第67話 釣り竿政策

 お見合いはデルフィア侯爵家の別邸で行われる事になった。

「この度は我がデルフィア侯爵家にご来訪を賜り……感謝を申し上げます」

憔悴しきったデルフィア侯爵夫人が別邸の門までわざわざ出てきて、俺達を出迎えてくれた。

「こちらこそ婚約の申し出を受けて下さって、心からの感謝を……」

デボラが丁寧に返礼していた、正にその時、窓ガラスが割れるような音が響き、同時に男の凄まじい怒鳴り声が轟いた。

な、何事だ!?

俺とデボラは凍り付いたし、すぐさま御者台からスティリコさんは俺達を守ろうと飛んできて、槍を構えて周囲を猛々しい視線で見据えた。

「……あれは、主人ですわ。最近、本邸の書斎で……娘の事で、ずっと……」

夫人から、出来たらどうぞ護衛も一緒に、と勧められた。


何でも……デルフィア侯爵は俺と娘の婚約に大反対していて、見合いの場に乱入してくるかも知れないと夫人は言うのだ。しかも一昨日から浴びるほど酒を飲んでいるらしい。

デボラはすぐさまスティリコさんに同行を頼んで、スティリコさんも勿論ですと即答してくれた。


 ――デルフィア侯爵の娘の溺愛っぷりは有名で、『悪い虫が付くといけないから』ってリュケイオン学園に通わせていないくらいだった。

その代わりに著名な家庭教師を5人も雇って、大事に大事に育てているらしい。

だから彼女の美貌こそ有名だけれど、実際にその顔を見た人はあまりいないのだった。


デルフィア侯爵夫人のハリッサさんに連れられて別邸に入って行くと……メイド全員が目を赤く泣きはらしていた。玄関近くの広間には跡取り息子のデルフィア侯爵令息(俺達の2つ下の学年である)が仁王立ちしていて、俺を見るなり――鼻息荒く詰め寄ってきた。

「レーフ公爵令息!僭越ながら、姉様との見合いの前にお話がございます!」

夫人が顔を青くして咄嗟に叱りつけた、「止めなさいバルトロマイオス!失礼ですよ!」

「いえ、侯爵夫人」俺は夫人を止めて、バルトロマイオス君に自ら近付いた。「バルトロマイオス殿、僕に何の話でしょうか?」

「先にお伝えしておきます。僕は皇族が大嫌いです」

スティリコさんがクワッ!と目を見開いた。

デボラも元皇女だからな……。

『よし分かった。デボラの母上を侮辱した貴様の首は養豚場の中に放り込む!』とカインまで騒ぎ出しやがった。

『待てよ。……話くらい最後まで聞いてやろう』

彼からは俺への明確な敵意こそ感じるが、悪意のように悍ましいものは全く感じられないのだ。

「どうして大嫌いなのか、理由を伺っても?」

「いつだって美辞麗句しか言わないからです」

「具体的には?」

「例えば……皇太子殿下は『釣り竿政策』を施行していらっしゃったでしょう!」


『飢えた者に魚だけを与えるのではなく魚の釣り方と釣り竿を与えよう』

フラヴィウス皇太子殿下がそう提唱し、主に就労支援と教育の布教によって――この帝都の治安を著しく悪化させていた最大最悪の原因である『貧民街』の大規模な環境改善に乗り出した政策だ。

最初の1年は成果が上がらず『税金を返せ!』とボロクソに貴族派から言われた(魔幸薬の事で揺さぶって、貴族派に臨時課税をして予算を作ったため)が、2年目になってから、目覚ましい成果を上げた。

かつては魔法を扱える貴族でさえ接近するのを恐れていた『貧民街』は、今や存在しない。『どうか改名の許可を』と住民達から訴えがあった事もあって、今では『魚釣街』と呼ばれているのだ。帝都の公式の地図にもそう載っている。もしくは住民の多くが従事している清掃業や肥料の製造業から由来して、『肥街』。とっても臭いそうな名前だからか、こちらはあまり使われていないが。


丁度、良質の肥料を――ジューニー州にいるフェニキア公爵が大量に継続的に必要としていたらしくて、清掃業は確かにキツい仕事だがその分の実入りも良いのだそうだ。

そういやレクスの雷親父は、農作物や農業の改革に着手しているんだったっけ。


誰よりも、この変化に大喜びしたのは帝都の平民や、『魚釣街』の近隣の住人だ。

『安心して眠れる』『妻や娘が1人で買い物に出かけられる』『落とした財布がそのまま戻ってきた!』『外に出かけた途端に強盗に遭う事も無くなった』らしい。

確かに、貴族街に住んでいる俺でさえ、かなりの良い方への変化を実感しているのだ。かつては貴族街から出た途端によく見かけた、道ばたにうずくまっていたみすぼらしい物乞いや、ゴミ捨て場をあさっている子供の姿ももう見かけていない。

代わりに飲み屋と遊技場と娼館が『魚釣街』の周辺に増えたのは仕方ないと思う。人間、そこまで完璧じゃないからな。


犯罪組織や犯罪行為、後は『魔幸薬』のようなものに頼らなくても『魚釣街』の住民が安定的に生きていける道を示す。

そうやって正々堂々と己の名声を高める一方で、敵対する貴族派の資金源も、資金源になっていた対象をも静かに確実に排除してしまう。


……あの皇太子殿下、本当に……超絶に有能な人だと思う。


 「ええ、それが何か?」

「あれに費やした予算がどこから捻出されたかご存じですか」

「貴族派に臨時課税があったと聞いています」

「そうです!皇太子殿下はその大事な税金を美辞麗句で誤魔化して奪い、『貧民街』へばらまいたのです!」

「……は?」

いや、金をばらまいたんじゃないぞ。

見事に治安の改善に成功しているんだぜ……?

「僕達、貴族派へ臨時課税しておきながら、平民相手に金でご機嫌取りをしたのですよ!」

『どうもこのクソガキは臨時課税の税金を貴族派に返せと言いたいらしいな』

『ええ……?』

何だそれ……?

「皇太子殿下の所為で、貴族派の領地にいる民がとても苦しんだのですよ!!!」


いや、それって、貴族派の貴族が臨時課税されたのに酒池肉林のゴージャス☆デラックス生活を止めなかったからだよね?『奢侈な宝飾品1つを賄うために理不尽に過酷な徴収をされた』と代官から直訴が来まくったって、デボラまで嘆いていたぜ?

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