第10話 ロディーヌの望み

 二人は一階の応接室に場所を移す。

 外にはテラスがあり、日当たりの良い場所だった。

 

 近侍のルーシャスが、紅茶とデザートを運んでくる。

 りんごのケーキとチョコレートムースだった。

 丁寧に一礼すると、部屋を出ていき、公爵と二人きりになる。


「君が好きだと聞いてね。別のものがよければ運ばせる」

「い、いえ。十分です。ありがとうございます」

 

 いつの間に公爵は自分の好みなどを知ったのだろうと思ったが、メアリーに聞いたとのことだった。

 最もこんなものを食べるのは、子供の頃以来だ。


「あらためて執事長を助けてくれて礼を言う。ありがとう」

「いえ、とんでもございません」

 

 銀髪に覆われた公爵の整った顔が、ロディーヌの顔を正面から見ていた。

 澄んだ紫水晶アメジストの瞳で見つめられ、思わず下を向いてしまう。


 公爵は言葉を続けた。


「あの薬は君がつくったのかね?」

「はい。ですが正確には、母が残してくれた製法を元に作りました」

「ほほう、やはり君の母上が」

「母をご存じなのですか?」


「直接知っているわけではない。キングストン家の薬や香料が有名になったのは、君のお父上のリーアム殿が、君の母上のイーファ殿と結婚されてからだ」

 

 そこで公爵は一旦テーブルの紅茶を一口すする。


「リーアム殿は元々そういった事に詳しいわけでも熱心でもなかったからな」

「そこまで知っておられるとは……」


「正直に言うと、君の実家への援助はそれもある。様々な薬の製法や、色々なものの原料になる植物のね」


 これはあくまで契約結婚だ。

 愛ではなく、打算と利害と体裁による。

 

 公爵の話に、ロディーヌはそう思い知らされる。

 なぜかはわからないが、その思いはロディーヌの心の一部に痛みを感じさせた。

 

「それで今回の事で、君にお礼をしたい。何か望みのものはあるかな?」

 

 公爵の言葉にロディーヌは驚く。


「いえ、とんでもございません。当然の事をしたまでです」

「そういうが、使用人達に聞いても、君は何も要求しないというではないか。この屋敷に来てから一度も」


「それは……皆さんもう十分よくしていただいてます」

「何も遠慮することはない。やりたい事があれば協力しよう。何しろ婚約者なのだからな」

 

 といってもろくろく会話もしたことがない、他人のような間柄だ。

 自分で言っていて空疎な言葉に思えたのか、公爵の顔に自嘲めいた笑みが浮かぶ。


 よい機会かもしれない。

 ロディーヌは思い切って切り出してみた。


「ではお願いがあるのですが……」

「何かな?」

「はい。植物を育てたいのです」

「植物を?」


「その……実家にいた時に栽培していたものや、あとは色々な実験なんかができると」

「なるほど。それくらいはお安い御用だ」

 

 リューウェインは呼び鈴を鳴らした。しばらくして近侍のルーシャスが部屋に入ってくる。


「屋敷の東側の区画に温室や花壇があったな、確か」

 いきなり公爵は本題に入る。

 なんのことでしょうかとも聞かず、ルーシャスは答える。


 「はい。庭師が手入れをしておりますが、何かにお使いのおつもりでしたら、問題はないかと存じます」

「新しく花や薬草を作れるだけの場所を確保したい。どのくらいあればいいかなロディーヌ?」



「はい。バラやキクなどを栽培できる場所が少しあれば……」

「ではあの一角全部と温室、それと納屋があったな?そこを改装して、薬の調合や実験ができるように。本棚や器具も準備してくれ」

「了解いたしました、リューウェイン様」


「あと……他に何かあるかな、ロディーヌ?」

「いえ、十分です」

「よし、では今から準備にかかってくれ、ルーシャス」


 ルーシャスは一礼すると部屋を出ていった。

 再び公爵と二人きりになる。


 しばらくの沈黙の時の後、先に口を開いたのは公爵の方だった。

 

「君の母上は花がお好きだったのかな?」

「はい。植物も動物も。花を育てることも。様々な草木から薬や香料を作る事にも長けておりました」

 

 元々ロディーヌの母親は、王都の西北にあるアルスター地方の男爵家の出身だった。

 小さいころから野山を駆け回り、自然に親しむ、活発な少女であったようだ。

 

 ただ幼い頃に両親を亡くし、王都にある遠縁の伯爵家の養女となった。

 そして父に見初められ、結婚することになる。


「アルスターのね」

「はい、私は行った事はないのですが、海沿いの近くの小さな村だったそうです」

「そうか」

 公爵は少し考えこむ様子だった。


「伝承によれば、アルスターの遥か北の海の向こうに、永遠の楽園ティルナノーグがあるという。建国の女神であり、大賢者と呼ばれたエリウが最後に向かった先だとも」

 

 その話ならロディーヌは知っていた。

 エリン王国の人間なら五歳の子供でも知っている話だ。


「またもう一つの言い伝えに、エリウはティルナノーグに向かわず、アルスターの海辺の街で人として暮らしたというものもあるな」

 

 公爵は軽くかぶりを振った。


「まぁおとぎ話について考えても仕方ない。するとキングストン家の香料や薬その他のものは、君たち親子が作っていたのかな?」


「はい。母が生きているときは母が。母が亡くなってからは私が。もちろん一人では無理ですから実際は使用人や職人たちの力が大きかったですが」


「なるほどな」

 リューウェインは軽く腕組みして何かを思い返す様子だった。


 父は元々花にも薬草にも興味はなかった。

 使用人たちに任せておけば、自然といくらかの収入が入ってくるからだ。

 母が亡くなり義母と再婚してからは、義母の実家の財力の方にばかり目を向けていた。

 

「この子のいう通りにしてくれ」

 父が使用人や職人に言ったのはそれだけだ。

 

 義母や妹はもちろん何の興味もなかった。


「お姉さまはまた暗いところに閉じこもって何をなさってるのかしら」

 何度か嫌味交じりにそう言われたくらいだった。


 公爵が何か言おうとしたその時だった。

 扉を叩く音に続いて、ルーシャスの声がした。


「リューウェイン様、たった今王宮より緊急の連絡がございまして」

 彼にもなく少し慌てたような声だった。


「何だ?入れ」

 

 ルーシャスは部屋に入り、急いで礼をすると言った。


「王宮からの使者によりますと、第一王子のアラン殿下が亡くなられたとの由にございます」

 


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