第5話 レンスター公爵
そしてその日がやってきた。
「それでは行ってまいります」
「ああ、気を付けて」
見送りに出てきたのは、父とごく少数の使用人たちだけだった。
ロディーヌに付き添うのはメアリーのみである。
当然のごとく、義母と妹はいなかった。
ロディーヌとメアリーは迎えの馬車に乗る。
目的地は王都にある公爵の邸宅だ。
レンスター公爵は領地に帰る事は少なく、大半を王都の邸宅で過ごしているらしい。
エリン王国の武の要であるから、それも当然であるだろう。
馬車に揺られながら、ロディーヌはこれからの事を思った。
残忍で冷酷で女嫌いの公爵。
エリン王国は、東のレンスター、南のマンスター、北のアルスター、西のコノートと、四つの地域に分かれている。
レンスター公爵とは、その東のレンスター地域を丸々所有する大貴族であった。
公爵は本当はどんな人なんだろう。
果たして自分は、良い妻になれるのだろうか。
そもそも良い妻とは何だろう?
結婚ってなんだろうか?
様々な思いが駆け巡る。
ロディーヌもメアリーも、荷物は多くはなかった。
全て不自由はさせない、何なら手ぶらでも構わないと、あらかじめ公爵側から連絡があった。
着替え、いつも持ち歩いている香油や薬の入った箱、植物の種や栽培レシピ、母の日記。
ロディーヌの持ち物といえばそのくらいだ。
二時間ほど馬車に揺られると目的地に着いた。
公爵の邸宅は王都郊外の閑静な場所にあった。
広大な敷地は緑に覆われ、巨大な鉄の門と高い塀に囲まれている。
庭には噴水がある。
門の両脇には創造神ルゴスと戦の女神ブリギットの像が飾られていた。
敷地の大きさといい邸宅の豪華さといいキングストン家とは比べ物にならない。
ロディーヌはメアリーとそっと目を見合わせて、低い声で話す。
(さすがはレンスター公爵家ね、メアリー)
(何だか緊張しますわね)
そのような会話を小声でかわしながら、建物の中に入った。
使用人達が両脇に並び、ロディーヌ達に一礼する。
彼らの案内で、建物を入って右側の部屋に通された。
どうやら応接室らしい。
ロディーヌ達は案内されたソファーに座った。
「しばらくお待ちくださいませ」
侍女が一礼して部屋を出ていく。
しばらくして、扉を叩く音がした。
「どうぞ」
ロディーヌが声をかけると、はっと目を引くほどの美少年が入ってくる。
丁寧に一礼すると、テーブルに紅茶のカップを置き、ティーポットから液体を注ぐ。
「ありがとう。あなたのお名前は?」
ロディーヌは少し勇気を出してたずねてみた。
「ルーシャスと申します。レンスター公爵閣下の近侍としてお仕えしております」
少年はにこりともしなかったが、完璧な儀礼を保って返答する。
「もうすぐ公爵閣下が参ります。今しばらくお待ちくださいませ。御用がなければ下がってもよろしいでしょうか?」
こちらに悪意を持っているわけではないだろうが、ルーシャスの態度は親しみや気安さとほど遠いものだった。
ルーシャスが出ていくと、ロディーヌとメアリーは同時にほっとため息をついた。
今までの公爵家の使用人たちの態度からしても、自分たちがどんな立場かおぼろげに察せられる。
公爵と婚約し、順調にいけば、公爵夫人となる。
だとしても必ずしも好意を持たれているわけではないようだ。
しばらくして扉の外から近侍のルーシャスの声がした。
「公爵閣下がお越しでございます」
そしてレンスター公爵リューウェインが部屋の中に入ってくる。
銀髪に
今日は全身黒ずくめの服装だった。
「ようこそロディーヌ殿」
リューウェインは冷然とした口調で言う。
「こちらこそ、以後よろしくお願いします」
ロディーヌは立ち上がり、軽く腰を折って一礼し、メアリーもそれに続いた。
公爵はにこりともしないまま、軽くうなずく。
「このたびは、婚約をお申し込みいただき誠にありがとうございます。大変光栄です」
公爵に気おされながらもロディーヌは言った。
「そのことだが。お父上から、うかがっておられぬかな?」
「いえ、父からは具体的な事は何も聞いておりません」
大体の想像はつくがロディーヌはそう答えた。
「そうか。まずは座ってください」
公爵は侍従のルーシャスの方を軽く一瞥する。
ルーシャスは一礼すると、部屋の外に出る。
「君の父上とは話をした。キングストン家とレンスター家は婚姻関係を結ぶ。両家の友好の証として、レンスター家はキングストン家に毎年援助を行う。まぁそういった事だ」
侍従の少年が戻ってきて、新しいティーポットをテーブルに置いた。
カップに注がれた紅茶の香りを少し楽しんだ後、公爵は飲み干す。
大方そんなところだろうとロディーヌは予想していた通りだった。
キングストン家は名門の部類に属するが、経済的にも政治的にも下り坂である。
元々血筋は良いが、金銭的には裕福ではなかった。
いくら義母の実家が資産家だとはいえ、義母や妹が湯水のように金を使うので当然ではある。
公爵はカップをテーブルに置くと、再び口を開いた。
「君はレンスター公爵夫人としてふるまってくれればいい。やりたい事があれば協力しよう。不自由はさせない」
「君のやることに干渉はしない。だが私の事も構わないで欲しい。それだけだ」
そう、これはあくまで政略結婚だ。
愛や恋の入り込む隙間はない。
「はい。わかりました」
ロディーヌはそれだけ言った。
公爵は軽くうなずく。
「私の事はリューウェインと呼んでくれ。必要なものがあればこのルーシャスか、執事長のエドモンドに言うといい」
それだけ告げると公爵は立ち上がった。
「二ヶ月の婚約期間が終わり、異議申し立てするものがなければ結婚式だ。最も誰もそんな事をする人間はいないだろうがね」
ロディーヌは部屋を出ていく公爵の後ろ姿にそっと目をやると、軽くため息をついた。
これから明るく楽しい未来が開けているわけではないのは明らかだった。
そんなものはキングストン家にいるときも無かったが。
「それではロディーヌ様、こちらでございます」
近侍のルーシャスに案内され、ロディーヌのために用意された部屋に案内される。
部屋といっても、屋敷の一角といった方がいいかもしれない。
寝室、書斎、応接室、浴室。
さらにロディーヌ付きの侍女であるメアリーの部屋は、隣に用意されている。
「御用がございましたら、そちらのベルでお呼びください。何かお聞きになりたいことはございますか?」
ルーシャスが言う。丁寧な口調と裏腹に、どことなくロディーヌたちを拒絶するような雰囲気があった。
「いえ、ありがとう。何かあったらまたお願いしますね」
ロディーヌの言葉に一礼すると、
「夕食の用意ができましたらまたお呼び致します」
そう言ってルーシャスは部屋を出ていった。
応接室のソファーにメアリーと並んで座り、しばらくは沈黙の時が流れた。
「ロディーヌ様、お疲れでございましょう?夕食が終わりましたら、早めにお休みになられては?」
メアリーの問いかけに
「そうね……疲れたかもしれないわね」
ロディーヌはぽつりと呟いた。
バラ色の生活を期待していたわけではなかった。
だが結局どこへ行っても自分は籠の鳥のようなものなのかもしれない。
部屋の中に差し込む夕暮れの日差しに目をやりながら、ロディーヌはそう思った。
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