第20話 人魚

 ロディーヌは一人、離れの研究室に向かった。


 自分は貧乏性なのだろうか。

 何年も使用人同然の暮らしをしていたからかもしれない。

 

 レンスター側の好意を、ただで受け取るのも気づまりである。

 何らかの形で返せばいい。

 そう思うことにした。



「やあ、遅かったじゃないか」


 研究室の扉を開けて中に入ると、そこには小妖精レプラコーン のホルバンがいた。


「あら、いたの」

「いたのとはご挨拶……いやそんな場合じゃない」

 ホルバンはいつになく真剣な表情だった。


「あんたの力が必要なんだ、ロディーヌ」

「私の?」


 ロディーヌは驚いた。


「以前ならまだしも、今の私には何の力もないわ」

「それが妖精の女王様のご命令でね」

「妖精の女王様?一体なぜ?」


 そういった存在がいる事は知っていた。

 だが妖精の女王が自分に何の用があるのだろう。


「それとあのおっかない公爵も、できれば連れてきてくれと言うんだ」

「リューウェイン様も?」


 ますますロディーヌは驚く。

 一体何があったというのだろうか。


「おいらも何でかよくわからないんだけどさ」

「でもリューウェインにどうやって説明したら……」


 その時入り口の扉を叩く音が聞こえた。


「ロディーヌ、どうした?誰かいるのか?」


 その声はリューウェインだった。

 

「おっ。公爵かい?ちょうど良かった」

「良かったって……あっ」


 扉に鍵はかけていなかった。

 入ってきたのは、リューウェインと近侍のルーシャスだった。


「いえ、リューウェイン様。ち、違うんです!違うんです!これは全然そういう事じゃなくて!」


 ロディーヌは、頭が真っ白になり、反射的に自分でも意味のわからない事を言ってしまった。


 だが公爵は動じた様子もない。


「何だ?何を言っている?」

「い、いえ、あの、私は別に……」

小妖精レプラコーンだろう?どこにでもいるじゃないか、こんなのは」

「あ、はい……え?」


「おいらを見て、びっくりしないのなら話が早い」

「別に。俺は小さい頃から、妖精達は見慣れているからな」

 リューウェインは短く返答する。


「じゃぁ、順をおって説明するね」

 という事で、ホルバンは一同に事情を話し始めた。


「事の発端は、ある人魚メロウがいなくなった事なんだ」


 その人魚メロウはベイヴィルといった。

 彼女はある嵐の夜、海で漂流していた一人の人間を助けた。

 コルムというその男と、彼女はたちまち恋に落ち、将来を約束する仲になった。


 彼はとある田舎貴族の次男坊だったらしい。

 当然人魚メロウとの結婚など許されるわけもなく、彼は勘当同然に家を追い出される。

 

 その後色々あったが、妖精の女王の許可もとりつけ、二人は晴れて結ばれることとなった。


 だが――


「消えた?それってどういう事?」

 ロディーヌは驚いて言った。


「それが実はね……」

 ホルバンは続ける。


 人魚メロウのベイヴィルは、ある日忽然と姿を消した。

 残された恋人のコルムは嘆き悲しみ、探し回った。

 だが手がかりは何一つ見つからない。


 コルムは妖精の女王に相談した。

 女王が水晶玉に念じて行方を占ったところ、とある場所に監禁されている事がわかった。

 レンスター公爵領と王国直轄領の境にある、ムーアの森だという。


「でも、そんなこと言われても、私には何もできないし……」

 ロディーヌは困惑しながら言う。


「いやとにかくさ。妖精の女王様に会って話を聞いて欲しいんだよ」

 小妖精レプラコーン のホルバンは、いつになく真剣だった。


「ちょっと待て。ムーアの森と言ったな?」

 リューウェインがホルバンにたずねる。


「そうだよ。最近魔物の活動が活発なあたりさ」

「なるほどな」

 リューウェインはしばし考え込む様子だった。


「よし行こう」

 何かを決意したように宣言する。


「そう来なくちゃ」

 ホルバンが嬉しそうに言った。


「しかしリューウェイン様、兵を集めねばなりませんし、私も」

 近侍のルーシャスの言葉に


「いや、公爵とロディーヌだけだ。それ以外は連れていけないよ」

 とホルバンが答える。


「わかった。俺とロディーヌで行く。ルーシャス後を頼む」

「リューウェイン様、それは」

「命令だ、ルーシャス」

 

 リューウェインの声は、有無を言わせぬ強さだった。

 ルーシャスは唇をかみしめて頭を下げる。


 しかし妙な事になったものだ。

 一体妖精の女王が自分たちに何の用があるのだろうか?


