第34話

 最後に軽く授業の内容をまとめて、チャイムと同時に時間ぴったりで授業は終わった。休み時間になって生徒の作品を集め、生徒が教室から出て行くとすぐに管理職の先生たちが私のところへ詰め寄って来た。

「壊れたパソコンの経緯、しっかり説明してもらうよ!どういうことなんだね、本当に!学校の備品はタダではないんだ!それもパソコンなんて高額の備品を実習生が壊すなんて……前代未聞だ!」

「ま、待ってください。私は、壊してません!きちんと、教卓の上にパソコンを置いていました。戻って来たらパソコンが壊れていたんです!」

「言い訳は結構!パソコンが勝手に床に落ちて壊れたとでも言うのかね⁉もちろん弁償してもらうが、こんなことをして実習の単位をもらえるとは思わないでくれ!」

「そんな……」

「副校長、待ってください!僕は直前まで澤村先生とこの教室にいて、パソコンの状態も見ていますが、確かに彼女の言う通り、しっかり教卓の上に置いてありました」

「高岡先生!教え子だからと庇われては困ります!」

 困り果てる私の横から高岡先生が助け舟を出すが、副校長は聞く耳を持たない。教頭は黙って考え込んでいる。口論している様子を遠巻きに見学していた実習生たちがひそひそ話ながら見ていた。佐々木は私が責められるほど、愉悦を感じた表情を浮かべていた。飯森は心配そうに私に視線を送っている。心細くて一ノ瀬の姿を探している自分がいた。長身で目立つはずなのに一ノ瀬の姿が見えない。ちら、と視線を動かすと一ノ瀬は教室後方の棚の近くで、隠れるように携帯を触って何かしていた。

「聞いているのか!」

 副校長の怒鳴り声に私はびくりと肩を震わせて、反射的に頭を下げる。

「すいません、でも、本当に私じゃないんです……」

 見えないけれど、きっと佐々木はこの姿を見てせせら笑っているのだろう。悔しくて、唇を噛みしめる。

 十分の休み時間が終わって、再びチャイムが鳴る。すると、高岡先生が私と副校長の間に割って入った。

「副校長、とりあえずその話はここまでにしましょう。検討会の時間です」

 高岡先生に何度も促されて、副校長は渋々、身を引いた。教室の机をロの字に並べ替えて、教員とその後ろに実習生が座り、検討会が始まった。

 パソコンのこともあって、殺伐とした空気で検討会は進んでいく。まずはそれぞれの教員から授業の感想や気になった点が述べられる。その後、質問や改善点の指摘がなされる。

「仕上げ作業の説明のスライドで気になるところがあったのですが、表示してもらえますか?」

「はい、今表示しました。」

「そうそう、このスライドの画像の部分なんですが……」

 このようにスライドで指摘があれば、そのスライドを表示する。また、プリントの内容や指導案の展開についての意図を問われ、その度に四苦八苦しながら応答した。想像通り、ダメ出しの嵐だった。けれど、教員から一様に褒められた部分もあった。最後の作品紹介だった。

「最後の吉田君と清水さんの作品にスポットを当てたのは素晴らしかったですね。彼らの話を聞いて、自分の作品を改めて見返した生徒もいたんじゃないかと思います。彼らからあの素敵な感想を引き出せたのは、澤村先生が初回から丁寧に生徒の気持ちに寄り添って授業をしていたからだと私は感じましたよ」

 家庭科の見るからに優しそうな中年の女性教員は私を励ますように優しい口調で言った。高岡先生もその言葉を聞きながらうんうんと頷いていた。

「もうすぐ終了時間ですね。最後に質問や意見はある方は挙手を」

 高岡先生が時計を見ながら言うと、すっと手が挙がった。手を挙げていたのは、佐々木美希だった。教員も、実習生も、驚いた顔をする。何故なら、検討会では基本的に実習生はオーディエンスで、発言をしないからだ。

