第27話 決別

 イリーナはヴィルヘルムに抱き上げられて、地下牢へと降りていく。

 そこは日も差さないためにジメッとした空気に包まれており、悪臭が漂っていた。

 入口付近の牢屋の中には、鉄柵を掴んでガチャガチャ揺らしながら叫んでいる男がいる。

 イリーナは音に驚いてビクリと大きく肩を揺らす。ヴィルヘルムはイリーナを抱きしめたまま男を睨みつけた。

 牢屋の中の男は薬物中毒者のようによだれを垂らしながら、血走った目で暴れる。


「教主様がこの世界を救ってくださる……! 悪夢から世界は目覚める!」


「うるさいぞっ! 静かにしろ!!」


 看守がガンッと強く警棒で男のいる鉄柵を叩いた。するとくぐもった声を漏らして、男は隅にある藁の上に膝を抱えてうずくまる。


「くる……くる……! もうすぐデミウル神が復活するのだァ!! 教主様ァァァ! 我らの悲願がようやく……ようやく……」


 顔をしかめるイリーナに、ヴィルヘルムがささやく。


「邪教の信者だ。薬物中毒になっている。先日、邪教徒を一斉に捕らえたから今は牢屋は信者達でいっぱいだ。……残念ながら教主には逃げられたが。今は行方を探している」


 聞くに耐えない声を漏らしている男達の前を通り、イリーナ達は通路の最奥──アイゼンハート伯爵達がいる牢屋の前までたどり着いた。

 イリーナには見えないが、今や伯爵達の豪華な衣装は薄汚れてボロボロ、装飾品は看守に奪われ、顔もやつれている。かつての栄光など微塵も感じさせないほど落ちぶれていた。

 イリーナ達が到着するなり、鉄柵をガチャガチャ揺らしながら父親がイリーナに向かって哀れな声を出した。


「イリーナァァァ! よく来てくれたな! さすがは私の娘だ。助けてくれぇ! 私は無実なんだ! 陛下を説得してくれよ。私は媚薬だなんて知らなかった! お前から言えば陛下も分かってくださるはずだ!」


(この裏切り者め!! イリーナ、よく私の前に顔を出せたなッ!! 私が檻から出られたら、邸に閉じ込めて折檻してやる。絶対に外には出さないぞ……! 皇帝にも渡すものか。心読みの力は私のものだ!)


 相反する伯爵の心の声。

 さらに義母のクララも哀愁を漂わせながら言う。


「イリーナ、お願い。私達をここから出してちょうだい! 誤解なの! 私達は無実よ! あなたは良い子だから信じてくれるわよね? 私の自慢の娘だもの!」


(良い気になっていられるのは今のうちよ! 誰がお前なんかを娘だと思うものか! 愛人の娘であるお前を生かしてやったのに、この恩知らずがッ!! 忌々しいその顔を切り刻んでやりたいわ! そうよ、それが良いわ。無事に私が檻から出られたら、夫は邸にイリーナを閉じ込めるはず。それなら顔があろうがなかろうが関係ないわ。心読みをするのに支障はない。ならば、カミソリで切り刻んでやるわ……ッ!)


 聞くに耐えない義母の罵詈雑言の心の声に、イリーナは顔を伏せる。

 義姉のビアンカがイリーナに向かって縋り付くような声を出す。


「イリーナ! ごめんなさい! ちょっと魔が差しただけなのよ! 私はあなたの婚約者を奪うつもりなんてなかったの! 媚薬だなんて知らなかった。健康に良いと聞いていたから入れたのよ。陛下は誤解なさっているの! お願い、信じてよぅ……私をここから出して! ねっ、ねぇ? 私達は姉妹でしょう? これから仲良くしましょうよ。これまでできなかった分も……だからっ」


(陛下に抱かれて現れるなんて、見せつけているつもり!? よくも私に恥をかかせたわね! 私が檻から出たらただじゃおかないわ! 陛下は私のものよ! あんたなんか便所虫と結婚した方がお似合いだわ! 自分の立場を分からせてやる……ッ)


 義姉のビアンカの心の声が聞こえた。

 心の耳を開かなくても聞こえてくる罵倒の声。覚悟はしていたが想像以上だ。


「お父様、お義母様……それにお義姉様……」


 イリーナはそう呼びかけるのが、やっとだった。

 ヴィルヘルムが低い声で言う。


「アイゼンハート伯爵、邪神の眠る場所を話してもらおう」


「はっ? 何のことです……?」


 目を白黒させる伯爵に、ヴィルヘルムが眉根を寄せる。


「しらばっくれても無駄だ。イリーナが生まれてから、邪神に彼女を捧げたのだろう。その場所について聞いているんだ」


「じゃ……邪神? そ、そんなはずは……あれは我が家の護り神で……」


 伯爵は動揺し、爪を噛みながらブツブツとつぶやく。

 どうやら伯爵は生贄に捧げた神が邪神であることを知らなかったらしい。

 ヴィルヘルムはため息を漏らす。


「……お前の認識など、どちらでも良い。お前が何の罪もないイリーナを邪神に捧げたという事実は変わりないからな。お前達の私欲のためにイリーナは犠牲となり、邪神に生命力を奪われて、もう余命はわずかだ」


