第37話 アントリム平原の戦い

 ロディーヌはじっとコルデリアの言葉に聞き入っていた。


 自分だって辛かったんだ。

 そう言いたかった。

 

 コルデリアの怒りや恨みは、正当なものかもしれない。

 しかしそのために、他の者が殺され傷付けられねばならなかったのだろうか?

 そうだとはロディーヌには思えなかった。


「あなたのした事は許される事じゃない。でも……」


 コルデリアはもう一人の自分なのかもしれない。

 もし運命の歯車が狂えば、そうなっていたかもしれない自分。


「そろそろいいだろう、今日は」

 ずっと無言だったリューウェインが言葉を発する。

 

「さようなら、コルデリア」

「さよなら、姉さん」


 コルデリアは処刑されるのか、どこかの僧院へと押し込められるのか。

 それはわからない。

 

 だがもう会う事は無いだろう。

 閉ざされた扉を見ながら、ロディーヌはそう思った。



 それから三日後の事だった。

 レンスター公爵邸へ急を告げる使者が訪れた。


「大変でございます!ショーン殿下が脱走なさいました!」

「何だと?」

 リューウェインの声はそれほど意外そうでもなかった。


「それが、コルデリア様も連れられて一緒に……その……」

「すぐ王宮へ行く」


「リューウェイン様、私も参ります」

 ロディーヌの言葉に

「そうか。わかった」

 リューウェインは短く返答する。


 二人が王宮の謁見の間に到着すると、もう一つの知らせが待っていた。


「国境付近に、アングル王国の軍が集結しております。その数……二万!」


 廷臣たちの間に緊張が走る。

 現国王ダーメット二世と、アングル王国の姫であったショーンの母との間に婚姻が結ばれたのが二十年程前。

 アングル王国とはその間、戦いが起こる事はなかった。


「二万だと?」

 ダーメット二世は軽い驚きの声を上げた。

 アングル王国の軍は公称五十万。だが実際は十万程度だと見積もられている。

 エリン王国もほぼ同じだ。

 

 全軍の二割にあたる軍を差し向ける。

 それは本格的な戦闘の意志を有するという事であった。


「やはり来たか」

 リューウェインは小さく呟く。


「陛下。おそらく当初の予定では、混乱に乗じて首都を制圧するつもりだったと思われます」

「そちの言うとおりだろうな」

 ダーメット二世の声は苦い。


「わが軍の準備は既に整っております。是非出撃をお命じ下さい」

 リューウェインは跪いて国王に言上した。


「レンスター公爵リューウェイン。そちに命じる。軍を率いアングルを迎え撃て」

「御意!」


 ロディーヌとリューウェインは、一礼した後退出する。

 そして一旦、王宮の控えの間へと向かった。


「リューウェイン様、私も行きます」

「気持ちはありがたいが、ロディーヌ……いや……」


 リューウェインにも迷いがあるのだろう。

 大賢者としてのロディーヌの力は何物にもかえがたい。

 ただ軍隊同士の本格的戦闘ともなると、未知数であった。


「お困りのようですね」


 ロディーヌは声のする方を向く。


「フィノーラ様!」

 それは妖精の国の女王であるフィノーラだった。


「東のアングルより、魔の波動を感じます。これは捨て置けぬと存じ、参上しました」

「ありがたいがフィノーラ殿。これはエリンとアングルの戦ゆえ」


「いいえ、リューウェイン様。私たち妖精も、このエリンに住まう者としての義務がありますわ」

 フィノーラはきっぱりとした口調で言った。


「人の子同士の争いであれば、私たちにできる事はありません。ただ……」

「アングル軍の中に魔物がいるのでしょうか?」

「その通りです、ロディーヌさん」


 フィノーラは更に言葉を続ける。

「きっとロディーヌさんのお役に立てると思いますわ」


 リューウェインの決断は早かった。

「わかった。お願いしよう」


 そういうわけでロディーヌとフィノーラはリューウェインの王国軍に同行する事になった。


 もちろん最前線に出るわけではない。

 特製の馬車に乗り、最後尾に配置される。

 とはいえ、旅行気分とはいかない。


「敵はフォモール街道を北上し、アントリム平原に陣を敷く様子です」

 斥候からの報告が届く。


 フォモール街道は、アングル王国からレンスター領を通り、エリンの王都へ続く街道だ。

 国境を守る部隊には予め、無理をせず折を見て退却しろと通達してあった。


 この時エリン王国軍は、アングル軍の六割程。

 機動力を重視した、騎士や騎乗した魔術師たちだ。


 もたもたしていては、敵軍が王都に迫ってくる。

 早めに戦端を開くべしという、リューウェインの判断だった。


 両軍は一定の距離を置いて向かい合う。

 本来先陣に立つのが彼のやり方だが、今回リューウェインはロディーヌのそばにいた。

 