「えーと……佐々木先生、だったかな?」

「はい、質問があるんですけど、いいですかぁ?」

 佐々木は私を見て、嘘くさくて愛らしい笑みを浮かべる。

「澤村さんが授業前にパソコン壊しちゃったってきいたんですけどぉ、なんで壊しちゃったんですかー?」

 私は怒りで机の下で握った拳は震えていた。わかりません、と私が口を開こうとした時だった。

「その件について、ちょっと発言してもいいですか」

 唐突に一ノ瀬が挙手した。場はさらにざわついた。私は一体何をする気だろう、と不安でいっぱいの顔で一ノ瀬を見つめる。一ノ瀬は高岡先生の言葉を待たずに立ち上がり、話し始める。

「本当は検討会が終わってから、管理職の先生方に相談したかったんですが、佐々木さんがああいう質問されたので、この場で話をさせてください」

「ちょっと、待ちたまえ、君!実習生が勝手に発言をするなど」

「すぐに終わります、だから聞いてください!」

 副校長が一ノ瀬を止めようとしたが、一ノ瀬は副校長の言葉を遮って強引に話を続けた。

「研究授業の前、私は澤村さんとこの教室で授業の練習をしていて、練習のために教卓を撮影していました。撮影途中で、私は急用で教室を出て、うっかりあの棚に置きっぱなしになっていたこの携帯電話は撮影モードのままでした。動画を確認したら、パソコンが壊れた瞬間が映っていました」

 一ノ瀬は立ち上がって、プロジェクターに携帯電話を接続するとスクリーンに動画が投影された。動画を早送りすると、教室の壁掛け時計がぐるぐると回っている。そして、私と高岡先生が美術室を出て無人になり、しばらくすると人影が教室前方の扉から入って来るのが映し出された。一ノ瀬は早送りを止めて、通常再生に戻した。その人物は、美術室に侵入すると、一度廊下に顔を出して誰もいないことを確認していた。そして、教卓に近づくと、ノートパソコンを持ち上げて迷いなく床に叩き落とした。一度落としたくらいでは壊れ方が軽微だったのか、その人物は美術室の備品から木槌をとってノートパソコンを叩き壊した。そして、木槌を戻すと教室からそそくさと去っていた。

 その動画を見ていた人たち全員が息をのむのが分かるくらい、教室は静まり返っていた。全員の視線が、たった一人に集まる。

「これは……どういうことですか、佐々木先生」

 副校長に名指しされた佐々木美希は、顔面蒼白で固まっていた。血の気を失った顔で、唇をカタカタと振るわせて「ちがう」と呟く。

「ちがいます、ちがうんです……私じゃない。こんなの、合成です。ねえ、違うよねえ⁉」

 彼女は隣に座っていた実習生たちに同意を求めるが、誰も彼女と目を合わせようとはしなかった。一ノ瀬は畳みかけるように言った。

「佐々木さんは実習中、継続して澤村さんにずっと嫌がらせをしていました。記録も残しています」

「ちがう!そんなことしてません!黙れよ、一ノ瀬!勝手なこと言ってんじゃねえよ!」

 佐々木は取り乱して怒鳴り散らすが、一ノ瀬は退かない。

「俺は説明会の日に澤村さんに一方的に暴力を振るう佐々木さんをこの目で見ています。穏便に実習を終わらせたいと言う澤村さんの意志を尊重して今まで黙っていましたが、こんなことになった以上、黙っている訳にはいきません」

「だーかーらぁ!そんなことしてないわよ!こんなの全部嘘です!一ノ瀬くんは澤村さんに誘惑されて、嘘ついてるんです!どうせ証拠なんかないでしょ⁉黙っててよ!」

「偶然撮影されたものですが、証拠ならここにあります!」

 一ノ瀬は毅然とした態度で、きっぱり言い切ると携帯の画面を操作して新たな動画を表示した。日付は教育実習が始まる前、説明会の日になっていた。

 初めは実技棟の廊下の窓から撮影しているらしい夕日が映っている。小さな声で「あれ、写真じゃなくて動画になってる」と呟く一ノ瀬の声が入っていた。そのすぐあと、「いい加減にしてよ!」と怒鳴る私の声が録音されていた。画面が揺れて、足元が映る。なんだろう、と呟きながら一ノ瀬は階段を降りていく。そしてまた画面は揺れて、激しく怒鳴り合う私と佐々木の姿が映った。

