第10話

それっきり井口は現れなくなった。

本当にどこかへ行ったのだろう。

連絡先とか聞いておくべくだったかな?

いや、でもほんの一週間の付き合いだ。ほんとはどんな人間なのかも分からない。

連日のように通い、ぱったり来なくなる客なんていくらでもいる。

居酒屋での出会いなんてこんなものだ。


私は一週間前の生活に戻った。

とはいっても、井口がいないこと以外は何も変わらない。

仕事帰りに居酒屋へ寄り、ビールと酒を飲んで帰る日々。

過去に封印をした平穏な日々だ。

相変わらず父は夢に現れ、そして何も言わない。

昨夜は山田からの電話があった。

しきりに決断を促す。

なんで私にこだわるのか。金も潤沢にあり構想もはっきりしているのだから自分か、もしくは優秀で活きの言い人間を雇ってやればいいじゃないかと言ったが、山田は私でなければいけないという。二人で考えた事だからと。

ここは頑として譲らなかった。

山田も相当変な奴だ。

私は決心の付かないままダラダラと日々を送った。

決めないという事は山田の申し出を断るという事に決める事だな。

私は井口の言葉を思い出してそう思った。

そうだ、思い出した。

あの時何かメモをくれたんだった。

上着のポケットを探すとそれはあった。

紙に座標が書いてある。

パソコンを開いて地図に座標を入力してみた。

私は少し驚いた。

そこは私がホームレス生活をしていた公園だった。

何だこれは?

どういうことだ?

井口はこれをわざわざ調べてこんなものを私に書いてよこしたのか?

過去の自分と対峙しろとでもいうメッセージなのか?

くだらない。

私は興味を失った。

それからも平穏な日々をダラダラと送った。

やはり私はこの静かな日々を送りながら一生を終えた方がいいように思えてきた。

一度死んだおまけの人生だ。

山田には明日でも電話して断ろう。

山田には申し訳ないが、私は今の生活でいい。

ん?

いや待てよ、これはもしかして私の我が儘なのだろうか?

自分だけがいい生き方。

心を閉ざし周りを見ないように関わらないようにして得る平穏。

何のことはない、今の私は、やっていることは違ってもその根本にあるのは昔と全く変わっていないじゃないか。

少なくとも今の生き方は、自分にとっての居心地はいいが、何かを成し遂げるようなものではない。誰かの為になっているとは思えないしそうしようとも思っていない。

だから大した苦労もない。

私には何か本当にやるべき事があるのだろうか?

それは山田の申し出なのか?

確かにあの施設は誰かがやらなければならない、誰かがやるべきものだと思う。

それによって救われる人がいる。素晴らしいものだ。素晴らしい構想だ。

でもそれは私がやらなきゃならない事なのか?

何故だ?

何故山田は私にやらせたがる?

考えても分かるものではないな。

井口も言っていた。使命なんて分からない。

私はごみ箱をあさった。

そして小さな紙きれを見つけ取り出した。

井口の書いたメモ、私の古巣を座標で示したメモだ。

あの時の自分ならどう考えるか、一度行ってみるか。

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