「撃て!」

 まずは弓や魔術師達の攻撃魔法で戦闘が開始された。

 そして矢を撃ち尽くすと、魔術で防御陣を敷きながら、敵軍の突撃が開始される。


 本来、大賢者の潜在能力は比類ないと言われている。

 攻撃、回復、幻術、移動、防御、等の各魔法。


 だがロディーヌには時間がなかった。

 幻術や治癒魔術などを磨くのに精一杯だった。

 敵味方入り乱れての乱戦の中で攻撃魔法を使えばどうなるかはわからない。

 

 強大すぎる力で、味方まで傷付けてしまうかもしれない。

 祈るように戦況を見つめるしかなかった。


 アングル軍は数を頼みに突撃する。

 エリン王国軍はじりじりと後退する。


「大丈夫ですよ、ロディーヌさん」

 隣にいるフィノーラが笑顔を見せる。

 彼女の小さな手はロディーヌの手を握りしめていた。


 ロディーヌは女王がくれた杖を手にする。

 目を閉じ祈り始める。


 負傷し、後方に送られてきた兵士たちの傷が、みるみる治癒していく。


「おお、これは!」

「聖女の……いや、大賢者エリウの力か!」

 

 口々に驚きの声が上がる。


 だが戦況に依然変わりはない。

 その時、周囲の兵から声が上がる。


「味方だ!レンスター兵だ!」


 アングル王国軍の後方から現れたのは、レンスター公爵領の私兵だった。

 どうやら街道脇に隠れてアングル王国軍をやり過ごしていたらしい。

 そして背後から一斉に襲い掛かる。


「よし、全軍突撃!」

 リューウェインが命令を下す。

 

 前後から挟み撃ちにされたアングル軍は、恐慌状態に陥る。

 母国への退路が断たれたのだ。

 それも当然だった。


 だが戦況は再び変化する。


鷲獅子グリフォン飛竜ワイバーンも!」


 召喚するのに時間がかかったのか。

 それとも予備兵力として残しておいたのか。

 アングル軍の一角から魔物たちが現れた。


「弓兵!」

 リューウェインが鋭く命じる。

 こちらも予備兵力としてとっておいた弓兵が矢を射かける。


 本来なら鷲獅子グリフォンはともかく、飛竜ワイバーンに並みの矢では通用しない。

 だがこの時、矢には虹色の薔薇から抽出した香料が塗られていた。

 矢が命中するなり、恐ろしい効果を発揮する。

 空の魔物たちは次々と地上へと墜落していった。


「来たか……この前よりもでかいな」

 リューウェインが低く呟く。

 いつの間にか前方に、巨大な人型の魔物が出現していた。

 通常の兵士の五、六倍の大きさはありそうだった。

 


地獄の悪鬼グレンデル

 ロディーヌは息をのむ。

 赤く燃える目、毛むくじゃらの体。

 まぎれもなく伝説の怪物だった。


「ロディーヌさん、落ち着いて。虹色の薔薇を想像するのです」


 フィノーラの言葉にロディーヌは目を閉じ、虹色の薔薇を思い浮かべる。


「そう。そして薔薇の枝があの怪物に伸びていくように」

 フィノーラの言葉通りにする。

 すると地面から出現した巨大な薔薇の枝が見る間に怪物に絡みつく。


 絡みついた巨大なトゲだらけの枝は、地獄の悪鬼グレンデルを地面に引きずり倒した。

 怪物はあっという間に身動きが取れなくなる。

 そしてどんどん体が収縮していき、ショーン王子の姿になった。


 今度こそアングル軍は死に物狂いで逃げ出す。


「退路を塞ぐな!やり過ごしてから追撃しろ!」

 リューウェインの鋭い命令が飛ぶ。


 周囲のエリン王国軍から口々に声が上がる。


「勝ったぞ!」

「女神エリウだ……」

「大賢者エリウの力だ!」


 それが戦いの勝利を告げる合図だった。

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