第36話

 けれど、三年生になった春。

 クラス替えで浜木綿香と同じクラスになった。最悪だ、と思った。

 三年生の初日、教室に入ると顔見知りは何人もいた。中でもダンス部やサッカー部など、スクールカースト上位の友人が私の周りに集まって来る。当然、私はクラスの中心になった。遅れて教室に入ってきた浜木綿香は誰とも話さず、静かに席についていた。化粧っ気もなく、暗くて、地味な子。髪だって、ただ結んでいるだけ。静かだから目立ちはしないけれど、浜木綿香は相変わらず美人だった。私と違って、何のメイクもしてない。髪だって巻いてもないのに。

 何の努力もせず、美しい容姿を持って、勉強もできて、その上、絵まで描ける。

 そんなの、狡すぎる。

 友人らと大声で話し、クラス内に存在をアピールする私とは対照的に、一人でも平気そうにしている彼女は涼しげだった。中学時代、いつも一位、二位と順位を競っていた私に気づいていないのだろうか。どうして座っているだけで、私をこうも苛立たせるのだろう。

 始業式の後、クラスで自己紹介が行われた。自分の自己紹介をした後ではっと気づく。中学の時と私は見た目が大分違う。もしかして、私だと気づいていないのかもしれない。今、私の名前を聞いて、浜木綿香も気づいただろう。そう思い、彼女の席を振り返るが、彼女はぼうっと自己紹介を聞いているだけだった。気づいたのかはよく分からなかった。

 初日の日程が全て終わり、担任の号令で解散となった。私は帰ろうとしている浜木綿香の席に近づいた。

「ねえ、浜木綿さん」

「え、あ、はい。何ですか?」

 突然、話しかけられて浜木綿香はきょとんとして私を見上げた。

「香ちゃんって呼んでいい?」

 にっこり笑って言うと、浜木綿香は戸惑いながら「あ、うん、どうぞ」と答える。リアクションが鈍すぎてよく分からない。苛々しながら仕方なく、私は名乗った。

「私、佐々木美希だよ」

 目の前で名乗れば、この鈍い女もきっと「ああ、中学の時の」と思い出すに違いない。そうしたら、私はあんたのせいで絵を描くのをやめたのだと詰ってやるつもりだった。

 それなのに。

「佐々木さんって言うんだね。初めまして、これからよろしく」

 笑顔を張り付けたまま、何も言えなかった。浜木綿香は「部活があるから」とさっさと帰って言った。怒りで頭の中が沸騰しそうだった。

 絵を描くのが大好きだった。あいつのせいで描けなくなったのに。

 私はずっと浜木綿香を憎んで、恨んできたのに。

 浜木綿香は私のことを、覚えてすらいなかった。

「どうしたの、美希?帰りどっか寄って行かない?」

 呆然と立ち尽くしている私の肩を友人たちが叩いた。込み上げてくる憎しみと怒りはもう溢れてしまって、どうしようもできなかった。今まで抑えていた加虐心が一気に膨れ上がった。

 許さない。あの子も絵を描けなくしてやる。

「いいね、行こ行こ!」

 友人たちに笑顔で答える。そして、その中でも、特に噂好きでいじめっ子気質の友人の隣に言って囁く。

「ねえねえ、浜木綿香ちゃんってさ……」

 友人たちは興味津々で浜木綿香に関するガセネタを聞いてくれた。その日のうちに内輪のグループチャットでは浜木綿香は性格最悪で、男好きで、嘘つきの最低女になっていた。いじめに誘導するのは簡単だった。私だけじゃない、みんなも誰かをいじめてストレス発散させたかった。だって、誰かをいじめるのは愉しいから。

 次の日から浜木綿香の地獄は始まった。

 毎日、いじめられて涙を見せる浜木綿香を見ては留飲を下げた。明日は何をしてやろう。学校にばれないようにいじめを企てるのは愉しくて仕方なかった。暫くして彼女は学校に来なくなった。いい気味だと思った。そのまま、学校も絵もやめてしまえと思った。

 けれど、浜木綿香は絵を描くのは辞めなかった。

 休んでいる間に凄まじい作品を仕上げて、国際的な学生コンクールで入賞までしていた。玄関前に掲げられた作品を見て、あまりの出来に言葉を失った。私がどれだけ練習しても、時間をかけても、到底描けそうもない精密で緻密な大作。それをいじめられながらあの子は描き上げた。

 絶対に勝てないという絶望、こんな絵が描ける羨望。それは次第に憎しみに変わった。腸が煮えくり返るとはこういう気持ちだと初めて知った。腹いせに彼女の描きかけの作品をずたずたに破いた。本当は玄関前の作品を壊してやりたかった。でも、ばれたら受験に影響すると思って我慢した。

 卒業までずっと飾られたあの作品は、目障りでしょうがなかった。

 そのうち受験勉強が本格化して、成績の悪い私は浜木綿香に構っていられなくなった。クラスの皆も、浜木綿香が不登校になってからは、内心などを気にして最初ほどいじめを愉しまなくなった。浜木綿香は不登校後に学校に来るようになっても、保健室に逃げたりとあまり姿を見せなくなった。

 まあ、いい。卒業すれば浜木綿香の絵を見なくて済むのだから。

 それからは、いじめは遊び程度に、受験勉強に集中した。けれど、第一志望も、第二志望も、滑り止めも何校か落ち、県内の偏差値のそんなに高くない大学に何とか合格した。学歴に傷がつくと浪人を希望したが、親が浪人を許さなかった。仕方なくそのまま卒業して、大学生になると浜木綿香のことはすっかり忘れていた。

 完全に忘れかけていたころ、教育実習の説明会で母校に行くと、澤村香になった彼女と再会した。驚きながら、実習生名簿に描かれた担当科目と出身大学を見て、高校の頃の憎しみが鮮明に蘇えった。

 浜木綿香の担当は美術、そして日本の誰でも知っているような東京の有名美大に進んでいた。

 あの女はまだ絵を描き続けていた。しかもこんなに良い大学に入って。

 どうして、この女は私のコンプレックスばかり刺激してくるのだろう。

「香ちゃん」

 放課後の廊下、澤村香を呼び止めた。綺麗な黒髪を靡かせ、細身にスーツを纏い、化粧をして高校生の頃より美しくなった澤村香。彼女は今にも泣きそうな、怯えた顔で私を見つめる。恐怖に染まった顔は懐かしくて愉快だった。

 教育実習の間、愉しみが出来て良かった。心の底からそう思ってほくそ笑んだ。

 その後は色々と邪魔が入って、最後の最後に失敗したけれど、彼女をいじめたことを私は何も後悔していない。


 私と浜木綿香のこれまでの話を両親にしたら、二人は泣き崩れてしまった。



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