第17話 ショーン

「最近眠れなくてね」

 キーヴァがリューウェインに向かって言う。


「ほう、それはいけませんな」

「それがいつも使ってるアロマオイルが、最近手に入らなくて」


「あ、あのっ」

 ロディーヌの言葉に、公爵と伯爵夫人の視線が集まる。

 だが自分の声に自分でびっくりしてしまい、ロディーヌは言葉を飲み込む。


「どうなさったの?ロディーヌさん」

 キーヴァが優しく問いかけた。


「もし、お探しでしたらラベンダーのアロマオイルなら、お分けできますけど……」

「あらそう?でも悪いわ。あなたも使うのでしょう?」

「あ、いえ、私は……その……」


「彼女の実家はキングストン家です。おわかりでしょう?」

 リューウェインが説明する。


「そういえば、確かにそうね。ただ最近そのキングストンの香油が手に入らなくて」

「それは申し訳ありません。ただもう少ししたらお届けできると思います」

「というと?」


「キングストンの事業はレンスター家が引き継ぐという事ですよ」

「なるほどね……」

 キーヴァの目がロディーヌを見る。


「そういう事ならご好意に甘えようかしら」

「はい。……では……私の持ち物入れを持ってきて下さらない?」

 ロディーヌは近くの従者に頼む。


 しばらくしてその従者が茶色のバッグを抱えてきた。

 そしてロディーヌにそれを手渡す。

 

 ロディーヌはバッグから紫色の小瓶を取り出す。

 念のためコルクの栓を抜き、香りをかぐ。

 もう一度栓をして、それをキーヴァに差し出した。


「こちらをどうぞ」

「ありがたく頂くわ。またお願いできる?」

「はい。頑張ります」


 正直、実家で作っていたような製品を量産できるかはわからない。

 ただ思わずそう答えてしまった。


「気長にお待ちいただけると幸いです」

 リューウェインがロディーヌの言葉の後に続けて言う。


 しばらく雑談していると、侍従が近づいてくる。

 ロディーヌとリューウェインに一礼すると、何やらキーヴァに耳打ちした。

 彼女は軽くうなずいている。


「ちょっと所用がございますので、これで失礼しますわお二方」


「ではまた」

 とリューウェイン。

「ごきげんよう、キーヴァ様」

 とロディーヌ。


 伯爵夫人が立ち去ると、周囲の人々が次々に挨拶をしにくる。


「ご婚約おめでとうございます」

「公爵閣下、お初にお目にかかります」


 それに対してリューウェインは、短く簡潔に返答を返していた。

 そういえば婚約してから、二人でこのような場に出るのは初めてである。

 第一王子の葬儀の時は、皆と仲良く談笑するようなわけにもいかなかった。

 

 リューウェインは王家の血を引く一族だ。

 今や第二王位継承者であり、レンスター公爵という大貴族である。

 しかも、めったに舞踏会等の、社交の場には姿をあらわさない。

 少しでも覚えを得ようと、様々な人が近づいてくるわけである。


 そしてある一人の貴族がリューウェインに挨拶した後に、ロディーヌに会釈する。

 ロディーヌは曖昧な笑みを浮かべた。


「クリフトン伯ターロックと申します、ロディーヌ様。以後お見知りおきを」


(笑ってるだけじゃダメだわ。たまには何か言わなくちゃ)


 といってもロディーヌも話題が豊富な方ではない。

 だがその時ふと記憶が蘇る。


「ターロック様は、マンスターのクレアに領地をお持ちだとか?」

「その通りでございます」


「あそこはアルメリアの花畑がとても綺麗だそうですね。一度見てみたいですわ」

「おお、ご存じですか!」

 伯爵の顔がほころぶ。


 その後も次々に人がやってくる。

「……ご子息が今度王立魔術院に入学されるそうで、おめでとうございます」

「まぁ、あの地方の名産の香油は私も使った事ありますわ」


 本で読んだり、メアリーから仕入れた知識で対応する。

 正直、こういう対応で良いのかどうかわからない。

 

