第7話

 美術の授業を見学した後、私は荷物を持って実技棟の一階にある小会議室に移動した。教頭先生が実習生は事務棟の大会議室の他、実技棟の小会議室も使用して良いと話していたからだ。正直、有り難かった。美術室のある実技棟から事務棟の大会議室は正反対の場所にあり、歩くと数分かかるほどの距離がある。恐らく、その不便を思って小会議室を使えるようにしてくれたのだろう。

 小会議室に入ると、既に三人の実習生がいた。

「あれ、澤村さん?お疲れ様」

 そのうちの一人、一ノ瀬が相変わらず人の良さそうな笑みで私を出迎えた。

「あ、そっか、一ノ瀬くんも芸術だから今まで授業見学してたんだね」

「そうだけど、澤村さんも芸術科なの?そう言えば、科目聞いてなかった!」

「言ってなかったけ?私、美術だよ」

「え!美術⁉じゃあ、美術部だったの?」

「そりゃあ、まあ」

 なんでそんな当たり前のことを聞くのだろう、と私は疑問に思った。

「今でも美術部員の人と繋がりってある?」

「え?いやー、うちは個人主義の部活だったから横も縦もそんなに繋がりなくて、誰も分かんないな。私、人付き合い悪くて。美大に進んだのも私だけだったし」

 そもそも、高校にいい思い出がないので高校の知り合いとはほとんど連絡をとらくなっていた。

「そうなんだ……そっか」

 何故だか、一ノ瀬は残念そうにしていた。ますます疑問は深まるばかりだった。

「えーと、澤村さん?私、飯森雪穂だよ。家庭科ね」

 残り二人のうち、ショートヘアの明るい女の子が会話に入ってきた。見たことがある顔だなと思ったら飯森は続けて言った。

「たぶん、二年と三年の時、隣のクラスだったよね?体育と美術で一緒になったことあると思う」

「え……あー、そうかも。ああ、走るのが速かった飯森さんだ?」

「やだ、なんか恥ずかしいー!そうそう、陸上部だったから」

 飯森は照れながら笑った。高校の頃もショートヘアだったので、ぼんやりと見覚えがあった。

 最後の一人と目が合うと、彼女はにこりと静かに微笑んだ。黒髪のボブヘアで、大人しそうな子だった。

「黒川いつきです。同じ芸術科の書道です、よろしくね」

 よろしく、と私は軽く会釈した。書道室は美術室の隣だったので、彼女のことは放課後、何度か見かけたことがあった。たしか、書道部の部長でいつも大きな作品を黙々と書いている子だった。

 美術、音楽、書道は同じ芸術科で、生徒たちはこの中から選択して一科目を履修する。学校の規模によっては一教科しかなく選択の余地がなかったり、二教科しかない、あるいは工芸など別の芸術科目があったりするらしい。多くの学校はこの三科目から選ぶ。

「そう言えば、みんなは教免って高校だけ取る?中学は?」

 一ノ瀬の問いに最初に応えたのは飯森だった。

「私は小中高、全部取るよ」

「小学校も?すごいね。私は一ノ瀬くんと同じで中高かな。高校だけより実習長くなるけど、中学も取れるならあった方がいいかなって」

「俺も、澤村さんと同じ理由で中高の予定だよ」

 教員免許は小中高に別れ、取る免許の種類によって、実習期間は変わる。特に小、中は高校に比べると実習期間が長い。

「私は高校だけ。そもそも、書道って高校しかない教科なので」

 黒川以外の三人の声が「えっ!」と被さり、黒川に視線が集まる。

「そうなの?高校だけなの?」

「でも小学校とか書写で書初めしたよ?俺、字汚くて先生にめっちゃしごかれたもん」

「中学でも書初めあったよ、あたしの学校!」

 黒川は一気に詰め寄られて「えーとね」と困ったように笑って話し出す。

「たぶん、みんなが言っているのは国語科書写のことだと思います。書写は国語の仲間なの。書道は芸術科だから別物なんです」

「俺、音楽選択だったから知らなかった……!」

「あたし、よく分かんないんだけど書写と書道って何が違うの?」

「うーん、すごく簡単に言うなら……書写は正しく書く、書道は美しく書くって感じですかね?」

「……なるほど!」

「なるほどなー!」

 黒川の簡単な説明を聞いて、ぴんときた私と一ノ瀬がすぐに納得して頷いた。飯森だけ不可解そうな顔をしていた。

「え、今の説明ですぐ分かったの?分かってないの、あたしだけ?芸術科の理解、早すぎない?」

「私は黒川さんの言いたいことすごく分かったよ」

「うん、俺も!分かりやすかった!」

「同じ実技科目だけど、やっぱり芸術って違う人種って感じするわー……そう言えば、実技って言うと他に体育の実習生もいなかったけ?」

「体育の人達は体育館遠いから、体育準備室で作業するって言ってたよ。ここは使わないってさ」

「そうなんだ。まあ、体育館って渡り廊下の先で遠いもんね。てか、一ノ瀬って本当に顔広いよねー。こうして女ばっかりの空間にいても違和感ないっていうか、馴染み過ぎっていうか」

