第6話 戸惑い

 朝目が覚めると、部屋の様子がいつもと違う。

 部屋の飾りつけも、ベッドの寝心地も普段よりはるかに上質だった。

 一瞬の混乱の後に気づいた。

 

(そうだ……ここはキングストンの家じゃない。レンスター公爵様のお屋敷なんだ)


 家が違ってもやる事は変わらない。

 顔を洗い、歯を磨き、髪を整える。

 隣室からノックの音がした。


「ロディーヌ様、よろしいですか?」

「メアリー?私も今起きたところよ」

 メアリーは急いでロディーヌの着替えを手伝う。


「すいません。もう少し早く起きるつもりだったのですが……」

「いいのよ。色々と初めて続きですものね」


 しばらくして、朝食の準備ができたと公爵家の侍女が知らせに来た。

 ロディーヌたちは一階の食堂に案内された。


 メアリーはロディーヌ付きの侍女ということで、今回は特別に同じテーブルに座ることになった。

 メニューは牛肉のシチュー、子羊のグリル、ポテトサラダ、牡蠣とスモークサーモン、といったかなり豪華なものだった。


 ロディーヌは周りを見回して、給仕係にたずねる。

「公爵様は……?」

 

 給仕は無表情に答えた。

「今日はいらっしゃいません。リューウェイン様はお部屋でお食事をとられる事も多いので」

「そう……ですか」

 

 食事が終わると部屋に戻る。

 一通り荷物の整理をすると、特に何もすることがない。

 とりあえず庭に出てみる。


「箒はないかしら、メアリー?」


 メアリーが屋敷の人間に掃除道具一式を借りてきてくれた。

 ロディーヌはメアリーと一緒に、庭を掃き始める。


 こうしていると何となく落ち着く。

 ロディーヌにとっては、昔からの習慣のようなものだからだ。


 だがすぐにレンスター家の使用人達が飛んでくる。


「とんでもありません!公爵令嬢ともあろうお方に、こんな事をしていただく訳には」


 あわててロディーヌをとめる。

 どうやらメアリーが掃除道具を使うと思っていたらしい。

 彼らにとって、主の婚約者の公爵令嬢が下働きのような事をするのは、想像もしない事態であるようだ。


 ここで争っても仕方ない。

 ロディーヌはメアリーを残して屋敷の中に戻る。


 一階の広間の壁に目がとまる。

 それは巨大なタペストリーだった。

 エリン王国の建国伝説をモチーフにした、よくあるものだ。

 

 中央に描かれているのは、女神エリウだ。

 エリン王国の名前の由来となった、最も人気のある女神だった。


 額にはエリウの紋章が描かれている。

 魔術師をあらわす星の紋章。

 聖女をあらわす月の紋章。

 神々をあらわす太陽の紋章。


 その三つが組み合わさったもので、三紋章トライアド、もしくは単にエリウの紋章と言われている。


 タペストリーは壁じゅうにはられていた。

 どうやら部屋を一周すると一続きの物語になっているらしい。


 女神エリウの他にも様々な英雄や怪物達が描かれている。


 元々エリン王国の祖先は、他の大陸からこの小大陸にやって来たという。

 その時女神エリウだけでなく様々な神々の加護を受け、怪物を倒しこの大陸の騒乱を治めた。



 女神エリウの四神器と言われる、運命の石リア・ファル光の剣クラウ・ソラス、ルーの槍、ダグザの大釜。

 これらの故事は特に有名であった。


 エリウの横のタペストリーに目をやる。


 巨大な一つ目の巨人がいた。

 光の剣クラウ・ソラスらしき剣に瞳を貫かれ倒れこんでいる。

 これも有名な邪眼の巨人バロールだった。


 そういえば、邪眼の巨人バロールから吹き出た血を浴びて咲いたという、暗黒のバラというものもあったな。


 ロディーヌがそんな事を考えた時だった。


「興味があるのか」


 いきなり声をかけられる。

 リューウェイン公爵だった。


「は、はい。まぁ……あの」

 何と言っていいかわからず、ロディーヌはそう返答をする。


地獄の悪鬼グレンデルか」

 リューウェインはぽつりと呟く。

 ロディーヌは公爵の視線の先を見る。


 それは当時はアングル地方と呼ばれていた、アングル王国に住む怪物、地獄の悪鬼グレンデルだった。


 毛むくじゃらの体に、醜い顔、赤く光る眼。

 巨大な猿というべき生き物だ。

 その周りにはエリンの戦士たちが描かれていた。


(そうだ、いい機会かも)


 本当はロディーヌにはやりたい事があった。

 薬草や花の栽培、香料や薬の製造などだ。


 ただそうは言っても、キングストン家の香料や薬も実際はロディーヌが作っていた、という事は簡単には信じてもらえそうもない。

 

 それは公爵令嬢がやるような事ではないからだ。

 先ほどのレンスターの使用人達の態度を見ても、あらためてそう感じる。


(でも、言わなくちゃ。何でも言ってくれとおっしゃってたんだから)


 ロディーヌは何度目かの決心をして顔を上げる。


「あ、あの」


 リューウェインは既に立ち去っていた。


 ロディーヌは一つため息をつく。

 そして背後を振り返る。


 そこにもエリウが描かれていた。

 彼女の操る茨の枝が、地獄の悪鬼グレンデルに絡みつき地面に引き倒している。


 女神エリウ。

 神であるとも、半神半人であるとも言われる。

 全ての属性の攻撃魔法と回復魔法、この世のあらゆる魔法を使えたという。

 

 それゆえに、大賢者とも呼ばれていた。

 そしてエリン王国に危機が訪れた時、再び大賢者エリウの力を持つものが現れる。

 そう伝承は伝える。

 

 これらのタペストリーに描かれている神々や英雄達は、エリン王家の祖とされている。

 つまりエリン王家の血も引くキングストン家のロディーヌにとってもご先祖様だ。


(私はやっぱり、女神ブリギッドやエリウのように雄々しくなれそうもない)


 簡単な事も言えずに、うじうじ悩んでいる自分。

 何となくご先祖様に申し訳なく感じる。

 

 そんな沈んだ思いを抱えながら自室に戻った。

 まもなくノックの音がした。

 それはもちろんメアリーだった。


「ロディーヌ様。このお屋敷の人達は、本当に良い方ばかりですよ」

 笑顔で言う。


 どうやらもうレンスターの使用人達と仲良くなったらしい。

 メアリーは明るく社交的で、誰からも好かれた。

 ロディーヌはそんなメアリーがまぶしかった。


「ロディーヌ様。このお屋敷の仕事を私がお手伝いさせていただくよう、お願いしてみてもいいですか?もちろんロディーヌ様のお世話は今まで通りいたします」


「もちろんよ、メアリー。それがいいかもしれないわね」

「ええ。このお屋敷に馴染むためにも。それに色々と情報を仕入れる必要もありますし」


 ロディーヌはメアリーに今の自分が考えている事を話した。


「それは中々難しいですわね。土地や器具や建物も必要ですし」

「そうねメアリー。今すぐってわけではなくても、花壇くらい借りられないかしら」


 その時メアリーは何か思いついたようだった。

 

「そうですわ。公爵様にロディーヌ様がお食事を作る、というのはどうでしょう?」

「公爵様にお食事を?」

「まずは相手の胃袋をつかむ。これですわ。それに小さな事から信用を積み重ねるのが大事ですし」


 それは確かに一つの案かもしれないと、ロディーヌは思った。

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