第1話 後編 デヴィッドという人物

 某日。

 肌寒くなる季節の昼時。デヴィッドは俳優養成所の小さな稽古部屋へと向かっていた。古めかしいビルの地下1階を間借りしているようで、俳優の卵が使用しない日は大道芸人たちの練習場になっていた。片付けが苦手な彼らは度々小道具を忘れて帰る。いつの日か乱暴に折りたたまれたピエロの衣装と、馬券の裏に殴り書きされた『飽きた。辞める。』という文字が残されていた(これはきっと競馬を辞めますと宣言した訳ではないだろう)。また別の日には使い終わったコンドームが部屋中に異臭を放っていたこともあった。それを片付けたのはもちろんデヴィッドだ。

 エレベーターを降り、歩く度に埃が舞うような廊下を抜ける。稽古部屋は既に電気がついていた。

「おや、デヴィッドさん。お久しぶりですね、稽古場で会うのは」

 デヴィッドは気だるそうに挨拶を交わす。今最も会いたくない人物だった。デヴィッドは自分より10も年下の彼が苦手だった。自分よりも若い彼から才能が溢れ出ているように見えていた。実際に彼は主役の座を自身の力で勝ち取っていた。彼が養成所に所属してから1年以内の出来事であった。たった1度だけではあるが、彼の演技力はデヴィッドよりも格上だと経歴が物語っている。

「社長から聞きましたよ。次は怪盗の役を演じるって。3ヶ月後に撮影ですよね?いいなぁ、僕も演じたい!」

(脇役ばかりの俺を羨ましがるなんて、嫌味たっぷりだな。)

 デヴィッドは着てきたボロボロのコートを脱ごうとして入口付近にあるハンガーを手に取る。視界に後輩の真新しいコートが映った。一瞬で理解した。素直に羨ましいと感じてしまう。とてもじゃないがその横に自身のコートを飾る気にはならなかった。コートのブランドを羨んだのでは無い。勲章に近いものであると理解したためだった。人間の性でもある醜い感情が湧き出て止まらなかった。この感情に気づかれぬように脱ぎかけたコートを羽織りなおす。

「君さ、俳優目指すの辞めようとか思ったことない?この世界って結局、運任せみたいなところあるじゃん。いつまでに辞めようとか決めてるの?俺は今すぐにでも辞めたいけど。1回だけ主役を演じたって、すぐ忘れ去られちまうだろう。いつまでも続けられる仕事じゃないよな」

 意地の悪い質問だと自覚しているデヴィッドは後輩の方に体を向けることが出来ないでいる。嫌味な言い方をして後輩に嫌われたいわけではない。デヴィッドの自尊心を保つための行動だった。後輩の神経を逆撫でし、この発言に感情的になったところまで想像した。そして殴られる事を期待した。被害者面をして「後輩に殴られた」と悪い噂を流せるからだ。しかし予想とは反してしまう。

「…僕は先輩の後ろ姿をずっと追いかけて行くつもりですよ。1年前に初めて出会った時から同じ気持ちです。変わっていません」

 後輩に全てを出し抜かれた。先程までのデヴィッドはあまりにも幼稚だった。デヴィッドはポツリ、そうか、と呟くと居心地が悪くなったのか頭を掻きむしった。爽やかな好青年はデヴィッドの口から出た言葉は本心では無いことを理解していたのだ。

「…煙草吸ってくる」

 背後から「行ってらっしゃい」と優しい声が聞こえた。更に惨めになった。

 エレベーターに向う途中に携帯電話が鳴った。画面には"My bro"と文字が映し出されている。通話を許可すると聞き馴染みのある声が聞こえてきた。

『やぁデヴィッド、良い知らせがある。怪盗が見つかったよ』


 祖父母が経営するレストランに集まった2人。言うまでもなく、店にいるのはいつもの顔ぶれ(あの6人)だった。対座するデヴィッドとアビゲイルは、その顔に似合わず神妙な面構えを保っていた。

「電話で話した人物についてだけど…。驚きのあまり大声を出すなよ。俺と彼の信頼関係をぶち壊すようなことは絶対にしないでくれ。万が一広まっちまえば俺は記者としての立ち位置が危うくなる」

 アビゲイルはすぅっと息を吸い口の前に人差し指を立て、よく聞け、とニヤける。デヴィッドは深く頷くと耳に全集中を傾けた。

「そいつは30代の男。小説家だ」

デヴィッドは怪訝な顔をした。

「小説家だと?空想にふけっているだけじゃないか」

「見くびるなかれ。彼の得意分野はサスペンス。今までに何冊か本を"出版"している。今後、怪盗を主人公に新しい本を執筆する予定らしいが、なんとそれは自身の暴露本に近いらしい。つまり実際の怪盗だったってことだよ」

ほぉ、と目を丸くするデヴィッド。

「興味深いな。彼の名前は?」

「さぁな俺も分からない。なんせペンネームで活動していてどこのTVメディアにも露出したことがない。それに映像として彼の姿はどこにも納められていないし、オファーが来ても全て断っているらしい。唯一確かなことは、そんな彼と俺には繋がりがあるってことだ」

「なるほどな。実際の怪盗だからこそ身を徹底的に隠しているのか。関心するよ。それで、俺はいつ会う事が出来るんだ」

「いいや、会う気は無いらしい。だから俺が2人を繋ぐ窓口になる」

「どうやって?せめて風貌だけでも教えてくれないか。怪盗のみてくれを全く想像が出来ない。一般市民に溶け込む怪盗の普段の姿はどんな感じなんだ?」

 そうだな、と考え込むアビゲイル。しばらく悩んだ挙句「俺みたいな人だ」と口を開いた。高身長で身なりが整っていて…。

「ゲイってこと?」

「…今拳銃を持っていたら迷わず撃ち殺していただろう。刑務所に入っても後悔しないさ、5年か?10年か?」

店内にデヴィッドの豪快な笑い声が響く。

「俺は嬉しいよ。いつも人生において余裕をぶちかますお前のガチギレ姿を見れて」

「なぁデヴィッド、俺のアイデンティティはそれゲイだけじゃないんだぞ。俺にも夢があったんだ。余裕のある人生ばかり送ってきたわけじゃない。話せば長くなる。酒でも頼もう。このレストランに置いてあるやつは全部、安くて悪酔いしやすい」

 珍しく本気で叱りつけてくる親友に、冗談だ、と苦笑いを浮かべた。

「とりあえず今後も俺の実家レストランに集まろう。他の場所だと金がかかる。ここはコーヒーだけならタダだからな」

「それは身内のお前だけだよ」

「あぁそういえば。今日は親友のお前が酒を奢ってくれるんだっけ?」

デヴィッドは阻止するアビゲイルを押さえつけウエイターを呼んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

万年脇役俳優デヴィッドについて @-ndA0lightsy

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