第2話 地下闘技場へ

 エリスの呪いは、命を縮めるものだ。ある日突然胸元に不思議な痣が浮かび上がり、それは強烈な痛みを伴ってエリスの体を蝕んだ。太陽が描かれた蛇と月が描かれた蛇が複雑に絡み合っている、禍々しい呪印。その呪印を頼りにエリスは呪いを解ける者を探し歩いてきた。

 ……そして、自分には時間があまり残されてないことぐらいエリスは察している。だんだんあの発作が起こる時間が狭まってきているのだ。

 あの冷徹な魔法使いに部屋を追い出された今、焦燥感で胸があぶられるようだった。何せまた振り出しに戻ったのだ。やっと、やっと見つけた魔法使いだったのに。

 ショックのあまり呆然としていたエリスだったがハッとして辺りを見回せば騎士の姿はどこにもなく、ひとまず騎士団の包囲網を抜けることができたらしい。見上げれば、朝日を受けて灰青色に染まる空が目につく。清々しい空気が流れ、街はちらほらと活気を帯びてきた。エリスは重いため息をつくと、フードを被り歩き出した。

 


 普段この街は、国の端にあることも相待って平和ボケしたのんびりとした雰囲気の街だ。しかし今、エリスはこの街にどこかピリついた空気を感じていた。フードの隙間から何気なく街の人々を観察する。

 広場は露店が集まりそれなりに人が賑わっている。ぎゅるる、と情けない音がなってエリスは眉を寄せて腹を押さえた。そういえば騎士団から逃げるのに忙しくて昨日からご飯を食べていない。空腹を一旦自覚して仕舞えば無視することはできなかった。

 持ち金が入った袋を覗き込むも、銀貨が数枚。これっぽっちしかないことにエリスはしょっぱい顔をした。食欲をそそる匂いがあちらこちらで漂っている。エリスはきゅっと唇を引き結ぶと、名残惜しそうに料理の露天を眺めながら果物が積まれた屋台に歩み寄った。

 

 「おじさん、りんご一つちょうだい」

 「4レンだよ、毎度あり」


 露店のおじさんから買ったりんごを受け取ったその時、聞こえてきた声にエリスは思わず耳を澄ませた。それは露店前の道でたむろしている男たちの会話だった。


 「魔法使いを追って王都の騎士団サマたちがこの街に来てるんだってな」

 「魔法使いねえ……、本当にこの街に? 捕まえられたら賞金が出るって話じゃねえか」

 「これは確かな情報だぜ。それにな……どうやらただの魔法使いじゃないんだ」

 

 葉巻を咥えた男がもったいぶるように声をひそめる。

 エリスは何気なく声の聞こえる近くに立つと、りんごを齧りながら聞き耳を立てていた。


 「だってそうだろ? ただの魔法使いにあの騎士団長が動くはずがない。我らが国の英雄、ルーク・K・ブラックバーンが追っている獲物は”夜の魔法使い”だって話だ」

 「そんなまさか……」

 「あの戦争から何十年経ったと思ってるんだ。流石にもう死んだはずだろう」


 男たちは畏怖の感情を声に滲ませ囁く。その声は、”夜の魔法使い”を本気で恐れているようだった。

 

 「魔法使いなんだから、魔法でもなんでも使って今まで生き延びてるんだろうさ」

 「じゃあ本当に夜の魔法使いが今もこの街にいるってのか……もしかして」

 「ああ……あの噂もマジかもな」

 

 エリスは齧り終わったりんごの芯を投げ捨てると、男たちに歩み寄った。


 「それ、詳しく聞かせてくれないか」


 


 ◇

 



 男たちに聞けば、顔を見合わせて戸惑いつつも教えてくれた。毎月、この街に隠された地下闘技場で武闘大会が開かれるらしい。今回の大会に勝てば、褒賞として”魔法使いに会える”と言う噂がこの街に広がっているのだと言う。エリスはふむ、と指を頬に当てて考え込んだ。


 ────その数日後の夕闇。エリスは街の男たちで賑わう飲み屋の扉をくぐっていた。恰幅のいい女主人がカウンターに立ち、その後ろには扉があるのを確認できる。女主人にエリスはカツカツと足音を立てて歩み寄った。


 「注文は?」

 「パースニップとアゴーナスの入ったポタージュとパンを一欠片」


 その女主人はそれを聞いて眉を上げると上から下までエリスを眺めたが、刀に目を止めると黙ってカウンターの戸を開けた。そして背後の扉を開けると早く入るように顎をくい、と動かす。エリスは急かされるままにその扉の奥に続く、狭い階段を下っていった。背後で扉が閉められ、暗い階段を降りていると、やがて歓声と野次が聞こえてくる。むわっと鼻先に匂う熱気とともに、視界が開けて飛び込んでくるのは観客がぎゅうぎゅうに詰め込まれた円形の闘技場だ。エリスは賑わう観客席の間に設置された階段を下っていった。そして一番目立つテントに向かう。


