第2話 飛んだ
ピピピッ―ピピッ―
開け放っていた窓枠に止まった小鳥が止まり、こちらを覗き込みながら、小刻みに首を傾げている。
「はぁ……久しぶりに見たなぁあの夢。こっちに来てからは見てなかったのに。なんか嫌なこと起きそう……」
温かい日差しが入り込む窓に背を向けるように寝返りを打ち、目覚めて早々愚痴を吐いた。
「こっち」というのは、この異世界のこと。
話は数ヶ月前に遡る。
✧• ───── ✾ ───── •✧
それが僕の名前だ。
「あの〜すみません。この商品はどこにあるのかな?」
「地元の方ですか?このお城のところまで行きたいのですが、道が分からなくて……」
道を歩けばとりあえず声をかけられる。
「Excuse me?」
高校生の時なんて、駅の中でそう声を掛けられた時に、振り返ってみたら、おばあちゃんが急に英語で声をかけてきたこともあった。
なんで英語……。
混乱して頭の中が真っ白になったけど、辛うじて聞き取れた「SHINKANSEN station」という単語で、ホームに行きたいのだと分かった。
でも僕は英語のスピーキングは苦手だし、突然話しかけられて気が動転していたこともあって、何とか言い返せた言葉が「Let's go!」だった。
でもちゃんと意思は伝わったみたいで、不安げな表情が一気に笑顔になったのを見た時は嬉しかった。
今度は自国の言葉で話し始めて、おばあちゃんがでかい声で何やら呼びかけたら、周囲にいた高齢の方々が一同立ち上がって、ゾロゾロと集まってきた。
そんなこんなで、隣国の高齢の方々ご一行様を、新幹線の改札まで学生服の男の子が案内していく奇妙な光景に、周囲の人たちから大注目を浴びて恥ずかしかった。
それでも、改札を通る時に一人一人「アリガトウ!」と言ってくれたり、中にはハグしてくるおじいちゃんとかもいて、気持ちがほっこりすることもあった。
と、そんな感じで周りの人が言うには、僕はとにかく話しかけやすいらしい。
何時でも話しかけて!ってオーラが出てるんだとか。
……真逆なんだけどなぁ。
人と話すのは本当に疲れる。特に人の話を聞くのは。
幼い頃はなんとも面白くなかったけど、今ではもう割り切っている。
不満気な表情を見せることも無く、適切なタイミングで相槌を打ち、アドバイスを求めているのか、ただ聞いて欲しいだけなのかを、相手の表情や声色、文脈、身振りなどのボディランゲージから読み取る。
おかげで今ではすっかり、なんでも話を聞いてくれる人という認識が持たれている。
きっとこれもあの環境のおかげ。
仕事は持ち込まないけど、仕事のイライラを全て家に持ち帰ってくる父親。
なにか面白くないことがあったり、虫の居所が悪かったりすると、幼い僕が大きな声を出すだけで怒鳴り散らしていた。
僕が癇癪を起こしてしまった時なんて最悪だった。
僕以上に機嫌を損ねて、僕の髪を後ろから鷲掴みにして押し倒し、耳元で怒鳴られたこともあった。
そして母親はその日の仕事で嫌なことがあると、誰かに話して発散したいタイプで「ねぇ聞いて!」と、帰ってくるなり僕のことを捕まえる。
仕事の話を家に持ち込むことが嫌いな父親は、そういった母親の話は聞きたくないようで、いつも適当に流してしまうし、あからさまに不機嫌な顔になっていくから、僕が高校に入って、ある程度ドロドロとした話をしても大丈夫だと判断されてからは、僕が母親の話を聞くようになった。
だから、人の顔色や声色の機微には敏感になったし、話を聞いて欲しくて近寄ってくる人の特徴や、会話の方法も身につけることが出来た。
両親は自分の機嫌を自分で取れない人だった。だから、当然僕の話よりも自分の話をしたし、手のかからない弟の方が相手をしていて楽だったのか、弟の話はよく聞いているようだった。
