第9話 執事長の病気
「元々持病がおありだそうで。いつも薬をお持ちでした。それが今日はたまたま持ち合わせておられないという事で」
「お医者様は?」
「お呼びして応急処置をして頂いております。ですが思うようにいかなくて」
「わかったわ。ちょっと待って」
ロディーヌは自室の棚を開けると、薬箱を取り出す。
何か深い考えがあったわけではない。
それは本能に近いものであった。
「メアリー、執事長のところへ連れて行って」
「わかりました」
メアリーはこういう時に、余計な事は言わない。
二人が一階へ降りていく。
客間の一室の扉の前に使用人たちが集まっていた。
皆一様に心配そうな表情をしている。
メアリーが一同に様子をきく。
一人の年配の女性が答えた。
「今お医者様がいらしてて、容体は落ち着いているようだけど……」
その女性の話によると、執事長は息はあるらしいが意識を失っている。
医師が付き添っており、公爵も中にいる。
容体はかんばしくなく、いつどうなるかもわからないとの事だった。
「ちょっと通してください!」
メアリーが叫ぶと、勢いに気圧されたのか皆は道をあけた。
室内に入るとベッドの上に執事長が横たわっていた。
その周りを幾人かが囲んでいる。公爵もいた。
一同は、何をしにきたのだという目でちらりと見た。
近侍のルーシャスが近づいてきて、口を開こうとした瞬間。
「差し出がましい申し様ですが、お役に立てるかもしれません」
メアリーの声が、静かな室内に響いた。
室内の視線が一斉にメアリーに集中する。
「さぁ、ロディーヌ様」
メアリーはロディーヌの背中を軽く押しやった。
ロディーヌはびっくりして一瞬体が固まってしまう。
しばらくの沈黙の後に、ようやく言葉を絞り出す。
「あの……この……キングストンの」
ショーンの婚約者であった時はそれなりに礼儀作法を仕込まれた。
ただそもそも、知らない人たちの前で話すことなど慣れていない。
何を言ってよいかもわからず、ロディーヌは口ごもる。
「キングストン家は様々な症状に効果がある薬を製造しております。もし他に手立てがなければ、試してみてはいかがでしょうか?」
メアリーが助け船を出す。
「キングストン家が薬や香料等を製造しているのは知っている。なかなかの評判だという事もな。だが……」
リューウェイン公爵が医者の方をちらりと見る。
「執事長のお使いの薬はかなり特殊なもので、私には手の施しようがございません。他に方法はないかもしれません」
初老の医師は少し考えた後、落ち着いた声で答えた。
「ではロディーヌ、お願いできるかな?」
公爵の決断は早かった。
「は、はい。執事長のご病気はどのような?」
「心臓の病でございます」
医師が答える。
ロディーヌは薬箱から青い瓶を取り出すと、医師に渡す。
「こちらです」
医師は瓶を眺め、蓋をあけて中を調べる。
小皿に落として他の薬品と混ぜたり、匂いを嗅いだりしていた。
問題ないものだと思えたのか、瓶の中身を執事長の口元に数滴たらす。
効果は急激だった。
土気色だった顔がみるみる血色を取り戻し、穏やかなゆったりした呼吸にもどる。
周囲の人々の顔が、一様に驚きに包まれた。
それを見ながらロディーヌは、ほっと安堵の吐息をついた。
「……これは……私はまだ……生きて……」
目を開けた執事長エドモンドの第一声だった。
医師が穏やかに語りかける。
「エドモンド様、もう大丈夫でございますよ。ロディーヌ様の薬のおかげです」
体を起こそうとする執事長を、あわてて医師がおしとどめる。
「いえ、もう大丈夫です。ご心配おかけしました」
ベッドに横になりながら、執事長は落ち着いた声で答える。
呼吸も落ち着き、顔色も普段と変わらなかった。
「いつもの持病の薬をきらしておりまして。かわりのものを飲んだのですが、効かなかったようです」
「執事長がお使いの薬は、かなり特殊な材料を使っておりますからな。」
医師が言った。
「はい。とにかくありがとうございました、皆さま。そしてロディーヌ様」
執事長の言葉にロディーヌはそっと礼を返す。
公爵が口を開いた。
「私からも礼をいう、ロディーヌ。執事長を救ってくれてありがとう」
澄んだ
「え、はい……あの……とんでもございません。」
それだけ言うのが精いっぱいだった。
もう夜も遅いということで、医師と世話役の使用人数名を残して、それぞれ部屋へと戻る。
ベッドに横になり、ロディーヌは先ほどの事をぼんやりと思い返していた。
あの薬が、必ず効くという確信があったわけではなかった。
だがとにかく執事長が助かって良かった。
母が残した記録や自分なりの研究で作った薬は他にもある。
ただキングストンの家を離れたので、材料となる植物がもう入手できない。
ここで栽培できればいいのだが……
とりとめもない思いが浮かんでは消えたが、いつのまにか眠り込んでしまう。
そして翌朝、扉を叩く音でロディーヌは目が覚める。
すっかり寝過ごしてしまった。
早く食事の準備をしなければ。
その時扉の外からメアリーの声がした。
「朝早く申し訳ありません。公爵様が朝食をともにしたいと仰せです」
いつもの公爵は気まぐれで、部屋で食事をとることも多い。
たまにふらっと食堂に現れたり、食事を用意する必要がない時はそう告げたりはする。
急いで身支度を整え、階下の食堂に向かう。
ほぼ同時にリューウェインもやってくる。
「おはよう、ロディーヌ」
公爵の方から挨拶してきた。
「おはようございます、公爵様」
「リューウェインでいい」
「……おはようございます、リューウェイン……様」
そのようなやりとりの後、それぞれの席につく。
ロディーヌと公爵は向かい合って座った。
公爵と顔を合わせて食事をするのは、久しぶりな気がする。
どことなく彼の視線を感じ、ロディーヌは何となく落ち着かなかった。
特に会話もなく、二人はただひたすら黙って、目の前に出されるものを片付けた。
食事が終わると、公爵が再び口を開く。
「ロディーヌ、少し話がある。いいかな?」
「あ、は、はい」
公爵の意図は今一つわからない。
だがロディーヌに拒否する理由はなかった。
それにロディーヌにも公爵に話したいことがあった。
なかなか切り出すのも勇気がいるので、これは良い機会かもしれなかった。
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