第35話

***

【佐々木美希の独白】


 浜木綿香が大嫌いだった。

 出会うずっと前から、大嫌いだった。


「美希ちゃんは、本当に絵が上手ねえ」

 私の絵を見ると、大人は必ず褒めてくれた。同級生からも一目置かれていた。小学校から絵を描くのが大好きだった。校内の写生大会ではいつも一番で、県のこども絵画コンクールでも毎年賞状をもらって、自分は誰より絵が上手いと思っていた。先生や周りの人々はいつも私の絵を褒めた。長くなった鼻っ柱が折れたのは中学で美術部に入った時だった。

 もちろん、部内で私よりうまい人はいなかった。アニメ絵や漫画の絵を描くオタクばかりで、三年の先輩だって私よりはどう見ても下手だった。

 このレベルなら、県の絵画コンクールどころか、全国のコンクールだってきっと私が一番になれる。本気でそう思っていた。

 結果は散々だった。

 県のコンクールでは二番だった。最優秀賞は、別の中学校の浜木綿香という子だった。しかも同じ中学一年生。けれど、その子は中学生レベルの画力ではなかった。審査員は絶賛だった。私の絵は二番だけれど、一番との差は歴然だった。

 眠れないくらい、悔しかった。

 全国規模の絵画コンクールでは、私は入賞すらできなかった。けれど、浜木綿香はそこでも最優秀賞を取っていた。

 悔しくて、悔しくて、仕方なかった。

 それからはなりふり構わず、絵に没頭した。今までは趣味程度だったが、絵画教室に通い、みるみる内に上達した。それでも、中学二年になっても、県のコンクールも浜木綿香が一番で、私はやっぱり二番。全国のコンクールでも入賞できるようになっても、やはり浜木綿香は当然と言わんばかりに最優秀賞をとっていた。

 表彰式で浜木綿香の隣に座ることも数度あった。浜木綿香は地味だけれど、美人で髪の綺麗な子だった。絵にかまけてぼさぼさの髪をした自分が急に恥ずかしくなった。表彰式の間、彼女は嬉しそうにするでもなく、無表情で興味なさそうにぼうっと座っていた。彼女の容姿と態度にますます腹立たしさと悔しさ、劣等感が募った。絵が上手くなりたくて、勉強もおれしゃもせずに絵を練習した。ダサい、暗いとクラスの男子たちから馬鹿にされながら、私は中学生活を絵に捧げた。

 その努力も虚しく、結局、中学の三年間で浜木綿香に勝てたことは一度もなかった。中学最後の県のコンクールの表彰式で、隣に座った浜木綿香に「いつも一番だね」と嫌味っぽく言うと、彼女は困ったように「たまたまだよ」と言った。そんなわけないのに。その返答で彼女を余計に嫌いになった。

 嘆く私に、絵画教室の先生や両親は「芸術は勝ち負けじゃない。あなただけの素晴らしい絵を描けばいい」と慰めた。

 でも、それは慰めにはならなかった。

 だって、浜木綿香の絵は美しい。私の絵など、ゴミに見えてしまうくらい。

 いつしか、絵を描くのが嫌いになった。

 中学最後のコンクールの後、絵を描くのをやめた。絵筆を見るのすら嫌になった。代わりに今までしてこなかった分の勉強をして、ギリギリの成績だったけれど、なんとか県内有数の進学校に合格した。

 絵のことを忘れたくて、春休みの間は今まで絵に費やしていた時間をおしゃれに使った。髪型や眉毛を整え、動画を見ながら化粧やヘアメイクを勉強した。SNSを参考にしながら流行の服も買い揃えた。鏡を見て、自分でも感心するくらい可愛くなった。

 そうして高校に入学すると、中学の頃とは別世界になった。いつも私を馬鹿にしていた部類の声が大きい男子たちは「佐々木さん、可愛いね」と私をちやほやして、クラスの隅にいた私など眼中になかったおしゃれな女子たちは「どこのコスメ使ってるの?」と向こうから話しかけてくる。

 気付いたら、私はクラスの中心にいた。中学の頃の私のような暗くて地味なクラスメイトをさん付けで呼び、おどおどしている姿を見て嗤う。見下す側はすこぶる気持ちが良かった。しばらくは平穏に高校生活を楽しんでいた。

 絵に関わりたくなくて、芸術は音楽を選択した。

 音楽の授業後、実技棟から教室棟へ戻る時、友達と合流するためにたまたま美術室の前を通った。廊下に掲示された授業で制作された作品たち。流し見て、通り過ぎるはずだった。

 私は、一枚の絵の前で足が止まった。

 布の上に置かれた林檎。静物画の鉛筆デッサン。一枚だけ、レベルが違う。他の生徒もすごいと何人も足を止めてその絵を見ている。絵の隅に描かれた名前は何度も見た、憎い名前だった。

 浜木綿香。

 同じ高校に進学していた。彼女と同じ中学出身だというクラスメイトに話を聞くと、浜木綿香は頭も良かったらしい。あんなに絵も上手なのに、勉強も私よりできるなんて。私が絵をやめて必死に勉強して合格できたこの進学校にも彼女は余裕で入学していた。馬鹿にされているようで、あの女の何もかも気に食わなかった。

 私はあの子のせいで大好きだった絵をやめたのに。私が必死で手に入れたこの場所でも彼女は変わらず絵を描いている。腹が立って仕方なかった。

 高校生になっても相変わらず、いや、中学の時以上の画力で彼女は作品を制作していた。春と秋、県の高校生美術展で出品された作品が校内に展示される。当たり前のように最優秀賞をとる彼女は、毎年、県代表として夏に全国のコンクールに出品していた。そして、夏休み後の始業式で校内表彰されるのがお決まりだった。全校生徒の前で称えられる彼女を見るのは苦痛だった。

 校内で彼女の作品を見かける度に、嫌な気持ちになった。見たくもないのに、見てしまう。最初から段違いで上手いのに、さらに上達していく彼女の技術。嫉妬と羨望でどうにかなりそだった。唯一の救いは一年、二年と離れたクラスで、顔を見ずに済んだことだった。浜木綿香のことを校内で見かけることはほとんどなかった。

 

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