「たしかに、一ノ瀬くんってスクールカーストの頂点って感じしますね」

 黒川の言葉に私も横でうんうんと頷いていた。

「なんかチャラチャラしてそうです」

「え⁉そんなことないよ!理系クラスだったから女子少なかったし」

「嘘だね。あたしは分離選択前の一年生の時、一ノ瀬と同じクラスだったけど、一ノ瀬っていっつも一軍の女子と男子に囲まれてたよ。その頃より今の方が女慣れしてる感じがする」

「ちょっと、飯森さん⁉やめてよ、イメージ悪くするの!音大が女子多いのと妹いるから、女子ばっかりの空間に慣れているだけで、普通だよ!」

「あはは、冗談だよ。分かってるって!てか、一ノ瀬って、音大なんだね。澤村さんは美大?黒川さんもそういう系?」

「県外の美大だよ」

「私は教育学部の書道専攻です。小中高の免許取るってことは、飯森さんも教育学部とか、教育大でしょう?」

「うん、そうそう!あたしも教育学部!一緒だね」

「そうですね。でも私は所謂、ゼロ免課程の学生なので、飯森さんと少し違うかも」

「ゼロ免課程?」

 私と一ノ瀬の声が重なった。

「ゼロ免課程って言うのは、教育学部の中でも教員免許を取らなくても卒業できる課程のことです」

 へー、と私と一ノ瀬の声がまた重なる。教育実習に来ているものの、私は教育学部の学生とはかなり異なる存在なのだと再認識させられた。

「あたしの通ってる大学はゼロ免ないけどさ、ゼロ免の人って教免取る人多いの?」

「全然いないですね、超少数派です。やっぱり、卒業要件じゃないし、教免取るのって授業も多くて実習もあるし大変じゃないですか。教員になりたいっていう人もほとんどいないし。私も免許は一応取るけど、教採も受けるつもりないんです。言っちゃだめだけど」

「あー……私も似たような感じ」

「右に同じく」

 私と一ノ瀬が横でうんうんと黒川に同調して頷いた。その様子を見て、飯森は苦笑いしながら言った。

「うーん、芸術は採用枠少ないもんね。教育学部じゃなかったら、なおさらだよね。あたしは、家庭の先生になりたくて教育学部に入ったから、もちろん教採も受けるつもり。でも、普通の教育学部でも、実習で嫌になって先生にならない人もいるし。教員の労働環境が劣悪って言うイメージもあって、普通の企業から内定もらえたら就職選んでた先輩も結構いるよ」

「へー、そういうもんなんだ。俺、教育学部ってみんなが先生になるのかと思ってたよ」

「もうそういう時代じゃないんだよ。教員の仕事ってなーんかイメージ悪いしね。教師のバトンってハッシュタグ知ってる?SNSで検索すると、体感だけどポジティブ一割、教育現場の闇が九割くらい感じられるよ」

「うわー……感じたくない」

 一ノ瀬が渋い顔をすると、飯森はくすっと笑って言葉を続けた。

「でも、小学校で実習した時、本当に大変だったけど、やりがいもすごくあったよ。人によるだろうけど、みんなも実習で教師っていいなって思えるといいよね。折角、実習に来たんだから、ね!」

 飯森の言葉でネガティブだった空気が少し明るくなった気がした。

「確かに!ちょっと、やる気出た!俺も頑張る!」

「飯森さんっていい先生になりそうですね」

「すごい、先生って感じした。ありがとう」

「え、何この空気⁉なんか恥ずかしいんだけど!やめてよー!」

 芸術科の三人からキラキラした目で見つめられて、飯森は照れ笑いしていた。

 それからは指導案を作成したり、それぞれ授業の見学などをして過ごした。緊張したが、担当クラスの終礼と清掃の監督も問題なく終えて、一日目は特に何事も起こることなく終了した。

 佐々木美希と再会した時は、実習が不安で憂鬱でしかなかったが、実技棟にいる分には他の実習生も優しい人ばかりで、不安は杞憂に感じられるくらい過ごしやすかった。あんなに苦しかった高校生活も先生側だとそんなに苦しくないものだな、と不思議な心地がした。同じ場所なのに、立場が違うだけで全く別の場所のように感じる。

 学校にいる時、あんなに死にたくなるくらい辛かったのに。

 今は、スーツを着て、普通に、大人みたいな顔をして学校の中を歩いている。

 高校生の頃の私が、今の私を見たらどんな顔をするのかな。

 そんなことを考えながら、暗い帰り道で学校を振り返った。まだ学校はちらほらと明かりが付いていた。暗がりに浮かぶ白い校舎を見上げても、何も感じなかった。


 もう学校を見ても、息は苦しくはならなかった。


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