第26話 護りたいもの

 ヴィルヘルムが部屋から去るのと入れ替わるように、ローラとマティアスが入室してきた。


「持たせてしまって、ごめんなさい」


 イリーナが申し訳なく思ってそう言うと、ローラは快く首を振る。


「いえいえ、主の都合に合わせるのは使用人の仕事ですから! お気になさらず! それより心配しましたよ。奥様の手に血がついていて……」


 そう喋りながらローラはぬるま湯を入れた洗面器でイリーナの手を洗ってくれた。

 水入りのグラスを受け取り口の中を流すと、さっぱりする。


「診察するので、ローラは少し離れてもらえますか?」


 マティアスにそう言われて、ローラは数歩後退した。

 イリーナはマティアスのまとう空気に違和感を覚える。


「マティアス先生……?」


 いつもより声が低い。雰囲気も暗く、まるで怒りを抑えているかのようだ。いつも穏やかな彼らしくない態度にイリーナは当惑する。

 マティアスはフッと自嘲するような笑みをこぼす。


(その様子では、陛下に話してしまったんですね。余命のことや邪神のことを……)


 マティアスのそんな心の声が聞こえてきた。

 気付かれてしまっていたのだ。あの状況で、外で待たせていたから察してしまったのだろう。


(マティアス先生に秘密にするよう言われていたのに……)


 だから彼はイリーナに失望したのだろうか。イリーナはそう思ったのだが──。


(残念です。私とお嬢様だけの秘密でしたのに。皇帝に話してしまうなんて。これからどうなさるおつもりですか)


 その責めるような心の声に、イリーナは困惑する。


(マティアス先生はいったいどうしたの……?)


 余命や邪神のことを隠すようにマティアスが言ったのは、医師として患者の身の安全を守るためだろうとイリーナは思っていた。だが、これでは二人の秘密を暴露したことことそのものに対して彼は怒っているように感じられる。

 イリーナは『陛下は私を害するような人じゃない』と伝えたかったが、そばにローラがいるこの状況では説明できなかった。

 けれど、マティアスはけろりと微笑んで言う。


「心音が乱れていますね。精神を安定させるハーブを処方しておきます。お茶の時間に飲んでください」


 そう言ってマティアスは去ってしまった。イリーナに何とも言えない感情を残したまま。



 ヴィルヘルムはイリーナとの話が終わってから政務室に戻り、侍従に貴族名鑑を持ってくるよう命じた。既に夜遅い時間だったが、気になることがあったのだ。

 歴代の貴族の家系図が載っているその中からアイゼンハート伯爵家を探す。それなりに歴史のある家だが、どこから女神の血が混ざったのかは分からなかった。

 ヴィルヘルムは顎に指を当てて考え込む。


(心を読む力は、もしや女神と関係があるのか、とも思ったが……)


 しかし女神の末裔なら、その力は彼女自身が生まれつき持ち合わせているのもののはずだ。イリーナが語ったように生贄の代償として与えられるものではない。


「アイゼンハート伯爵を調べるしかないか……」


 元々ハンスに色々と調査させていたが、今は伯爵達を地下牢に捕らえているから、面倒な手続きを踏まなくて良いのは助かる。


(イリーナの話からすると、伯爵領のどこかにデミウルが封印されている場所があるのではないか……?)


 邪教集団の言う復活の年が今年であることも無視できない。もしデミウルが眠っている場所が分かれば大災害を事前に阻止して、イリーナもこれ以上生命力を奪われるのを防ぐことができるかもしれないのだ。


(しかし果たして伯爵が素直に口を割るかどうか……)


 さすがに婚約者の実父を拷問して吐かせることはヴィルヘルムも躊躇した。どんな悪人だとしても、そんなことをすればイリーナは悲しむだろう。それを想像すると、ヴィルヘルムの中に迷いが生まれる。彼自身は全くそういう手段に躊躇いはないし、むしろイリーナを苦しめたのだから伯爵は苦しんで死んで当然と思っているのだが──。


「……一応、イリーナに確認してみるか」


 彼女が家族への拷問を了承するとは思えないが、かといって承諾も得ずに伯爵に手荒なことをしたことが知られてしまえばヴィルヘルムとの関係にヒビが入るかもしれない。それだけは避けたいことだった。

 それに時間はかかるが、伯爵家の周辺をしらみ潰しに調べるという方法も残っている。あまり伯爵達を痛めつける方法はしない道を選ぼう。

 ──そう思ったのが運の尽きだったのかもしれない。

 ヴィルヘルムも予想していなかったのだ。

 イリーナが『同席する』と言い出すなんて。



 翌朝、ヴィルヘルムとの朝食の席で、イリーナは彼の考えを聞いた。大災害と邪教集団の関わりについて。それに邪神の眠る場所を見つけられたら、イリーナの余命を延ばす糸口がつかめるかもしれないことを。


「邪神の封印されている場所を見つけたい。そのために伯爵達を尋問したいのだが構わないか?」


 ヴィルヘルムの問いかけに、イリーナは眉を寄せる。


(尋問……)


「……きっとお父様は正直にお話しくださらないでしょう」


 小さく言ったイリーナの言葉に、ヴィルヘルムは同意する。


「そうだ。だから少々手荒なことをするかもしれないが……」


(……誠実な人だわ)


 イリーナに黙っていることもできたのに、わざわざ彼女に報告をしてくれるなんて。心読みができる彼女に秘密にはできないと思ったのかもしれないが、ヴィルヘルムの正直さが好ましかった。

 イリーナは深く息を吸ってから、自身の胸に手を押し当てて言う。


「乱暴なことはする必要はありません。父との話し合いの場に私も同席させてください。私の異能を使えば、心の声は隠せません。すぐに邪神の眠る場所が分かるはずです」


 ヴィルヘルムは驚いた様子だった。


「何を言っている。お前は昨日体調を崩したばかりだ。今日は寝ていろ。──いや、今日だけじゃなく、できるだけ誰にも会わず部屋にずっとこもっていて欲しい。頼む」


 心読みをすると生命力を奪われると話してしまったからだろう。ヴィルヘルムはイリーナを閉じ込めようとしている。

 イリーナは寂しい笑みを浮かべた。


「ご心配ありがとうございます。ですが、心の耳を閉じても聞こえてくる声にはさほど影響は受けませんし……できるだけ異能を使わないようにしますから」


「だが……」


 食い下がるヴィルヘルムに、イリーナはやんわりと首を振る。


「父や先祖のしでかしたことです。私に何かできることがあればお手伝いしたいんです」


「お前は被害者だ。そんなこと気にせずとも──」


 ヴィルヘルムはそう言ってくれたが、イリーナは淡く微笑みを浮かべる。


「……それに、大災害が起こるのは明日か、もしかしたら今日かもしれません。できるだけ早く邪神デミウルの眠る場所を明らかにしなければ、人々の被害が増えるかもしれませんから。協力させてください」


 ヴィルヘルムには嫌がられたが、イリーナはそう言って譲らなかった。これまでの気弱な彼女ならば、すぐに意見を引っ込めていただろう。

 だがヴィルヘルムならばイリーナの意見を尊重してくれる。そう分かっているから、我儘も言えるようになってきたのだ。

 ヴィルヘルムの存在がイリーナを変え始めているのだと、彼女は気付いていた。

 余命を延ばせるかもしれないという期待は、はなからしていない。それよりも、大災害がやってくるなら止めたいという気持ちの方が強い。

 ──できるだけ長く生きて欲しい。そうヴィルヘルムが願ってくれるのは嬉しかったが、イリーナもまた、彼が大事にしている国を護りたいのだ。

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