第24話 終わりの始まり

 イリーナはローラに付き添われて、自分の部屋に戻るとナイトドレスに着替えた。


(今日は色んなことがあって疲れたわ……)


 両親と義姉は捕まってしまうし、ヴィルヘルムの偽者まで現れた。家族が拘束されてしまったのは複雑な心境ではあるが、行いを反省して罪を償って欲しいと思う。 

 その時、扉がノックされて誰かが入ってきた。


「イリーナ、いま大丈夫か?」


 ヴィルヘルムの声だった。


「はい」


 イリーナはそう答える。


(うげっ、本当に仮面をつけるのをやめたのね……心臓に悪いわ)


 ローラのそんな嫌そうな声が聞こえてきて、イリーナはヴィルヘルムが仮面をもう身につけていないことに気付いた。


「ローラ、イリーナと私にホットミルクを用意してくれ」


「承知しました」 


 ローラはできるだけヴィルヘルムを見たくないのか、素早く部屋から出て行った。

 イリーナは当惑気味に尋ねる。


「どうかなさいましたか?」


「いや……ただお前の顔が見たくなっただけだ。そこに座ってくれ。──今日は、よく頑張ってくれた。それに俺の偽者の存在に気付いてくれて、ありがとう。お前がいなければ誰も奴に気付かず、大変なことになっていた」


 その彼の言葉に、イリーナは嬉しくなって微笑む。


「お役に立てて嬉しいです」


 心を読む力を彼のために役に立てたことが嬉しかった。

 イリーナはヴィルヘルムとベッドの上で隣合って腰掛ける。


(陛下に隠し事はなしにしようと決めたけれど……どう切り出せば良いのかしら)


 やはり内容が内容だから気軽に話せるわけではない。それに今日はヴィルヘルムも疲れているはずだ。


(やっぱり明日にしよう)


 イリーナがそう考えている時、ヴィルヘルムの心の声が聞こえてきた。


(やはり素顔を晒すと疲れるな……男女問わず無遠慮に凝視してくるし。注意したら慌てて顔を伏せるが、その後もだいたいチラチラ見てくる。煩わしくて仕方ない)


 どうやら人々の視線に辟易しているらしい。


(顔が良い方もそれなりに悩みを抱えているのね……)


 周りから見ると贅沢な悩みではあるが、当人からしたら切実なのかもしれない。


「私も陛下のお顔を見てみたいです」


 イリーナの口からポロリと本音が漏れた。


「俺の顔を?」


 ヴィルヘルムが驚いたように聞き返す。

 イリーナは『しまった』と内心思いつつも、正直に話すことにした。


「はい……私は目が見えないので、陛下のお姿は想像するしかありませんから。皆が羨ましいんです」


 好きな人のことをもっと知りたいと思うのは当たり前だ。目が見えないことをこんなに悔しいと感じたことはない。


「別に俺の顔なんぞ見なくても良いと思うが……」


 少し困ったようなヴィルヘルムの声。


「そんなことないです。あっ、でも……陛下は私の目が見えないからおそばに置いてくだっているんですよね? だったら、今のままの方が良いですね……」


 イリーナは少し寂しい笑みを浮かべた。自分のヴィルヘルムの容姿に左右されないところが気に入られているのだと気付いている。

 ヴィルヘルムが驚いたように言う。


「何を言っているんだ? お前の目が見えない方が良いなんて、そんなことあるはずない」


「でも……」


 イリーナは先程のヴィルヘルムの言葉を思い返す。


『お前の俺への態度が変わらないなら、もう他の者のことはどうでも良い』

 そう言ってくれたけれど、もしイリーナだって目が見えていたら他の者達と同じような反応をしてしまっているかもしれないのだ。

 イリーナはうつむく。


「だって……もし私の目が見えたら、陛下のお顔を見て、他の女性達のようにうっとりと見入ってしまうかもしれません。それは煩わしいでしょう?」


 自分で言っておきながら、その言葉に傷ついた。

 イリーナの目が見えないことが彼の救いとなっているなら、この不具な体が良かったんだと思うしかない。


(そんなことない!!)


 力強くヴィルヘルムの心の声に否定されて、イリーナはビクリと肩を震わせた。


「あっ、いや……すまない。強い心の声で伝えてしまったな。……そうじゃない。お前が目が見えないのが良いなんて思ったこともない。勿論、今のお前に不満があるわけではないが……その、うまく言えないが、つまり──」


 ヴィルヘルムは己のサラサラした銀髪を搔き回す。


「想像してみると……悪くはない」


「……何がですか?」


 イリーナが尋ねると、ヴィルヘルムは少し頬を染めて咳払いする。


「つまり、お前に見惚れられるのなら……悪い気分ではないと思った。この容姿で良かったと思うかもしれない」


「そう……なのですか?」


 イリーナは驚いた。てっきりイリーナに見つめられても不愉快なのだろうと思っていたのに。

 ヴィルヘルムは言う。


「興味のない相手から過剰な好意を向けられるのはうんざりするが……お前なら歓迎する」


 その特別扱いに、イリーナの胸はドキリと音を立てる。どんどん脈が速くなっているようで息苦しい。


「イリーナ」


 ヴィルヘルムの手が頬に伸びてきて、イリーナは赤くなった顔を上げる。


「口付けても良いか?」


 そう問われて、イリーナはうなずきかけたが──。

 突如、ぐらりと体が揺れて、イリーナはヴィルヘルムに支えられる。


「イリーナ!? 大丈夫か!?」


「すみません。気分が優れなくて……」


 異能を使いすぎたのだろう。まるで船酔いでもしているかのように気持ち悪くなってきた。


「横になれ。すぐに医者を呼ぶから」


 ヴィルヘルムがそう言って、イリーナをベッドに横たえさせてくれる。

 イリーナは喉が詰まって、何度か咳き込んだ。


(何だか、おかしい……)


 いつもと違う。体の重さや動きにくさだけではない。吐き気がする。


「うっ、グッ……」


 手で口元を押さえたが、耐えきれず吐いてしまった。肩で息をするイリーナの背をヴィルヘルムが撫でてくれる。

 ふいに、その手が止まった。


「イリーナ……それは、血か?」  


 ヴィルヘルムの声は常にはない動揺が混ざっていた。

 イリーナの手のひらに生温い液体が広がっている。先程口から出てしまったものだ。自分が吐血したのだ、と遅れて気付く。


(ああ……)


 終わりの時が近いのだと、イリーナは悟った。

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