第14話 キーラ

「まぁ、大体わかったわ」

「いえ、もちろん今はそんな事言う人間はおりませんですわ」

「そういう噂があったのは知ってるから。信じてしまうのも仕方ない事よ」


 悪口なら言われ慣れている。

 実家にいたときもそうだった。

 聖女の力に目覚めた時もそうだった。

 

 自分でもどうしていいかわからない。

 人々の悪意を向けられても、何をしたらいいか、どうふるまえばいいかわからない。

 何も感じないようにつとめるしかなかった。


 ロディーヌは話題を変えた。


「ところでね、メアリー」

「はい、何でしょう」


「あなたはこの屋敷の人から色々な事を聞いているんでしょう?」

「はい、使用人の方たちとは仲良くさせてもらっています」


「リューウェイン様って……その……愛人とか……いらっしゃるのかしら?」

「気になられますか?」


「……そんな事もないけれど。このところあまり姿をお見掛けしないし」

「さぁ、私もそこまで詳しく公爵様の事情を存じ上げているわけでは。今度それとなく皆に聞いてみます」


「いや、あのね。別にそこまで知りたいってわけでも……」

「大丈夫ですよ!ロディーヌ様に頼まれたなんて口が裂けても言いませんから!」


 その時だった。

 屋敷の中が急に騒がしくなる。

 誰かがこのテラスへと走ってくる気配がする。


 ロディーヌとメアリーは顔を見合わせた。

 そして扉が開き、一人の女性が入ってくる。


「リュー!リューウェインはどこ?あら、あなたたちは一体?」


 金髪に青の瞳、すらっとした姿の美しい女性が問いかける。

 ロディーヌもメアリーもその女性の迫力に押され、一瞬体が固まってしまう。

 いきなり入って来て何の挨拶も無しに、とは後になって思った事である。


「い、いえ……あの……私は……別に」

 とっさに言葉が出てこない。

 

 自分はどうしてこうなんだろうとロディーヌは思う。

 ちょっとした事ですぐうろたえてしまう。


「こちらは、レンスター公爵リューウェイン様の婚約者であられるロディーヌ様です。ところであなた様は?」

 メアリーが一応の礼儀を保って返答する。


 その女性はメアリーの問いかけには答えず、じろりと見ただけだった。


「そう。じゃ、こちらで待たせてもらうわ」

 そう言うと空いている椅子に腰かける。


 ロディーヌとメアリーはちらりと顔を見合わせる。

 女性の迫力に押されて何も言い返せない。

 

 リューウェイン公爵に何らかのかかわりがある人であることは、おそらく確かだろう。

 気まずい時間が流れたが、それは実際にはごくわずかな間だった。


 そして扉を叩く音がした。

 入ってきたのは近侍のルーシャスだった。

 一礼すると、落ち着いた声でその女性に話しかける。


「キーラ様。公爵閣下はもうすぐお戻りになられます。どうか別室でお待ちください」


「ここでいいわ」

 その女性が答える。


「いえ、しかし……」

「そうやっていつもあなたたちは、ごまかすんだから」

「ですが」


「私ならかまいませんわ」

 思わずロディーヌが言う。

 ルーシャスとキーラの視線が集まる。

 

