第31話 夢への道標
「これは……」
赤、黄色、青、紫……
目の前にあるのは、まぎれもない虹色の薔薇だった。
ロディーヌは驚きと興奮とともに、そっと花びらに触れる。
元々怪我らしい怪我もなく、すぐ普通の生活ができるようになった。
変わったのは警護の兵が増えた事だった。
領地のレンスターからも呼び寄せたらしい。
そんな中、ロディーヌの一日は変わらない。
いつものように起きて花壇に行くと、以前植えていた薔薇が咲いていた。
それが虹色の薔薇だったわけだ。
ロディーヌは邸宅に向かって駆け出す。
この驚きと喜びを、一番先に伝えたいのは――
「リューウェイン様!」
ノックもそこそこに、執務室に飛び込む。
「どうした、ロディーヌ?」
公爵は持っていたペンを置きながら言う。
机の上には書類がうず高く積まれていた。
「虹色の薔薇が……虹色の薔薇が……」
「虹色の薔薇が?ひょっとして、まさか」
「すぐいらして下さい。あ、いえ、お仕事で忙しければ……」
「いや、行こう」
リューウェインは立ち上がり、ロディーヌの後に続く。
傍らにいた執事長のエドモンドは、書類の山に目をやった。
それからリューウェインを見た後、仕方ないという表情でため息をついた。
「すまんな、エドモンド。戻ったら倍の早さで片付ける」
リューウェインは執事長に言った。
その様子を横目で見ながら、ロディーヌは執務室を出る。
申し訳なさもあったが、それ以上にリューウェインに早く見てもらいたい気持ちが強かった。
「こちらです」
「ほう……これは」
リューウェインの目が驚きに見開かれる。
「暗黒のバラの花粉を他のバラの花につけて、できた種を育てたんです」
「こんなものが本当に存在するのだな」
「種ができるのも、花が咲くのもびっくりするくらい早くて」
「花の事はよくわからんが、さぞかし高値で取引されるだろうな」
「はい、それだけではないんです」
ロディーヌは母が残した書物を見せる。
「この本によると、様々な薬効や魔除けの効果もあると」
「なるほどな」
リューウェインは腕組みした。
「これは俺たちだけではどうにもならん。医薬ギルドの協力も必要だろう」
「はい、そう思います」
「そうだ、明後日レンスターから帰った後に相談してみるか」
「はい」
レンスターの領地に行くことは二、三日前に話していた。
花畑や薬草畑の視察と、香料の製造の打合せだった。
二日後――
二人はレンスター公爵領にいた。
本来王都からレンスターまでは、馬車で三日はかかる。
だが特別な高速馬車を利用し、護衛の大部隊とともに、半日足らずで到着した。
車両は通常の作りと違い、御者の魔術師が強化魔法を使って馬を操作する。
当然ながら高価なので、王族や大貴族しか所有していなかった。
最もこれだけ短時間で来れたのは、整備された街道のせいもあるだろうが。
「お待ちしておりました」
そう言って係の人間に案内される。
目の前に広がっているのは、ラベンダーやバラの畑だった。
「すごい……」
思わずロディーヌは呟いた。
見渡す限りの向こうまで、花畑が続いている。
とはいえ、まだ花は咲いていない。
「あと一月か二月もすれば満開の花を咲かせるでしょう」
との事だった。
そして次は薬草園だ。
ここでとれる植物からは、様々な薬剤や軟膏等が調合される。
ロディーヌだけでは入手や栽培が難しいものもあった。
薬草の採取や調合は、レンスターの家臣の中でも、特別な許可を受けた限られたものだけが行う予定だった。
最後は香油の工場を視察する。
ロディーヌの背の高さの何倍もある、巨大な蒸留器が設置されていた。
キングストンの実家にいたころとは、比べ物にならない。
庭の片隅の小屋で作っていたので、作れる量もできる事も限られていた。
特にバラの香油は一度に生産できる量が少ない。
花からとれる香油も、香水や化粧品だけでなく、薬の材料にもなる。
「これなら何でもできそうですね、リューウェイン様」
「ロディーヌが喜んでくれて嬉しいよ」
ロディーヌの母は、植物の栽培法や薬の調合についての膨大な記録や書物を残した。
ただ、まだ全ては確認できていないし、よく理解できない事もあった。
これだけの設備や材料がそろえば、色々な事ができるだろう。
人々を助ける様々な薬や香料、化粧品を作る事も。
それは母がかつて望んだ事であり、ロディーヌの願いでもあった。
そしてレンスターの領地から帰ってしばらくたったある日。
ロディーヌとリューウェインは、王宮で一人の人物と会っていた。
「あら、お久しぶり」
気さくな声は、もちろんディグビー伯爵夫人のキーヴァであった。
「これをどうぞ」
ロディーヌが差し出したのは、ラベンダーの香油だった。
「あら、下さるの?」
「ええ、もちろん」
「ありがとう。それで今日のご用件はこれではないでしょう?」
キーヴァはにっこり笑って言った。
ロディーヌはリューウェインをちらりと見る。
「その事ですが、キーヴァ。こちらを見ていただきたいんです」
そう言ってリューウェインは小瓶を取り出した。
それはロディーヌが以前彼に見せた、柑橘系の植物を使った新しい香水だった。
「あらこれは」
伯爵夫人は香りをかぐ。
「刺激が少なくて、とても柔らかく爽やかな香りね。気に入ったわ」
「首筋や手につけるのがいいと思っています」
ロディーヌが補足する。
「そうね、普通の香水より刺激が少なくて、匂いも強くないし」
「ただし二時間くらいしかもたないですけれど」
「それは問題ないと思うわ、ロディーヌさん」
そう言った後、キーヴァは目の前の紅茶のカップに手を伸ばす。
「それで私にどうしろと、リュー?」
「これを差し上げますので、使っていただきたいんです」
「それだけ?」
「夜会の時も、お茶会の時も。そして色々な人にお話いただければ」
「なるほどね」
ディグビー伯爵夫人キーヴァは、国王の愛妾であり、宮廷内外で様々な影響力を持っていた。
そしてドレスもメイクも化粧品も、彼女こそが貴族たちの流行の発信源でもあった。
「それはあなたの考えではないでしょう、リュー?」
「叔母上には、かないませんね。はい、妻にそう言われまして」
妻というのが自分の事だと気づくまで一瞬の間があった。
そう呼ばれる事にまだ慣れない。
「あなたはお美しいだけでなく、とても賢くていらっしゃるのねロディーヌさん」
「ありがとうございます」
本当はメアリーの発案であるので、気恥ずかしかった。
ロディーヌ自身はそのような事は思いつきもしない。
その後は、レンスターが製造する薬の話になった。
医師ギルドや医薬ギルドの責任者を紹介してくれるよう依頼する。
販売や薬の効果の測定に協力を得るためだ。
キーヴァは快く引き受けてくれた。
「話は変わりますが、陛下のご様子はいかがです?」
リューウェインは訊ねた。
最近国王の体調がすぐれない事は、宮廷中の者が知っていた。
「それがあまりね。医師や宮廷魔術師は大した事は無いと言うんだけれど……」
キーヴァの言葉はロディーヌの心に影を落とす。
国王の体調不良と、ここの所の変事は何か関係があるのだろうか?
いや、何かの偶然だろう。
このまま穏やかな日が続いていくはずだ。
レンスター公爵リューウェインの妻として。
昨日も今日も、そして明日も……
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