第4話 魔法使いとの契約

 天井にはキラキラと星たちが瞬き、青のステンドグラスからは神秘的に光が降り注ぐ。雑然とものが並ぶその部屋には不思議と埃一つない。エリスは目を大きくして周りを見渡し、思った。帰ってきたのだ、この部屋に。


 「呪印を見せてみろ」


 男はこの、物で溢れた不思議な部屋に戻って開口一番に言った。エリスは言われるがままに、服を引っ張り胸元を開けてみせる。しげしげと目を細めて視線を送る男に、居心地の悪さを感じながら、エリスは口を開く。


 「メルクという魔法使いを知っているか? その男は蛇をよく使うと聞いた」


 もしかしたら呪った相手のこともわかるかもしれない。この呪印も蛇が描かれている。しかし男はエリスの顔を一瞥すると、言い放った。


 「いや……どこでその名を知ったか知らないが、メルクならもっと上手くやる」


 冷たい声だった。男は続けて話す。


 「おそらく術者は二人だ。二人分の異なる魔力が混ざり合っている。これほどの呪いだ、呪いに慣れた本職の仕事だろうな」

 「本職?」

 「ああ。呪い屋、殺し屋。呼び名はなんでもいい。とにかく人に金を積まれて殺しをする仕事だ。……お前、一体どんな恨みを買った? 一流の魔法使いに命を狙われることなんてそうそうないぞ」

 「……なんでもいいだろ」

 「まあいいが……言い忘れてたな。俺の名はロイ・ノクス・フォーサイス。夜の魔法使い三代目だ」

 

 ロイは髪を手で払って、ニヤッと笑った。ため息の出そうなほどの輝く美貌ながら、悪戯っぽく笑うその仕草は子供っぽく、しかしそれもまた彼の魅力になっていた。


 「お前の呪いを解いてやると言ったな。これは取引だ。エリス、お前にはこれから俺とこの街の地下に隠され罠の張り巡らされた迷宮に潜ってもらう。俺の護衛だ。諸事情で俺は攻撃魔法が使えないと思ってくれ」

 「つまり迷宮を出るまでの契約か。……なんで私を?」

 「もちろんその強さを見込んでもあるが……エリス、お前は面白そうだからな。ちなみに俺は退屈が大嫌いなんだ、覚えといてくれよ」

 「……」

 「どうだ? 魔法使いと契約する覚悟はあるか」

 

 ロイは手を差し出した。長い指だがよく見ればふしくれだち、男のものだと分かる。心臓が早鐘を打ち、エリスは唇を舐めた。この男を信用していいものかとエリスは迷った。エリスは己が搾取されるのが一番嫌いだった。古臭い慣習も。この男の思惑がわからない以上信用できるか分からない。

 しかし結局、エリスはその手を取った。

 どんなに怪しくともこの振って湧いたチャンスを逃せないと思ったのだ。それにこの男に興味もあった。魔法使いという生まれてこの方見たこともない謎のヴェールに包まれた未知の者。こいつはどんな男なのだろう。それを考えるとエリスは胸の奥からワクワクするのを感じるのだ。


 「契約成立だな」


 握っている二人の手の甲に突然光輝く魔法陣が浮かび上がり、そしてヴヴンと音を立てて消えた。エリスは手をしげしげと眺めたが、どこにも目に見えた異変はなかった。ロイは飄々と言い放つ。


 「それじゃまず、そこの扉の向こうにある部屋でこれに着替えてきてくれ」

 「はあ?」


 ロイが指を鳴らすと、エリスの頭上に清潔でいい匂いのする服が現れ、腕の中に落ちてくる。確かにロイが指した向こうには薄青色のシンプルな扉があった。

 

 「お前、これから”この俺”の隣を歩くんだぞ。こんな小汚い格好で過ごすなんて許せるか」

 「……分かったよ」

 




 


 誰もが寝静まる深夜の地下墓地に、エリスとロイはいた。髑髏が壁にびっしりと並んでいるのは不気味を通り越して圧巻の一言だ。松明でかろうじて照らされるのは足元ぐらいで、奥に行けば行くほど闇が広がっている。空気も、心なしか冷たくジメジメとし、気味が悪い雰囲気を醸し出していた。視界の隅で鼠が走る。清潔で上等な服に身を包んだエリスは身震いした。その横でロイはカツカツと足音を響かせ歩きながら口を開いた。


 「俺も最近になって魔法図書館への行き方を見つけたんだ」

 「魔法図書館?」

 「ああ、言ってなかったか。この迷宮を抜ければその先は、巨大な魔法使いのための図書館になっているんだ。魔法に関してならなんでもあると言っていい。お前の呪いを解くための本もあるだろうな」

