第4話
その日の仕事を終え、いつものように居酒屋へ向かった。
常連客でカウンターはいっぱいだった。
一人で小上がりに陣取り、ビールを頼む。
井口は常連客と何か話していた。
「だからな、今の銀行なんて金貸しと一緒よ。昔は、見込みのあるちっちゃな会社を見つけてここだとばかりに融資してな、大企業に育てたもんよ。ほれ、ホンダなんてのはそういう事ででっかくなった。世界のホンダになったのよ」
何処かの電気メーカーを定年退職し、今では企業年金で悠々と暮らす村上がいつものように大声で話している。
「そうなんですよね。このころ…いや今の銀行は、やってる事が昔と変わってしまってるんですよね。本来は国の繁栄の為にある筈の銀行が自分たちの利益を増やす目的の為だけに仕事してる。マネーゲームに明け暮れて庶民の事なんて何も考えてないって事ですよ。デリバティブ取引とか、今はやってるんでしょ?」
井口が聞いている。村上に調子を合わせるなんて、後で面倒な事になって知らんぞ。ほんとに何も知らない奴だ。
「おっ、お客さん、よく知ってるねぇ。そう、デリバティブと言ってな、例えば債券やなんかをだな、来月この金額で売るって決めて、その権利自体を売ったりだな、そうした博打みたいなものよ。俺もよくは知らんがな」
私は吹き出しそうになった。私は元銀行マンだ。
「まぁ、そんなのが今の銀行がやってる仕事の主流よ。有望な会社を育てようなんてこれっぽっちも思ってないのさ」
ほらみろ、村上を勢い付けるだけだ。
「結局、金持ちの金を預かって増やすのが仕事。全くあなたの言う通りで、我々庶民なんて目じゃないのさ。だいたい銀行は庶民には金貸さないからね、街金買収して庶民にはそっちから金貸しやがる。ちゅうか、ちょっと前は貸した金を期限前に返せと言ったりしたんだ。それでどんだけ中小企業が銀行に潰されたかって話だよ、ったく」
私は、少し胸が痛んだ。
いつものように熱燗を頼み二口ほど飲んだ頃、井口は自分のビールジョッキを持って小上がりにやってきた。
「ちょっとご一緒させて頂いていいですか?」
「ああ、いいですよ」
「昨夜は、いろいろとどうもでした」
「いやこちらこそ。色々話しましたね」
「ええ、楽しかったです」
本当か? 大した話はしてない。
「また今日も少しお話させて頂こうと思いまして」
「ええ? 面白い話はできないですよ、私は」
「いやいや、先生の事に興味が出ましてね」
「なんだそれ。僕はソッチの趣味はないんだけど」
二人で笑った。
「先生は、ずっと先生だったんですか?」
「いや、いろいろあって、今、塾にいるって感じですかね。」
「そうですか。前はどんな仕事を?」
「まぁ、いろいろですよ。いろいろ」
誤魔化す。
言いたくない事を察したのか、井口はそれ以上は突っ込まない。
すこし間があってから、井口は思い切ったように話し出した。
「少し聞いてもらっていいですか?」
「うん、もちろんいいですよ、何?」
ほほう、何か自分の事を話す気になったのか。聞いてやろうじゃないか。
「私、これ迄結構頑張って仕事してきたんです、これでも」
「何してるの、仕事って」
「ええと、ちょっと説明が難しいんですけど…そうですね。新しい移動手段を開発するみたいな事です」
「ん? なんだそれ? あれかな? 東京とワシントンを二時間くらいで結ぶ飛行機みたいなやつ?」
以前、そんな計画があると聞いたことがある。
「ええ、まぁ、それとも違いますけどそんなもんだと思っていただいたらいいです」
そうか、企業秘密とか秘密のプロジェクトかなんかだな。
こいつ実はすごい奴だったりして?