中学を卒業する辺りには、もう期待するのはやめていたと思う。
期待すればするだけ、悲しみが大きくなるから。
自分の話を聞いてくれる人は居ないと諦めてからは、聞いて貰えないことに悲しさや寂しさを感じることも無くなった。
大学二年になった今でも、僕は同じ学部の同期生たちや、サークルの後輩たちから相談相手や愚痴相手として毎日様々な感情をぶつけられているけれど、ただ上手くやり過ごせば終わると、心を虚無にしていればある程度心の負担は減らすことが出来た。
けれど、サークルでの女子同士の喧嘩に巻き込まれたのは、やっぱり堪えた。
理想が高いけど現実的じゃない意見を持つ女子VS現実的で論理的に意見を言える女子。
理想高い子が僕を味方につけようと散々絡んできたけど、どう考えても向こうの方が筋が通っていたから、何とか宥めて、その時は理想高い子が負け惜しみを言いつつも、妥協してくれることになった。
ただ、次の日講義室に向かうと、女子たちが一斉に僕から目を逸らして、何やらヒソヒソと話し始めた。
あぁ、この雰囲気は知っている。
溜息をつきながら、いつもと同じ席へ向かって腰を下ろした。
僕が学籍を置いている学部は男女比が女子:男子=9:1の割合なのだ。
そうなってくると、同じ状況とはいえ相当苦しかった。中学時代の1:1であればまだ耐えられたけど。
もう演習とか、そういう必要な時以外は極力人と関わることをやめようと思って、サークルも辞めることにした。
そう決めたはずなのに……。
それから一週間ほどしたある日の帰り道。
「あの〜、すみません。今少しだけ良いですか?ちょっと道を聞きたくて。スマホの地図アプリも調子悪いみたいで……」
最寄り駅までの長い坂を下っていると、後ろから突然声をかけられた。
振り返ってみると、そこに居たのは白のブラウスの上にピンク色のカーディガンを羽織った、大人しめな女性だった。
住所を聞いて、僕のスマホの地図アプリで入力してみると、正確な位置がちゃんと割り出すことが出来た。
どうやら僕の友人のアパートの近くらしい。
スマホの画面を彼女の前へと提示してみせると、「うわぁ……」と顔を
「どうかしました?」
「いやぁ、複雑な道だなと思って……」
いやいや、次の曲がり角を右に曲がったら、真っ直ぐ進むだけみたいだよ……?
「私ものすごい方向音痴なんです!お兄さん、何かの縁ですし、一緒に着いてきてくれませんか?」
予定がなくても、あると言って逃げ出すことも出来たのに、嘘をつくのが下手くそな僕は、わざわざその子を案内してしまった。
過去に言われたことがある。
「お節介焼きだよね」
困っている人を見たら、手助けしなきゃという立派な使命感を抱いている訳では無いけれど、見ると直ぐに身体が動いてしまうのだ。僕が「良い子ぶっている」と言われる所以でもある。
「えーと、アプリだとこの先に……ってどこ行くんですか?」
もう少しで目的地まで到着するというのに、それを知らせようと振り返れば、彼女は一つ手前の路地へ入っていこうとしていた。
方向音痴とかそういうレベルじゃなくて、周りが見えてないだけなんじゃ……。
元のルートへ引き戻そうと彼女を追いかけて路地へ入ると、僕の姿を見た彼女は突然走り出してしまった。
「えっ?ちょっと……」
思わず僕も走り出してしまったが、それが間違いだった。
勝手に自分で歩き始めたなら、もうそのまま放っておけば良かった。
あともう少しで彼女に追いつく、というところで、付近の細い路地から、ガラの悪い男性が二人現れた。
一人は筋肉質でこんがりとした肌に目立つ金髪頭、もう一人はひょろっとした細身で、ウェーブがかかった黒髪を手でかきあげている。
「ダイく〜ん。さっきいきなりこの人に声掛けられて、無視した途端にずっと追いかけてきたの〜。私怖くて〜」
