第30話 二人の過去

「ロディーヌ、大丈夫か」

「はい、おかげさまで」


 リューウェインはいつになく穏やかで優し気な表情だった。


「ロディーヌの怪我の具合はどうなんだ?」

 公爵は医師に向かって訊ねる。


「は、はい、閣下。元々外傷も内臓の損傷もなく、意識が戻らないのが不思議なほどでして……」


「そうか。もう大事ないか?」

「はい。あとは体力の回復を待つだけでございます」

「では、下がってよいぞ」


 医師はそそくさと退出して行った。


「で、では私も。何かあればお呼び下さいませ」

 メアリーもそう言って出ていく。


 しばらく沈黙の時が流れた。

 ロディーヌはリューウェインから顔をそむけ壁の方を見る。

 妙に気まずい。


 髪が乱れていないか、化粧は落ちていないか。

 以前は気にもとめなかった事が気になる。


 鏡が欲しかった。

 昔は鏡なんて、週一回しか見ない時もあったのに……


「ロディーヌ。ルーシャスや騎士たちは無事だ。また君に助けられたな、ありがとう」

「……」

「ロディーヌ。怒っているのか?」

「いえ、そんな」


 リューウェインの方を向いて言った瞬間、ロディーヌのお腹が音を立て鳴った。

 あまりの恥ずかしさに再び彼に背を向ける。


「ロディーヌ」

「リューウェイン様は意地悪です」

「何故だ?」


「三日も寝たきりだったんです。髪も乱れてるしお化粧だって、それに……」

「そんな事はない。香料の良い匂いがする」


「とにかくこんな所に押しかけてくるなんて、デリカシーが無さ過ぎます」

「悪かった。出て行こう」

「もういいです。もう遅いですから」


「ではどうしたら、許してくれる?」

「じゃあ、リューウェイン様がそのお粥を食べさせて下さい。そうしたら許します」

 

 いや、何を言っているのだ自分は。


 リューウェインはさじで小麦粥を掬うと、ロディーヌの口元に近づける。

 その動作は何故か妙に手慣れていた。


 ロディーヌはリューウェインの運んでくれる匙から粥を食べる。

 椀の半分食べた所でお腹がいっぱいになってしまった。


「美味しかったです。ありがとうございます」

 自分で頼んでおきながら、妙に気恥ずかしかった。


「前に話したかな?病気の弟に、いつもこうやって食べさせていた」

 ロディーヌの視線を感じたのか、リューウェインが説明した。


「前に言ってらした弟さん……」

「俺や弟たちは、ずっと放っておかれたようなものだったからな」

 そう言ってリューウェインは過去の出来事を話し始めた。


 リューウェインの父親のラウロスは五年で最初の妻と離婚した。

 二人の間には女の子はいたが、男の子が産まれなかったためだ。

 そして二番目の妻との間にできたのが、リューウェインとその弟スレヴィンだった。


 リューウェイン姉弟は、乳母や侍女や側近の者たちによって、レンスターで育てられた。

 当然ながらリューウェインの父と母とは政略結婚だった。

 二人には他に愛人が何人もいた。

 あまりレンスターにある邸宅には寄り付かなかったらしい。


「二人そろっていた時は、大抵何か言い争っていた」

 リューウェインは無表情に言葉を発する。


 幼い頃のリューウェイン達の立場は若干不安定だった。

 家督の継承をめぐって、叔父たちから刺客を差し向けられた事もあったという。


 そうこうしているうちに実の母が亡くなった。

 愛人との旅行中に、馬車が崖から転落死したらしい。

 事故という事で処理されたが、真相はわからない。


 まもなく父親が三回目の結婚をした。

 相手は今の義母のジリアンだ。

 妹が二人生まれた。


 だが父のラウロスとジリアンとの関係は、リューウェインの母と似たようなものだった。


「王族や大貴族の家なんてそんなものかもしれん」

 リューウェインは自嘲気味に言った。


 兄妹たちの仲は悪くなかった。

 だが親に構われない寂しさからか、機嫌をとるだけの使用人に囲まれているせいなのか。

 姉や妹達は次第に我儘になっていった。


 弟のスレヴィンは元々体が弱く、後年はほとんど寝たきりになり、看病の甲斐なく十五歳で亡くなった。

 ほどなくして父親も長年の放蕩がたたったのか病死した。


 リューウェインは20歳の若さで家督を継ぐことになった。

 すでに16歳でマンスターの飛竜ワイバーンを倒し、”竜殺し”の異名を得ていた。

 

 リューウェインは姉や妹達の縁談にも心を砕き、取りまとめた。

 だが彼女たちの家庭も結局は、彼女たちの両親と同じようなものになった。

 

「王族や貴族は、一族の財産や権力を守るために他家と婚姻関係を結ぶ」

 リューウェインは低い声でロディーヌに語り掛ける。


「ずっと俺は思っていた。結婚なんて誰としようが同じだとな。だが……」

 そこまで言った所でリューウェインは言葉を切る。


「長々と妙な話をしてしまった。すまないな」

「いえ、私も……」


 ロディーヌはぽつりぽつりと話し始めた。

 幼い頃に幸せだった事。

 母が亡くなり、父親に愛人と子供までいて衝撃を受けた事。


 その義母や義妹にずっと嫌がらせを受けていた事。

 父は無関心だったこと。

 使用人達で味方になってくれたのはメアリーだけだった事。

 母との思い出が支えだった事。


 そして聖女の力に目覚め、第二王子の婚約者になり、婚約破棄され、王子の新しい婚約者は義妹であり……


 最後は一気に言葉を紡ぎ出す。


「そうか。辛かったろう、ロディーヌ。よく頑張ったな」

 リューウェインは優しく言った。


 その言葉を聞いた時、ロディーヌの目から自然と涙があふれた。


 そうだ。

 自分は辛かったんだ、本当は。

 怒りに震える日も、涙を流した日もあった。

 だが次第に何も感じなくなり、無表情になっていった。

 

 どんな辛い事があっても自分は動じない。

 何も感じない。

 自分でそう信じていた。


 だがそうではなかった。

 ずっと自分は辛かった。

 ずっと誰にも言えなかった。

 メアリーにも。


 ずっと、ずっと……


 いつの間にかロディーヌは声を上げて泣きじゃくっていた。

 リューウェインは彼女の手を優しく握っていた。


 しばらく時が過ぎ、ロディーヌはようやく言葉を発した。

「お化粧落ちちゃったですかね……結局酷い顔になっちゃいましたね」

「大丈夫だ。見ていないから」

 

 リューウェインは下を向いている。

 その姿にロディーヌは、くすっと笑った。


「いいんです、もう」

「そういうわけにもいかんだろう」


 ロディーヌはリューウェインの手を外し、彼の顔の両側に掌を置く。

 そしてゆっくりと自分の方へ振り向かせる。

 自分自身で思ってもみなかった、大胆な行動だった。


「今日のお礼に、またお食事作って差し上げますね」

「それはありがたい」

「何がいいですか?」

「何でもいいさ。ロディーヌが作ってくれるものなら」


 二人は見つめ合い、ひとしきり笑いあう。


「では、ゆっくり休むがいい」

 

 リューウェインはそう言い、少しためらった後ロディーヌの額に軽く口づけると、部屋を出て行った。

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