第16話

私は広之進の後をついて行った。

新吉も。

女たちの中で中年の女が一人ついてきた。

男たちは皆ついてきた。

下山する人達を横目に北の斜面に向かう。

残る下山者はあと少しだ。皆、急いでくれ。

斜面に着くと、広之進は振り返って、何も言わず一度頷いた。

そして私に近づき言った

「ご厚意は有り難いが客人殿は殿の客人。下山ください」

「いえ、やらせて下さい。」

私は言った。

広之進は私をじっと見て、やがて言った。

「お気をつけ下さるように」

我々は広之進の指示のもと、斜面に散らばりそれぞれ耳を澄ませた。

年寄り連中は?

あと少し、もうほとんど城下へ続く道を下りている。

これで年寄りは守れたか。

そう思った時、遠くでガサガサと音がした気がした。

緊張が走った。

私は手を上げ、皆を呼んだ。

皆で耳を澄ます。

がさがさ、パキパキ、がさがさ。

ハッキリと音が聞こえた瞬間、

「えいえいおー、えいえいおー」

広之進が大声を上げた。

「おーおーおー」

「おーおー」

「皆のもの―、準備はいいかー」

「おー」

皆が次々に大声を上げる。

ガサッと音がし、驚いたような声とそれに人の囁き声が続いた。

少しの間、切羽詰まった会話のようなものが聞こえた。内容は聞き取れない。

その声がやむと、がさがさがさがさバキバキバキバキという葉を揺らす音と枝の折れる音が連続で鳴った。

意外に近くまで来ていたのかも知れない。

「火を放つぞ」

広之進が囁き声でいい、手に持っていたライターを点火した。

葉のついた枝に火を移し、草むらへ投げ入れた。

乾燥した葉に油が浸み込んでいる。火はあっという間に広がった。

「あぁー」

「あちち、あちち。ぎゃー」

「うわうわうわ、あー助けてー」

叫び声がした。

やはりごく近くにいたらしい。火が体に燃え移った敵兵がいたようだ、しかしそれはマズい。敵が近すぎる

「皆、引けー」

広之進の号令と共に全員が駆け出した。

私も一目散に駆け出したが、少し走ると後ろの様子が気に掛かり振り返った。

振り返ると、広之進と信吉が燃え盛る火の前に立って残っている。

何をしているんだ?

私は立ち止まった。

火の燃え盛るところへ駆け戻ると、広之進は刀を抜き信吉は大きく太い枝を持って立っていた。

「何をしているんです?」

「客人殿、なんで戻る? 早う引かれよ。早く逃げろ」

「あなた方は?」

「私は援軍が到着するまで、ここを守る」

「俺もだ」

と信吉。

「では、私も残ります」

「何故、客人殿が残る? 早く行かれよ」

「いいえ、私は、私は、私のやるべきことをやるんです。誰の指図も受けない」

どうしてこんな言葉が私の口から出てきたかは分からない。正常な精神状態でなかったからだろう。

その時、火の向こうから炎を超えて矢が飛んできた。

おっと危ない。

私は近くの木の陰に隠れた。

盲滅法で打ちかけてくる。狙われているわけではないが何しろ数が多い。

火は横一線で川のように燃えている。当面は渡ってこれないだろう。

全く、油の撒き方も計算済みなんだ。「前の私」は抜けがない。

と思って前を見ると広之進が倒れていた。傍らに信吉がいる。

驚いて四つん這いになって近づいた。

「どうしました?」

「矢が…」

信吉が泣きそうな顔をしている。

見ると広之進の右わき腹と右足腿に矢が刺さっている。

「ヒロ様、しっかりして下さいよぉ。しっかり」

信吉はそう言うばかりだ。

全く何をやってる。怪我人だぞ、何とかしないと。

「信吉さん、抱き上げて走るよ」

私が言うと、ハッとしたように信吉は頷いた。

信吉は広之進の体の下に腕を入れ、抱える体制を取った。

「いち、にい、の、さん。今だ」

私たちは駆け出した。夜の林だが、燃える火で前は良く見える。

木々を避けながら林を抜け、皆が集まっていた頂の野原まで来ると、一旦、広之進を下す。

傷を見たが深いのか浅いのか月明かりではよく分からない。

矢を抜くのは躊躇われた。

「信吉」

「へ、へい。ヒロ様、しっかり」

「私は大丈夫だ。今はな。だがこれより間もなく火は下火になる。敵は来る。だからお前は早く下山しろ。間もなく援軍も来るから心配はいらぬ」

「ヒロ様を抱いて下山するよ、俺は」

「それは駄目だ。私はここに残らねばならぬ」

「じゃあじゃあ、俺も残るよ」

信吉は泣きべそをかいている。

目の前の光景がまるで映画の一シーンのようだ。

そして今、瀕死…かどうか分からないが、少なくとも歩けない男は、「私」なのだ。

「信吉、ではよく聞け。私が、もし万が一、我らに敵の手が迫った時は私の首を切れ。そしてお前は客人と共に逃げろ。いいな。」

「そんな…そんな事できねぇよぉ」

「私は、敵の手に落ちるくらいなら死ぬ方がましだ。そしてそれができるのはお前だ。お前しかできないと思っているから言うのだ」

どこかで聞いたような言葉だ。

「でも…」

駄々をこねる子供のような表情をする信吉を見ていた時、突然、私の中で閃きと納得が同時に来た。

信吉は山田だ。

その時、大勢が坂を上ってきた。援軍だ。

助かった。

どやどやとこちらに駆けて来る。

「広之進様、助かりましたよ。援軍です。援軍が来ましたよ」

そう言った私は泣いていた。もう、どうしようもない涙が出た。

「ああ」

広之進は眼を瞑り。一呼吸して、目を開けた。

「これを」

懐から飾り鞘に入った短剣を出した。

「命かけて戦った友のしるしです」

私に差し出した。

私は頷いて受け取った。

「広之進かー?」

駆けてきた武将が声を掛ける。

「はい、矢を受けています。敵はあの火の向こうです。でもじきに下火になります」

私は顔を上げ、広之進の代わりに叫んだ。

「相分かった。行くぞ。誰か、広之進を」

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