 「申込をしたいんだが」

 「お嬢ちゃん、悪いこと言わないからやめときな」


 男はエリスを見るなり鼻で笑い、言った。エリスはため息をつくと、刀を抜き目にも止まらない速さで受付の男の首に刃を当てる。

 

 「ひっ」

 「私は気が長い方じゃないぞ」


 男は両手を上げて冷や汗を流す。

 

 「分かった、分かったよ! ……名前はどうするんだ?」

 「名前?」

 「必要なんだよ!」


 エリスは少し考え込んだあと、告げた。


 「ルディア。ルディア・ブラットレイ」


 念の為、登録したのはエリスの本名ではなく偽名だった。男は手元の紙にその名を書きつけると、顔を上げて言った。

 

 「分かったから、名前が呼ばれるまでそこで待っていてくれ」

 

 

 ◇

  

 しばらくして試合が始まった。どうやらこの街にはたくさんの腕自慢を誇る男たちがいるようだった。いや、もしかするとわざわざ近くの街からも来ているのかもしれない。エリスは腕を組んでその様子を眺めていた。


 「ニールッメイソンーーーー!!vs、ルディアブラットレイーーーー!!!」

 

 そして高々とスタジアム内に響き渡るように名前が叫ばれる。エリスが促されるがままに円形のスタジアムに上がると、相手の男も向こう側から上がってくるところだった。かなりガタイがよく、自信もあるようでニヤニヤとこちらを見て笑っている。エリスはふう、と息を吐くと刀に手をかける。……絶対に負けるわけにはいかない。

 

 試合開始を指す笛の音が聞こえた瞬間、エリスは地面をダンッと蹴っていた。ガラ空きの首目掛けて、峰打ちに切り替えた刀を叩き込む。男は一瞬で崩れ落ちた。


 「まず一人目」


 しん、と静寂の後、割れるような歓声がドッと鳴り響く。エリスは息を吐いて刀を鞘に戻した。すぐに二回戦になる。


 「ジョーッヘイマンーーーー!!vs、期待の新人ルディアッブラットレイーーーー!!」


 光が一瞬、真横に放った。気づけば相手の男の胸には一文字の切り傷ができていた。そうして男は何が起きたか分からないと言う顔で、ゆっくりと倒れる。歓声に包まれながら、エリスは階段を降りてスタジアムから退場した。


 「お待ちかね、我らが怪力のレンドールと戦うのはッ!!すでに大男相手に瞬殺を繰り返してきたッ期待の新人ルディアーーー!!!」

 

 腹の底から鳴り響く大歓声、そして野次と共にエリスはスタジアムに再び立った。相手の男はどうもこの武闘大会で優勝の常連らしい。レンドールは二メートルはある大きさで、巨大な棍棒を肩に当ててジロジロとエリスを眺める。そしてハッと鼻で笑った。それにエリスはピクリと眉を動かす。

 笛の音と共にまたエリスは走り出すが、懐へ潜る前にレンドールは棍棒をその巨漢に似合わないスピードでぶん回し、エリスの顔の直前で止めた。衝撃により風が吹き、髪が後ろに靡く。エリスは目を見開いた。


 「嬢ちゃん最後の警告だ。ここでやめれば許してやるよ。どうする?」


 レンドールは片眉を上げて問う。エリスはじっとりと冷や汗を流しながらも、自然とその口端は微かに上がっていた。

 

 「へえ、……わざわざ強者に踏み躙られて無惨に殺されるであろう小娘に、忠告してくれるとは優しいね」

 「それをお前さんは無碍にするってわけか」

 「まあね。でもさ、あんたは勘違いしてる」


 エリスは刀を構えると地面を強く踏み込み、駆けた。速さは本来エリスの得意分野だ。そして、軽やかに跳躍すると棍棒の上に立ってみせた。歓声と野次が大きくなる。目を見張ったレンドールは棍棒を振り回すが、もう遅い。


 「私は────」


 ひらりと身を空中で踊らせレンドールの懐に潜り込むと、目にも止まらぬ速さでギラリと刃は一閃の光を放つ。


 「お前を喰らう強者だ」


 エリスが着地した後、グラリとレンドールの体がよろめいた。どさりと倒れ込む音と湧き起こる歓声と共に、エリスは血に濡れた刃を払ったのだった。


 

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