「は……?」
先程の彼女が急に猫撫で声を出しながら、金髪マッチョの方へと駆け寄り、その太い腕にすりついた。
僕が困惑して目を向けると、彼女はベロを出して悪い笑みを浮かべていた。
「おいお前、何おれの女に手ぇ出してんだよ」
いや、手は出してないかな。
というか、嵌められたなぁ……。
見上げるほどの長身で、半袖のシャツがピチピチになるくらいの剛腕を揺らしながら、こちらへ近づいてくる金髪男。
正直体格差がありすぎて、そんな人がずんずん近寄ってくるのは、当然ながら怖い。
金髪男の子後方では、先程の彼女と黒髪ひょろ男が、後退りをしている僕を見てニヤニヤと笑っている。
「ダイの女に手ぇ出すとか。お前マジやばいねwさっさと土下座して、金置いて逃げた方がいいよ〜w」
そういう……。
てかこんなヤツら居るなら大学側から注意喚起とか出しておいて欲しかった。
まぁバレないように上手くやってんのかな。
はぁ……ほんと、人助けも考えものだね。
迂闊に困っている人に声掛けない方が良いかも。本当に反省しなきゃ……。
とか色々考えていたら、一向に返事をしない僕に苛立ったのか、金髪男が大股で僕へと一気に詰め寄った。
「何黙ってんだよ。ビビってんのか?まぁ悪いことしてバレちゃった時はそりゃビビっちまうよなぁ!!それも、迂闊に手ぇ出した女に実は男がいて、それもこんなに体格差があるなんて分かったら尚更よぉ?」
正直この手の話聞かないチンピラみたいな人苦手……。
というよりも、幼少期のこともあって、大声で怒鳴るように話す男の人が苦手なんだよなぁ。
「いや、手を出すとかでなく、道案内してただけなんですけど……あはは……」
そもそもこっちの理由なんてどうでもいいんだ。何かしら因縁つけてお金取ろうとしてるんだから。
そんな奴らに弁解したところで意味が無いことも、分かってたはずなのに。
またいつもの愛想笑いが出てしまう。
気まずい時とかも、つい笑っちゃうんだよね。
「……ッ!何ヘラヘラしてんだよ……お前のその笑顔、マジでムカつく顔してんなぁ!!おおい!!!!」
金髪男の怒りのパラメーターが振り切ってしまったのか、ダイは僕の胸ぐらを強引に掴んだかと思うと、僕の身体をそのまま突き飛ばすようにして、その手を離した。
僕はその勢いで転ばないように、何とか足を動かしたんだけど。
「あっ―――」
踵が縁石に当たった。
僕の身体はそのまま後ろの道路へと投げ出されてしまった。
「嘘っ……」
「ダイ、それはやべぇって……」
女性とひょろ男のそんな声が聞こえた気がした。
地面に僕の背中が着くまでの景色が、スローモーションのように見えた。
あぁ、あれだ。
確か脳がこの状況を何とか打開しようとして、高速で情報を処理しようとするから、そう見えるようになるって、なんかで聞いた気がする。
でも、そんなゆっくりな視界の中で、僕がハッキリと見えたのは、目を見開いて驚いている運転手のおじちゃんの顔と、けたたましいクラクションを鳴らしながら突っ込んでくる大型トラックのバンパーだった。
そこまで見て、僕は自分の生存本能にストップをかけるように目を閉じた。
(もういいや。疲れた……)
そして――――
キキィィィィ!!
グシャッ――――
大きなブレーキ音と共に身体に強い衝撃が加わった。
右半身の骨が軋んだ感覚は今でも覚えてる。
それでもう終わったのだと。
二度ともう、目が覚めることは無いと、そう思っていたのに。
僕は温かな日差しを瞼の裏で受け取り、頬を撫でる爽やかな風を感じて、その反射で目を覚ました。
「何……ここどこ……?」
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