 ただリューウェインの横で笑っているのも芸がない。

 何かしなければと考えた結果だった。


 以前聖女だった時に、多少なりとも社交を経験していなければ、今回何もできなかっただろう。

 果たしてそれが幸運だったのか不運だったのか。

 ロディーヌにはわからなかった。



 一時間後、ロディーヌは一人テラスに立っていた。

 リューウェインは何やら誰かと別室で話があるという事だった。

 

 すぐ戻るとは言っていたが、手持ち無沙汰である。

 本当はリューウェインがいなくても、婚約者としてのつとめをしなければならないだろう。

 ただ一人で大勢の人たちの相手をするのは到底無理だった。


 というわけで、外の空気を吸うといって、広間から外のテラスに出て行ったわけである。

 テラスといっても、天井のないちょっとした広間のようであった。

 

 ところどころに椅子が置いてある。

 何人か人影も見える。

 

 ロディーヌは、ほっとため息をついて空を見上げた。

 そういえば、以前このテラスに来たような気もする。

 その時と比べて自分の境遇も変わったものだ。

 

 それとも、たいして変わってないのだろうか。

 いや、前よりも自分のやりたい事への道筋は見えている気がする。


「いい夜空だね」

 後ろから声がした。

 振り返る前に、誰だかはわかっていた。


「お久しぶりでございます、殿下」

 それは今や第一王位継承権者となった、かつての婚約者ショーンだった。


「元気そうじゃないか」 

 ショーンはにやりと笑った。


 なぜ王子が声をかけてきたのかわからない。

 ロディーヌは探るように彼を見る。


 どことなく雰囲気が変わったような気がする。

 以前は王族にありがちなわがままさを見せる事もあった。

 ただ基本的には穏やかで、悪く言えばぼんやりとした感じであった。

 少なくともあの婚約破棄の前までは。


 黒髪に灰色の瞳。

 口元には笑みを浮かべている。

 それには以前なかったような自信や意志の強さが感じられた。


「何か御用でしょうか」

 婚約破棄の件で確かに自分は落胆し、傷ついたのだ。

 だがそれも遥か昔の事に感じられた。

 

 王子自身にはもはや恨みも憎しみもなかった。

 さらにいえば、元々愛情も好意も無かったのかもしれない。


「何か御用はないだろう?」

 ショーンは笑みを浮かべたままロディーヌを冷たい瞳で見つめる。


「何もなければ失礼させていただきます」

「まぁ待てよ。知らない仲ではあるまいし」

 ショーンの目が強い光を放つ。


「コルデリアから聞いたよ」

「何をでございますか?」

「キングストンの薬や香料の製法も材料も全部盗んでいったんだろう?」


「盗んだわけではございません。あれは元々母のものです」

「いやキングストン家のものだ」


 王子は反論を許さない強さで言った。

 この間の父の件もあった事だ。

 製法を取り戻してくれと、コルデリアに泣きつかれたのだろうか?


「どうせよとおっしゃるのでしょうか?」

「決まってる。キングストン家に返したまえ。他に君の知っている事も全て」


 ロディーヌは言葉を飲み込んだ。

 心の中に湧き起こった感情は怒りだった。

 そのようなものが自分の中にあった事が驚きであった。


 確かに薬品や香油の製法や製品はキングストン家のものだ。

 ある意味王子の言っている事は正当なのかもしれない。

 

 だが自分はどうなるのか。

 自分のやってきたこと、自分の感情は?

 

 言われるままにキングストン家のために働いた。

 言われるままにショーン王子と婚約した。

 言われるままに聖女の力を失ったといって、婚約破棄を受け入れた。

 言われるままにリューウェイン公爵と新たに婚約した。


 いつも我慢してきた。

 本当はロディーヌが何を考えているのか、どう感じているのか、何をしたいのか。

 そんな事を気にする人間などいなかった。


 いや――


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