 「そうなのか。なんか嬉しそうだな」

 「嬉しいさ、嬉しいに決まってる。魔法使いにとっては宝の山だぞ。禁書になった貴重な本が山ほどあるんだ。考えただけで最高にそそるね」

 

 ロイはキラキラと瞳を輝かせて、まるで風が吹くように笑った。心の底から嬉しそうな真夏の晴天のような晴れやかな笑顔だ。その様子にエリスは少し呆気に取られた。

 その時ロイはふと立ち止まると、躊躇いもなくずらりと並ぶ髑髏の一つを掴んで右に回すように動かした。するとズズ、と音を立てて窪みのある台座が地面から突き出る。ロイは首にかけていたネックレスを外すと、そこに嵌められた石を台座の窪みに収めた。すると、壁の石がパズルのように動いて、あっという間にアーチ状の入り口が現れる。真っ暗だったその先は、ロイが指を鳴らすと壁にかけられた松明に明かりが次々とついて、先が見えるようになった。石積みの壁が続く階段だ。

 

 「この迷宮を作ったのが初代夜の魔法使いだ。他にも入り口はあるが……これは歴代の夜の魔法使いしか知らない入り口だ。覚悟はいいか。――一旦潜ればどれほど時間がかかるか分からない危険な仕事だ」

 「ああ、問題ない」


 エリスはロイの目を見て頷いた。そして二人は長く長く続く階段を降りていく。足音だけが響いていた。

 

 しばらく歩いていると、石畳の奥に長い部屋にでた。左右の壁には煌々と火を保つ松明がついていて、鈍く光を反射する甲冑が、ずらりと並んでいる。エリスが刀に手をかけながら、慎重に足を一歩踏み出したその時。


 右に立っていた鎧が剣を抜いて、時折音を軋ませながらエリスに襲いかかってきた。


 「は、」


 咄嗟に刀で受け止める。ぶつかった刃が火花を散らす。どこからその怪力はやってくるのかと思うほど、重い攻撃だ。そうしている間にも次々と鎧が動き出した。焦るエリスをよそにロイは背後で言った。


 「ほら、お前の仕事だぞ」


 エリスは米神を引きつらせながらフー、と息を吐く。そして鎧を睨むように見据えた。エリスだってただ騎士団から逃げていたわけではない。


 「私の背後に!」

 「おう」


 多勢と一人で戦わなければならないことだって、今まで数えきれないほどあったのだ。エリスはジリジリと後退し、なるべく全ての鎧を視界に収める位置で刀を構えた。

 いつしか鎧の持つ長剣は不気味に輝いていた。そして高速で弧を描く。エリスはダンッと地面を蹴ると斬撃を潜るように避け、駆けた。白銀に輝刃が、下から上へと一閃していた。しかし、真っ二つになったにも関わらず、その鎧は吸い寄せられるようにまた一つになり、切り口が塞がり元に戻った。


 「はあッ?」


 跳ねるように後ろに飛んでまた距離をとったエリスは思わず素っ頓狂な声を出した。なんだそれ、どうすればいいんだ。その時ロイが鋭く声を放つ。


 「核を狙え!」


 よく目を凝らしてみると、どれも鎧の胸元に石の嵌め込まれた紋様が描かれている。エリスは迷わずそこ目掛けて刀を振るった。鎧が石ごと真っ二つに砕け散り、破片が地面に散らばる。しかし、それに気を取られる前に、次々と鎧が襲いかかってきた。今度の鎧は恐るべき速さで長槍を振るう。エリスは刀身を使って軌道をそらすように穂先を弾いた。


 「なんでこんなに動きが速いんだ!」

 「決まってるだろ。魔法だ。生きていないから魔法で無理やり動かされているのさ」


 エリスは一歩、力強く踏み込むと駆けた。そして目前に迫る槍を一気に細切れにすると、そのまま再生する前に紋様を斬った。

 

 しかし、倒しても倒しても次々と現れるのだからキリがない。それからエリスはひたすら斬って斬って、斬りまくった。

 

 さて、そうして戦っているエリスをよそに、ロイはというと……爪を眺めていた。側から見てもかなり暇そうである。視界の隅にそれを捉えたエリスは「あいつッ!!」と思った。

 そういえば攻撃魔法が使えないと言っていたがなぜなのだろう。”夜の魔法使い”は随分と恐れられているようだったが。……本当にロイが夜の魔法使いなのか? 次第に、エリスの心には疑念が生まれていった。本当にこいつはすごい魔法使いなのだろうか? 本当に私の呪いを解けるんだろうか……と。


 そしてようやく最後の一体を切り倒した時。ロイは言った。


 「終わったか」


 言葉の先に”やっと”がつきそうな言い方だった。エリスは眉をひくつかせる。そして不満を押し殺し、「ああ」と言ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る