 知らない人と一緒にいるのは気づまりな事は確かだ。

 だがこれ以上目の前で言い争いが繰り広げられるよりはましだった。

 そう思ったが、二人に見られると何か気おされてしまう。


「では決まりね。ルーシャス下がっていいわ」

 それ以上言い返しようもない様子で、ルーシャスは唇をかみしめると、一礼して去っていった。


 再び沈黙の時が流れる。

 キーラと呼ばれたその女性は、悠然とした態度で、紅茶のポットを手に取る。


「カップはありますかしら?」

 こちらに向かって聞くと、メアリーがすぐ取りにいく。

 渡されたカップに自分で紅茶をそそぎ、ゆっくりと飲み始めた。


 それにしてもため息が出るような美しい女性だった。

 初対面にもかかわらず、どこかで会ったような気がする。


 とはいえ勢いでああ言ってしまったものの、これ以上知らない人間といる気まずい時間に耐えられそうもない。

 ロディーヌがそう思った時だった。


「失礼するよ」

 入ってきたのはリューウェインだった。

 いつも冷静な彼に似合わず、少しいらついたような表情が見える。


「あら、リュー。お久しぶり」

「急になんだ。話ならあちらで聞こう」

「その手にはのらないわ。いつもそうやってごまかすんだから。話はここで出来るでしょ」


「金ならこの間送ったろう」

「あれっぽっちじゃ足りないのよ」


 いきなり始まった修羅場を前に、ロディーヌはあっけにとられていた。

 真っ先にわき起こったのは、早くこの場を立ち去りたいという感情だった。


 リューウェインが入ってきた時点でそうすべきだったかもしれない。

 ただ、何となく時期を逸してしまった。


 メアリーも同じような様子であった。

 時々彼女と顔を見合わせて目配せする。


 もしかしてこの女性は、リューウェインの愛人なのだろうか?


「リューもこの家の人もいつもそうやって、あたしをのけ者にするのね」

「わかったから、とりあえず落ち着け」

「あたしは落ち着いているわ」


 埒があかないと思ったのか、リューウェインはルーシャスを呼ぶ。

 ルーシャスに持ってこさせた小切手に数字を書き込んで、キーラに渡した。


「これでいいだろう」


 キーラはその小切手に書かれた数字をちらりと見て言った。


「こんなもんかしらね。今回はこれで勘弁してあげるわ」


「そんな事より子供たちはどうした?」

「大丈夫。ちゃんと定期的に会ってるから」

「先日様子を見に行ったが、もうずいぶん会ってないと言ってたぞ」

「あなたには関係ないでしょう?」

「関係なくは……」


 リューウェインは途中で言葉を押しとどめた。

 これ以上言い争っても無駄だと思ったのだろう。


 キーラは小切手をしまうと、軽く一礼する。

「どうもお騒がせしました。じゃあね、兄さん」

 そう言って、多すぎる装身具をじゃらじゃらと鳴らすと、テラスから出ていった。

 リューウェインは何も答えず、軽く肩をすくめただけだった。


 一つため息をつくと、リューウェインはロディーヌの方を向いて言った。


「どうも下らない茶番を見せてしまったな。すまないロディーヌ」

 

 軽く頭を下げる公爵に


「いえとんでもございません。妹さんでしたのね」

 何故かほっとしている自分がいた。


「ああ。我が家の恥を話すようだが彼女は……いや」

 リューウェインは口ごもる。


「人も家もそれぞれ事情があろうかと存じます」

 ロディーヌはリューウェインの目を見ながら話しかける。


 リューウェインもロディーヌを見つめる。

 しばし時が流れたが、先に視線を外したのはリューウェインだった。


「今夜は一緒に夕食をとれると思う」

 綺麗に手入れされた庭園を見ながらリューウェインが言う。


「君がこのあいだ作ってくれた……あの川魚のグリルかな。あれを頼む」

「はい」

 ロディーヌは短く答えた。


 公爵がテラスから出ていった後、何となく気をそがれたまま、ロディーヌとメアリーは黙り込んでいた。


「妹さんがいらしたのね、リューウェイン様は」

 ロディーヌの言葉に


「そうですね。他にもお母さまと何人かお姉さんや妹さんがいらしたはずで」

 メアリーが答える。


 そういえば、そんな話を聞いた気もする。

 母親と妹・姉がいて、父親は亡くなり家督をついだ。

 知っているのはそれだけだ。

 

 リューウェインはどのようにして育ち、どんな人生を送ってきたのだろう?

 いつのまにかそんなことを考えていた。


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