第21話 誠実さ

 薔薇が香る庭園のガゼボのベンチに座らされ、イリーナは一息ついた。

 ローラは今は少し離れた場所に控えている。イリーナ達の声は届かないだろう。


「辺りには誰も近付けないよう護衛達に遠くで見張らせている。安心して話してくれ」


 隣に腰掛けたヴィルヘルムにそう促されて、イリーナは狼狽えた。


(どうしよう……異能のことはできるだけ秘密にしたかったのだけど)


 焦るあまり、急いでヴィルヘルムを連れ出してしまった。

 しかし伯爵とビアンカの企みをこのまま放置しておくことはできない。


(もうお父様に義理立てする必要はないのだし……)


 心読みの力は秘密にしろ、と幼い頃から厳しく命じられてきた。イリーナも己の能力を誰かに知られてしまったら気持ち悪がられると思って、これまで家族以外に話せなかったけれど──。


(でも陛下なら、もしかしたら受け止めてくれるかも……?)


 そんな期待もある。だが、普通なら忌避する力だ。誰だって心を読まれることには抵抗があるはず。


(もし、陛下にこんな女はそばに置きたくないと思われたら……)


 そんな不安が押し寄せてくる。だから異能のことを話すのは怖い。

 だけど──。


「陛下……」


 イリーナは覚悟を決めて、話し始めた。


「何だ?」


 その穏やかな声に気持ちが揺れそうになりながら、イリーナは言う。


「……私の父親と義姉のビアンカが、陛下に媚薬を盛ろうとしています」


 ヴィルヘルムは驚いたように黙り込んだ。しばらくして戸惑いがちに問いかけてくる。


「伯爵とビアンカが? 俺に媚薬を? それは本当か?」


「はい……ひそかに陛下に媚薬を飲ませ、義姉と陛下を二人きりにして……その、陛下にみだらなことをさせてしまおうと計画しているみたいで……」


 己の父親と義姉のしでかそうとしている馬鹿な行為が恥ずかしい。彼への申し訳なさでイリーナは頭が上げられない。

 イリーナは痛いほどの視線を肌に感じた。


「お前はどうやってそれを知った?」


 困惑混じりヴィルヘルムの声。


(その反応も当然だわ……)


 イリーナはぎゅっと目を閉じて俯いた。


(もし陛下に心読みの力を否定されたら……)


 そう思うと怖くてたまらない。


(でも……たとえ、これから陛下に避けられることになったとしても、私には家族の悪事を伝える義務があるのだから)


 イリーナはそう思い、スカートを握りしめて顔を上げた。


「陛下にお話していませんでしたが、私には異能があります。それは相手の心を読む力です。……先程、私の父と義姉が陛下に媚薬を盛ろうとしている心の声が聞こえてしまったのです。それで黙っていられなくて……」


 ヴィルヘルムはイリーナの言葉を咀嚼するように考え込んでいる。そして深く息を吐いてから、しみじみとした口調で言った。


「なるほどな。予言かと思っていたが、お前は心を読んでいたのか……」


「はい……」


「まるで女神だな」


「めが……?」


 うまく聞き取れず尋ねたイリーナに、ヴィルヘルムはやんわりと首を振る。


「いや、これについては後で話そう。それより、話してくれてありがとう。無理に秘密を暴いたりしないとは言ったが、本当は気になっていた」


 そう言って、ヴィルヘルムはイリーナの手を取る。


(イリーナのことを知ることができて嬉しい)


 その心の声が伝わってきて、イリーナは当惑した。


「……私のことが嫌ではないのですか?」


「なぜだ? どうしてお前のことを嫌がる必要がある?」


 不思議そうなヴィルヘルムの言葉に、イリーナは動揺した。彼が受け入れてくれたらと期待はしたが、本当にそうしてもらえるとは予想していなかったから。


「だっ、だって……気持ち悪いでしょう。こんな力」


「いや、むしろ無口な俺にとってはちょうど良いだろう。むしろ嬉しいくらいだ。俺は恥ずかしさもあって、なかなかお前に十分に気持ちが伝えられていないと感じていたからな」


「ほ、本当に……?」


「ああ。俺がお前のことを嫌になるはずがない」


 イリーナの指が震える。信じられなくて、喜びが胸に溢れてきた。


(受け止めてもらえた……? 夢を見ているのかしら……)


「誤解なく意思が伝わるのは気持ちが良い。それにお前に隠し事などしたくないからな」


 その照れ混じりのヴィルヘルムの言葉に、イリーナは身を強張らせた。


(隠し事……)


 血の気が引いていく。

 まだ邪神のことや、異能で生命力を削られていることは話せていない。それに一年で離縁して皇宮を去るつもりであることも。


(私は陛下に秘密にしていることがある……こんな誠実な彼に、私は……)


「陛下、私は……」


 罪悪感で震える。瞳に涙がにじんだ。

 イリーナの全てを受け止めてくれる寛大で優しい彼を前にして、イリーナの決心が揺らぐ。

 イリーナの涙に気付き、ヴィルヘルムが抱きしめた。イリーナは力を抜いて身を預ける。


(もしかしたら陛下は喜びの涙だと勘違いしているのかも……)


 しかしイリーナはまだ覚悟が決められない。

 そうしている間に、ヴィルヘルムの心の声が聞こえてきた。


(もし知らずに媚薬を盛られていたらと思うとゾッとするな……俺はイリーナ以外に興味はないのに)


 ヴィルヘルムの怒りがイリーナに伝わってくる。


(いや、待て。これはむしろ好機なのでは……?)


 ヴィルヘルムはイリーナから身を離して言う。


「イリーナ。俺は伯爵達の計画に嵌った振りをして、奴らを捕らえようと思う。それでも構わないか?」


「そんな……っ、危険です! それなら、せめて私も一緒に……」


 心読みの力を使えば彼を助けられるかもしれない。そう思ったのだが──。


「いや、大丈夫だ。媚薬が盛られていると分かっていれば何も口にしない。お前は会場で待っていてくれ。信頼できる部下をそばにつけておくから」


 そう言って、ヴィルヘルムは従者に誰かを呼びに行かせた。

 しばらくして現れたのはハンス筆頭書記官だ。

 ヴィルヘルムはイリーナの能力については明かさず、とある筋から伯爵の企みを知ったというふうにハンスに事情を説明した。その心遣いにイリーナは安堵する。


「俺が不在の間、お前達イリーナを頼むぞ」


 ヴィルヘルムがハンスとローラに向かって言う。


「「承知いたしました!」」


 ハンスとローラは深々と頭を下げた。

 そしてヴィルヘルムはイリーナの頭を一撫でする。


「後でな」


 そう言われてイリーナは胸の前で両手を握りしめる。不安を押し隠すように。


「……はい」


 イリーナはヴィルヘルムの気配が遠ざかるまでその場に立ち尽くしていた。

 タイミングを見計らっていたのか、ハンスが声をかけてくる。


「それでは、私達も行きましょう」


 ハンスの言葉に、イリーナはうなずく。


(陛下を信じて待とう)

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