの名を生命力とも言い換えられる。基本的に魔力は使っても、十分な休息を得れば回復する。魔力を効率的にエネルギーに変換できるものが素晴らしい魔法使いとされ、また効率的にエネルギーを変換できるように進化したのが魔法使いだ。こんなもんか? あくびが出るぞ」
ロイは腕を組んで不遜な態度で、迷うことなく言葉を放った。顎を突き出し自慢げにニヤリと笑う。ガラノスフィアは一度目を閉じると、また目を開けた。
「第二問、ウィンターグロウの薬の調合に必要な材料は何か。また、その効果は?」
「氷の精霊が宿るとされる花、フロストフラワーの花弁と、氷河の奥深くから採取される水、グレイシャルウォーター。そしてシルバームーンの粉末によって作られる。ウィンターグロウの薬は、飲むことで体温を下げ、心を落ち着かせる効果がある。特に高熱や興奮状態の治療に効果的だが、副作用として飲み過ぎると体温が極端に下がり、凍傷や深刻な冷え性を引き起こす可能性がある」
エリスが口を開けてそのやり取りを眺めている間、ロイは澱みなく全ての質問に答えていた。なるほど、この男は高いプライドに釣り合った魔法使いとしての深い知識を有しているらしい。エリスは興味深い気持ちで黙ってそれを聞いていた。
「第三問、魔物に襲われる村を守るためにどのような魔法を使うか。なお、夜の魔法に限定する」
「……」
そこで初めてロイは黙り込んだ。忌々しそうに眉に皺を寄せて、ガラノスフィアを睨みながら口を開く。
「月明かりの加護。俺が作ったこの魔法は満月の夜に月の光を利用して村を守るための巨大で防御的な結界を作り出すことができる。……しかしこの魔法は月の位相や天体の配置に依存するため、使用のタイミングが難しい。……どうしても攻撃魔法を使わねばならず、そして選択肢が限られるのなら……俺は
「素晴らしい」
ガラノスフィアは目をゆっくりと開けた。まつ毛の間に滲む青。エリスはため息が出るほど美しいと思った。そしてガラノスフィアは口を開く。
「では最後に、我らが同志たちへの忠誠を誓う者だけが先へ進むといい」
「やだね」
即答だった。そこで初めてガラノスフィアがぴくりと瞼を震わせる。エリスも思わず唖然として横に立つロイを見た。
「何?」
「嫌だと言ってるんだ。俺は絶対に誓わない。俺は、そういう無理やり何かに縛ってくるものが大嫌いなんだ」
ロイはいつも通り、腕を組み飄々とした態度で告げる。深い青紫の瞳に動揺の色はない。その言葉にガラノスフィアは激昂したようだった。みるみるうちに毛が逆立ち、尻尾の焔がメラメラと燃え上がる。立ち上がり、ロイの目の前に歩み寄ると、鼻先で吠えた。
「今代の夜の魔法使いはなんていい加減な奴だ! 強者としての責任を果たそうと思わないのか!!」
「全然、これっぽっちも思わないね」
「ッ一体お前は先代から何を学んだ!!」
至近距離で怒鳴られても意にも返さず、ポケットに手を突っ込み大きく足を開いたその背中は実に堂々としていた。一言、はいと言って適当に頷いて先に進めばいいはずなのに、それができない。いや、したくないのだろう。エリスは呆れながらも感心していた。
ロイはおそらく誰よりも自由な男だ。少なくとも、自由であろうとしている。できるだけ身軽でいたいのだ。その背には何も背負わずに。
”やりたくないことは、絶対にやらない”
それがこの男のポリシーであるようだった。
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