「で、今までやって来たんですけど、その間も、なんかもっとやらなきゃならない事があるような気がしてたんです」
「ほう。それは何? どんな事?」
「うーん、はっきり分からなかったんです。でも、最近ちょっと考えることがあって」
「何かあったんだ」
「ええ」
井口は少し言い淀んだ。
「ちょっとSF小説の話をしていいですか?」
「ん?」
なんだ急に
「いいよ」
飲んだ席、なんでもありだ。
「遠い未来で、ある仕組みが開発されたんです。それは、モノでも人でも、空間的距離に関係なくどこまでも遠くに移動させることができる。あ、そういう設定だとして下さい」
「ああ、それは、『どこでもドア』だな」
私は笑った。
「『どこでもドア』? そう言うんですか、まあいいけど、それで…」
なんだこいつ、『どこでもドア』を知らないのか?
「で、モノが飛ばせることは実験で確認済みなんですけど、人間はまだこれから」
「ほう」
「強い電磁場を作るので、人の体がもつかどうか、体がもっても精神状態が持つかどうかは、誰かが実験台にならなきゃ分からないんです」
「なるほど」
「んで、世界は、国は有志を募ってる」
「ほう、危険な実験台になるヒーローというわけか」
「ヒーローなのかな? それは分からないけど、とにかく、その装置はどうしても完成させなきゃならないんですよ」
「なんで?」
「地球が終わるからですよ。彗星がぶつかるんです。百五十年後に。だから後に生きる人類の為にどうしても作らないといけなくて、みんなで必死になって開発してます。やっとここまで来たんです」
「そうかぁ、そういう設定か」
「はい。例えばそういう時、先生ならやると言います? 実験台になると志願します?」
「うーん、そうだねぇ」
無茶な設定だ。
「もうこれ以上生きてても良い事無さそうだったら、華々しく死ぬのも男の本懐かな。でも、その時の生活が充実してて幸せの絶頂だったら当然他の誰かに任せるな」
私は適当に答えた。真剣に考えるような話じゃない。
「そうです…よねぇ」
「井口さんならやるの?」
「なんかですね、これは私がやるべき事なんじゃないかなって気がしてるんです。それに死ぬと決まってるわけじゃない。成功するように作ってきたんですから、私自身が」
「なんかマジになってきたな。それくらい凄い決断って、いったい何をしようとして迷ってるんだろうね、井口さんは」
「ええ、まぁ、それは…」
「で、井口さんの結論は出せそうなの?」
井口が何か言いかけた時、ママが玄関を開けて叫んだ
「ちょ、誰か来て、村上さんが」
えっ?
村上は、井口が良い聞き役になって調子に乗ったのか珍しく酔っぱらってしゃべりまくり、やがてカウンターに突っ伏して暫く眠り、さっき起きて会計をしていた。
「村上さんが転んじゃって」
店にいた客がそろって外に出ると、背中を向けて路上に座り込み下を向いている村上の姿があった。
前に回ってみると、額から出血している。
「ママ、ティッシュ、ティッシュ」
血をティッシュで拭くと、額に酷く擦ったような傷があった。
血がどんどん出てくる。
「これ、救急車呼んだ方がいいんじゃない?」
と言うと、
「いらん。そんなものはいらん」
村上は酔っている。
「じゃ、取り敢えず絆創膏。ママ、ある?」
「絆創膏、絆創膏」
呪文のように唱えながらカウンターに戻るママを止め、井口が何か持ってきた。
「これ貼っておけばいいです」
肌色の大きな湿布のようなものを出している。
井口は慎重にそれを村上の額に張った。
「村上さん、少し店に戻って休むかい?」
客の一人が声を掛けたが、村上は首を振って立ち上がり、そのまま歩いて帰って行った。
「大丈夫かなぁ」
私が言うと、
「大丈夫ですよ」
井口が答えた。
「さっきのあれ、なに?」
「あれは、鎮痛消炎剤の入った人工皮膚です。首から上に張ると意識もはっきりするんです」
「へ? そんなのあるの? 初めて聞いた」
「ええ、たまたま持ってました」
もう、なんだかよく分からないが、聞くのは止めた。
こいつ流の冗談に付き合うほどの元気はもう無かった。
一旦席に戻ったが、もうその日は帰ることにした。
「じゃぁ、僕はもう帰りますよ。続きはまた今度話しましょう」
そういうと、会計をした。
帰りながら考えた。
井口の決断か。
私も、決断すべきなんだろうか。
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