「まだ事情が飲み込めないのだけど、どういう事なの、ホルバン?」

 ロディーヌはホルバンに問いかける。


「詳しい事は女王様から聞いて欲しいんだけど……最近魔物が活発になってきた現象と関係あると思う」

 ホルバンはリューウェインの方を見る。


 リューウェインは軽くうなずいた。

「ロディーヌも知っているだろう。執事長のエドモンドが使っていた薬の件だ」

「もしかしてあの?」


「そう。魔物の活動のせいで、薬草が手に入らなくなったというあれだ」

 リューウェインは言葉を続ける。

「どうやらムーアの森あたりが原因らしいとはわかった」


「ムーアの森?」

 ロディーヌはたずねてみる。


「先日も言ったが、王の直轄領にあたるところでな」

「ああ」

「勝手に兵を送り込むわけにもいかんし、王国警備兵や王都の魔術師団も、相変わらずどうも動きが鈍い」


「そうそう、それ。だから女王様の話を聞いて欲しいんだよ」

 ホルバンが言う。


 ロディーヌはしばし思考をめぐらす。

 確かにホルバンは昔からの知り合いだし、多少の恩がある。

 

 植物の事を教えてもらったり、薬草や花の蜜を集めるのを手伝ってもらったり。

 全く知らぬふりをするわけにもいかないだろう。


「わかったわ。とりあえず話を聞くだけなら」

「決まりだね」

 ホルバンは嬉しそうにいう。


「ルーシャス、明後日の日没までに俺から連絡がなければ、兵を出せ」

 リューウェインがルーシャスに命じる。


「わかりました。レンスター直属の魔術団の連絡網を使います。王国の警備兵はどういたしましょう?」

「なるべく気取られぬように。多少奴らともめてもかまわん」

「ご命令謹んでお受けいたします」

 ルーシャスは頭を下げる。


 ロディーヌはメアリーに書き置きを残すことにした。

 しばらく留守にするが、公爵と一緒だから心配ないように、という簡単なものだ。


「ところで、どこへ行くの?」

 ロディーヌはホルバンにたずねる。


「妖精の国さ」

「妖精の国?」

「ロディーヌも小さい頃に来た事があるはずだよ」


 全く記憶がない。

 リューウェインはルーシャスに水と食料を持ってこさせる。

 節約すれば、十日くらいは持つ量だった。


「別にいらないと思うけどね」

「万一のための用心さ、ホルバン。さてどうすればいい?」

 

 リューウェインの言葉に、ホルバンは

「こっちこっち」

 と言って、外に出る。


 ホルバンが案内したのは、裏庭の隅にある植え込みだった。


「こんなところから?」

 ロディーヌが驚いて言う。


「うん。ここが入り口。さぁ行こうか」

 ホルバンが手をかざすと、植え込みは二手に分かれて細い道ができる。


「お気をつけて」

 というルーシャスの言葉に


「ああ、後を頼む」

「メアリーによろしく」

 二人はそう答えて植え込みの中にできた道を進む。


 奇妙な事になったものだ。

 そうロディーヌは思う。

 小妖精レプラコーン に案内されて、妖精の国へ続く道を、リューウェイン公爵と歩いている。

 

 こんな事が自分の身に起こるとは。

 先のことなどわからないものである。


 ロディーヌはそっと、少し前方を歩くリューウェインの顔を見る。

 特に驚く様子も緊張した様子もなく、いつもの様に無表情で黙って歩を進めている。


 冷たい表情のリューウェインから暖かな波動を感じる。

 彼がいれば心配ない。

 錯覚かもしれないが、ロディーヌはそう思うことにした。

 





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