第8話 コルデリア

 高価な装飾を施されたテーブルや椅子に東方の絨毯。

 豪華なシャンデリア。

 王宮の王子の間であった。

 

 そこに今二人の人間がいる。

 エリン王国の第二王子ショーンと、キングストン公爵家の次女コルデリアであった。

 

「今日も綺麗だね、コルデリア」

「まぁお上手ですわね、殿下」

 コルデリアは艶やかに笑う。


「いやいや、僕は君と婚約できて、本当に良かったと思ってるんだよ」

「あらあら、お姉さまにも同じ事をおっしゃってたんでしょう?」


 ショーンは顔をしかめて言った。


「とんでもない、父上の命令だ。彼女が聖女だったから、それだけさ」

「ではお姉さまには未練はないと?」

「当然だよ」

「それを聞いて安心しましたわ」


 コルデリアの本心はもちろんこんな殊勝なものではない。

 ショーンは魔力はともかく、武勇も政治力も平凡だとの評価だった。

 とりたてて才気にあふれているとか、民の信望が厚いといった事もない。


 さらには敵国だったアングル王国の姫との間の子というので、密かに宮廷で敬遠されていた。

 だがエリン王国の第二王子となればそんな事は問題ではない。

 

(まぁ目鼻立ちは悪くはないですけれど、いまいちぱっとしないわね)


 コルデリアがそんな事を考えているのを知ってか知らずか。


「今度の舞踏会で君を皆に紹介するのが楽しみだよ。僕の新しい婚約者がこんなに美しくて、優秀な魔術師でもあるってね」

 

 彼はいつも楽し気に二人の未来を語る。

 コルデリアに愛してるといい、贈り物も欠かさなかった。


 おそらく彼は私に夢中だ。

 コルデリアはそう思っている。

 そういう男はショーンが初めてではなかった。

 彼が自分に興味があるらしいと気づくと、彼女の方から接近した。


(もうあんな暮らしは二度と嫌!)


 コルデリアは、キングストン公爵とダンセイニ伯爵令嬢サーシャの間に私生児として生まれた。

 物心ついてしばらくたつと、何かがおかしいと幼心に感じた。

 

 実家は裕福ではあったが、母とコルデリアは屋敷の片隅の納屋で暮らしていた。

 使用人たちもあまり寄り付かず、こちらから挨拶しても無視するものも多かった。

 

 母の父、すなわちコルデリアの祖父は、彼女たちを飢えさせる気はないが、家族の一員として扱う気もないようだった。

 

 ある日知らぬ男が母を訪ねてきた。

「この人があなたのお父さんよ」

 

 母の言葉に疑問が湧きおこる。

 父親なのになぜ私たちと一緒に暮らさないのだろう?

 

 それからたびたびその男は家にやってくるようになった。

 ただそのたびに決まって激しく言い争う声が隣室から聞こえた。

 主に母のものであったが。

 

 後に知ったが、その頃彼女の父キングストン公爵リーアムは別の女性、すなわちロディーヌの母親と結婚していたのだ。

 

 幼い日の記憶は、ひもじさとみじめさと両親の怒号に塗りつぶされていた。


 だがそんな日々も長くは続かなかった。

 その日は突然やってきた。


「サーシャ、コルデリア、迎えに来たよ」

 豪華な馬車から降りてきた父が言った。

 父の妻だった女が亡くなったため、母を正式な夫人として迎えるのだという。


 そして父の屋敷で暮らすことになった。

 キングストン家は特に裕福ではないとの事だった。


 ただ今までとは比べものにならない豪華な部屋と食事。

 召使たちは皆うやうやしく接してくる。

 そして口々に、お可愛いだとか頭がいいだとか褒めそやす。

 

 続いて祖父が亡くなり、全ては変わった。

 実家の財産は母が受け継ぐことになった。

 

 今までこちらを無視していたような、ダンセイニ家の使用人たちは一斉に媚を売り始める。

 母はその人間たちを全て解雇した。


 父の家には一人の少女がいた。

 異母姉のロディーヌである。

 同じ血を引いている姉妹だったが、コルデリアは憎しみの感情しかわかなかった。

 

 自分と母親をいままであんな目に合わせてきた仇だとすら感じた。

 ロディーヌの大人しく従順な態度が、なおさらコルデリアの嗜虐心に火をつけたかもしれない。


「ところでお兄様はいかがです?」

「兄はあいかわらずだ。元々体が丈夫でないからね」

 

 第一王子のアランは幼い頃から病弱だった。

 名誉職にはついているが、政務に直接たずさわってはいない。

 結婚しているが子供がいなかった。

 

 もしアランがいなくなれば、必然的に第二王子のショーンが次の王になり、コルデリアが王妃となる。

 

(そうなればもう、誰からも虐げられたりはしない)


 心の中に浮かんだ考えをあわてて振り払う。

 さすがに空恐ろしく思えたのだ。


 ショーンはコルデリアをじっと見つめて言った。


「ねぇコルデリア。兄はあんなだから僕が頑張らなきゃいけないんだ。僕たちは婚約者だし、いずれ夫と妻になる。コルデリアも色々協力してくれるよね?」

「……ええもちろんですわ」


 ショーンの目が強い光を放っていた。

 それはコルデリアがはじめて見る、心の奥底を射抜くような鋭い眼光だった。

 

 平凡でつまらない男としか思っていなかったショーンに対し、コルデリアは恐れにも似た感情を、抱き始めていた。



◆◆◆◆◆



 特に変わりの無い日々が過ぎていった。

 ロディーヌは公爵のために食事をつくり、本を読み、母の資料の整理をする。

 

 相変わらず公爵とは、あまり顔を合わせる機会がない。

 いつ出かけて、いつ帰って来て、いつ寝ているのかもわからない。

 どこで何をしているかも。


 婚約者とはこんなものなのだろうか?

 愛し愛されて結婚するわけでもない、政略結婚なのだからきっとそうなのだろうけれど。


 とはいえロディーヌには、ここより他に行く所はない。

 ここが駄目なら僧院にでも入るしかない。

 ただロディーヌの心の中にある望みからは、ますます遠くなるだろう。


 その日もロディーヌは自室で母の残した日記を読んでいた。

 それは、虹色の薔薇に関するものだった。

 虹色の薔薇というものは、まだこの世には存在しない。

 

 母は生涯かけてその研究に取り組んでいた。

 母の記録は過去の母との対話でもある。

 

 ロディーヌは家族とも折り合いが悪く、メアリー以外友達というものもいない。

 それは孤独を埋めるために必要な儀式であったかもしれない。


 熱心にページをめくる最中にふと手を止める。

 何やら屋内が騒がしい。

 

 使用人達の声に、走り回る音。

 あちこちの部屋に灯りがついている。

 

 ロディーヌはそっと自室の扉を開ける。

 するとメアリーが廊下の向こうから走ってきた。


「ロディーヌ様!」

「どうしたのメアリー?」


「それが執事長のエドモンド様がお倒れになって」

「え?一体どういうこと?」


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