 言い合いの末、私は髪を捕まれ、佐々木に突き飛ばされて、蹲ったところを蹴られている姿が克明に映っていた。佐々木が私を殴ろうと手を振り上げた瞬間、一ノ瀬が「だめだ」と焦ったように言って走り出し、画面は真っ暗になり音声だけが続いていた。一ノ瀬は動画を停止した。

「先生方、見て頂いた通りです」

 先ほどまで私に怒鳴り散らしていた副校長は顔を引き攣らせて黙り、教頭は頭を抱えて唸っている。佐々木美希は決定的な動画を流されて、呆然自失で椅子に凭れかかっていた。

 私も驚いてぽかんとスクリーンを見上げていたが、教頭先生に「澤村さん」と名前を呼ばれて姿勢を正して返事をした。

「今の動画と、一ノ瀬先生の言ったことはすべて事実なんですね?」

 確認の問いかけを受けて、私は自分のことなのに自分が何もしていないことにようやく気が付いた。ちゃんと、私の口で言わなければ。一ノ瀬にすべて押し付けてはだめだ。

 この状況は、いじめから逃げ続けた私が招いたのだから。

「事実です。私は、高校生の時から佐々木さんにいじめを受けていました。教育実習の説明会で再会して、暴力を受け、その後も嫌がらせをされていました。実習を穏便に終わらせたくて、今まで報告せず、一ノ瀬先生や他の先生にも口止めをして黙っていました。その結果、こんな事態になり……ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」

 立ち上がって、深々と頭を下げた。下を向いていると、涙が溢れそうだった。安堵か、恐怖か、恥ずかしさか、怒りか、悲しみか。どの感情も違うような、説明のつかない涙が込み上げてくる。頭を下げたままの私に、いつも厳しい顔の教頭先生は静かな声で言った。

「教育に携わる者として覚えておきなさい。いじめはいじめる側が百パーセント悪い。あなたが謝ることは何もありません。顔を上げなさい」

 涙をぐっと堪えて、私は顔を上げた。泣かないように噛みしめた唇から、今にも嗚咽が漏れそうだった。静寂に包まれた教室にチャイムの音が鳴り響く。

 佐々木美希による下らない茶番は、終わりを告げた。


 その後、私と一ノ瀬、そして佐々木はそれぞれ教頭先生から事情聴取に呼ばれた。職員室で事情聴取されたあと、廊下をとぼとぼ歩いていると、憔悴しきった佐々木とすれ違った。私は黙って通り過ぎようとしたが、堪らず立ち止まり、彼女に尋ねた。

「ねえ、どうしてこんなことしたの?」

 佐々木は足を止めたが、背中を向けたままだった。

「私、あなたにこれほど恨まれるようなこと、何かした?」

 重ねて尋ねると彼女はがっと勢いよく私を振り返り、憎しみと怒りに染まった瞳で、私を睨みつけた。

「あんたが……浜木綿香が、あたしを誰か知らないからこうなったのよ」

 捨て台詞のように吐いて、彼女は目の前から走り去った。

 浜木綿香。

 高校三年生までの私の名前。何故、彼女が最後に私を敢えて「浜木綿香」と呼んだのか、彼女の言葉の真意を知るのはまだ少し先だった。

 その日のうちに、佐々木は学校から消えた。あと一日で教育実習が終わる、その寸前で彼女は実習中止となったのだ。

 これは、教育自習が終わって暫く経った後の話だが、佐々木と同じ大学に通う飯森から佐々木が自首退学したことを知らされた。トラブルを起こして教育実習が中止になり、卒業に必要な単位が取れず、卒業もできなくなったため、辞めざるを得なかったらしい。

 彼女からは結局一度も謝罪はなかった。騒動の少しあと、彼女の両親から謝罪の手紙を受け取った。その手紙を読んで私は、初めていじめの事実を知ることになった。


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