 ヴィルヘルムの冷たい眼差しに、伯爵は青ざめてすくみ上がる。


「そ、そんな……っ! 私はそんなことは知らなかった……! 生命力を奪われるなんて知らなかったんです! だって娘ですよ!? 愛情がないはずがない。私はそんなことはしない! 父親や祖父から愛人の子を神に捧げろと私は命じられていただけなんです! 私も被害者だ!」


 ヴィルヘルムはため息を吐く。伯爵の言葉にうんざりしているようだ。


(埒が明かないな……せめて罪の意識でイリーナに謝罪してくれたら、と思ったが)


 ヴィルヘルムの淡い期待は打ち砕かれてしまったようだ。


「お前は自己保身しか頭にないのか? もう一度だけ聞く。邪神の眠る場所はどこだ?」


 ヴィルヘルムに尋問されて、伯爵は脂汗を流した。


「そっ、そんなの知らな……」


 イリーナは頭の中にハッキリと映像が浮かんだ。声ではなく映像が見えることは稀だが、それだけ伯爵の心に浮かんだイメージが強かったのだろう。


(邪神の封印してある祠は伯爵家の北にある森の中。入り口から東にずっと歩き、一つ目の分かれ道を右に行った突き当たり。道が終わったら先にある丘を超えた場所にある。そこにある鷲のような形の大岩が目印ね……)


 伯爵の心を読んだイリーナは頷き、静かな声でヴィルヘルムに言う。


「場所は分かりました」


「そうか」


 ヴィルヘルムは頷くが、伯爵達はざわめく。


「な……っ!? イリーナ、なぜだ……! ま、まさか力を使ったな!?」


(あんなに心読みの力を家族には使うなと命じたのに! 陛下に心読みの秘密を話したな!? 何ということを……ッ)


 伯爵のそんな恨みの心の声が聞こえてきた。ギリギリと音が聞こえるほど彼は奥歯を噛み締めている。

 イリーナは黙り込んだ。

 家族に何を言うか迷っていたのに、いざ彼らを前にすると何の言葉も浮かんでこない。『ありがとう』も『お世話になりました』も相応しくないことは分かる。家族を前にしても、もう孤独を感じなかった。


(以前は、あんなに皆といる時は寂しかったのに……)


 一人でいる時よりも誰かといる時の方が苦しいだなんて、あまりに辛い環境だ。かつて自分はそれに気付けなかったけれど、自分をそんな境遇から救ってくれたのはヴィルヘルムだ。

 イリーナはヴィルヘルムの肩に額を擦り付ける。


「……お父様、お義母様、お義姉様。さようなら」 


 ようやくイリーナが言ったそれは、決別の言葉だった。もう彼らに会うことはないだろう。そう思って。


「イリーナァァ! 行くな! 私を置いて行くな! 頼むからぁ……ッ!」


「助けて! 助けてぇ!」


「イリーナ! 待ちなさいよッ!」


 そんな父親達の声を聞きながら、イリーナはヴィルヘルムに抱かれたまま牢屋から出て行った。

 自室のベッドまで運んでもらうと、イリーナは伯爵の心の声から知った邪神の祠の場所をヴィルヘルムに伝える。


「ありがとう。後のことはこちらに任せて、今は休むと良い」


 ヴィルヘルムにそう慈しむように言われて、イリーナは微笑んで頷く。

 彼が部屋から出て行くと、間もなくローラがやってきた。

 ローラがいつものようにイリーナにお茶を淹れてくれる。初めて嗅ぐハーブの香りだ。


「これは何のお茶?」


 イリーナが問うと、ローラは明るく言う。


「これはマティアス先生が処方してくれたハーブ茶です。疲れが取れるんですって」


(そう言えば、マティアス先生がおっしゃっていたわね……)


 イリーナがハーブ茶を飲み干すと、強烈な眠気がやってきて倒れるようにベッドに横になる。


「お疲れになったんですね。ゆっくりとお休みください」


 ローラの優しい声に、イリーナは「ありがとう」と言う。


(両親と会って、思っていたより疲れてしまったのかしら……)


 イリーナは首を傾げながらも遠ざかる意識の中で、そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る