第20話 発覚

 ヴィルヘルムの元には続々と貴族達が祝福の挨拶をしてきていた。

 イリーナの元へ最初にやってきたのは、二十歳くらいの黒髪青目の正装の男性だ。貴族にしては珍しく黒縁眼鏡をつけている。イリーナは彼の容姿は分からなかったが、付き添っているローラがそっと教えてくれた。


「はじめまして。ご挨拶が遅くなってすみません。ハンス・シュタルケンベルクと申します」


 背後にいたローラが即座にイリーナに囁く。


「陛下の側近のハンス筆頭書記官です。男爵です」


 イリーナはその名前に聞き覚えがあった。ヴィルヘルムとの会話で何度か出てきた名前だ。


「こんにちは、ハンス」


 イリーナは相手がいる方角に笑みを浮かべた。


「イリーナ様はお体が弱く、目も見えないと伺っております。どうか無理をなさらないでくださいね。私はまだ未熟者ですが、何かありましたら遠慮なくご相談ください」


 その親身な口調に、緊張が解けてイリーナは心から微笑む。


「ありがとう。ハンス」


「いいえ。こちらこそ、お礼を言わせてください。陛下がお優しくなったのは、あなたのおかげです。本当にありがとうございます」


 そう言ってハンスは胸に手を当てて一礼した。


「そんな……私は何も……」


 驚いて恐縮するイリーナにハンスは微笑む。


「いいえ。ヴィルヘルム陛下は以前は、もっと自分にも他人にも厳しい方でした。最近は雰囲気も柔らかくなり、使用人達からも恐れられることが減っているのです」


「陛下が厳しい方……?」


 イリーナはヴィルヘルムの優しい面しか見ていないので、そんな一面があるとは知らなかった。

 ハンスは大きくうなずく。


「ええ! それはそれは暴君で、私なんて長年大変な苦労を──ゲフンゲフンッ!」


 何か言いかけたハンスが突如咳き込む。


(陛下! そんなにこちらを睨みつけないでください! 余計なことはイリーナ様に言いませんから!)


 そんなハンスの悲痛な心の叫びが聞こえてきた。どうやら、なぜか分からないがヴィルヘルムがハンスを牽制しているようだ。


「と、とにかく……おそらくイリーナ様がおそばにいることで陛下が癒やされ、変わられたのでしょう」


 イリーナは言葉を失った。


(私の存在が……陛下の心を癒していた……?)


 それは思ってもいないことだった。イリーナはこれまで自分は皇妃には相応しくないと悲観ばかりしていたというのに。


「あなたはきっと素晴らしい皇妃になる。私は心からご婚約を祝福いたします」


(あんなに誰か一人を想うなんて、以前の皇帝なら考えられなかった)


 ハンスが本心からそう言っているのが分かり、イリーナは嬉しくなった。


「ありがとう、ハンス。これからよろしくお願いしますね」


 ハンスとの挨拶は和やかに終わったものの、やはり挨拶にくる貴族達のほとんど腹に一物を抱えていたり、イリーナに対して批判的な意見の者が多かった。


(陛下がに婚約者に選んだ女性だからどんな方かと思っていたが……普通だな)


(気が弱そうだし、目も見えない足も悪いのでは皇妃の務めもろくに果たせないだろう)


(これなら私の娘の方がまだ皇妃に相応しい。第二夫人の座を狙おう)


(どうせ、こんな娘なんて陛下もすぐ飽きる。娘を愛人にして世継ぎさえ作ってしまえば……)


 塞いだ耳をこじ開けて遠くそれらの心の声に、イリーナは悲しくなりつつ表面上は笑みを繕った。

 そして、とうとうそのアイゼンハート伯爵家の番となる。


(どうしてイリーナの実父である私がこんなに後回しにされたんだ!?)


 そう内心では憤慨しつつも、伯爵は遠慮なくイリーナに近付こうとした。


「イリーナ! 会いたかったぞ! 突然皇宮に連れて行かれて、どれだけ私達が心配したか……ッ!」


 しかし侍女のローラが間に入り、それ以上近付けさせないようにした。


「すみません、それ以上は距離を開けてくださいますようお願い申し上げます」


「なんだと!? 私はイリーナの父親だぞ!! 何の権限があってそのようなことを──」


 さんざん待たされた苛立ちもあってか、伯爵はローラに怒鳴り散らそうとしたが……。


「陛下のご命令でございます」


 そのローラの氷のような眼差しに気圧されたように伯爵はたじろいだ。


「うぐ……ッ、しかし私はイリーナの父親だというのに! まさか一言も会話を許さないつもりか!?」


(クソッ……イリーナには、まだ伯爵家のために働いてもらうつもりだったのに!)


 そう強い心の声が聞こえてきて、イリーナは自嘲の笑みを浮かべた。


(どうして、こんな独りよがりな家族に今まで愛を求めていたんだろう)


 そう思うと虚しくなる。


「イリーナ! ご婚約おめでとう」


 そう言ったのは、伯爵の後ろにいたビアンカだった。挑戦的な眼差しをイリーナに向ける。目が見えなくても肌にビリビリとする嫌な視線を感じてイリーナは顔をしかめた。


「お義姉様……」


(フンッ! 良い気になっていられるのは今だけよ! どうせ、すぐにあなたは婚約者でいられなくなるわ!)


 その強いビアンカの心の声に、イリーナはビクリと身を震わせた。


(お義姉様の言う通りだわ。私には時間がない……)


 先程のヴィルヘルムの愛の言葉に浮かれていた気持ちが萎んでいく。イリーナは拳を握りしめる。


(でもお義姉様は、どうしてそんなことを……? 私が余命わずかなことは知らないはずなのに……)


 そう疑問が浮かんだ時──。


「話は終わったか? イリーナ、そろそろ疲れただろう。挨拶はそのくらいにしておくと良い」


 背後からヴィルヘルムにそう声をかけられた。

 助け舟を出してくれたことにイリーナは気付き、ホッと安堵の息を漏らす。


「陛下」


 そのイリーナの声に被さるように、ビアンカが黄色い声を上げた。


「陛下! 先日は無礼な真似をしてしまい、申し訳ありません。どうか私にお詫びの機会をいただきたく──」


 しなを作って上目遣いで言うビアンカの姿は美しく、普通の貴族男性なら鼻の下を伸ばしていただろう。しかしヴィルヘルムは冷徹な瞳で彼女を一瞥するだけだった。


「必要ない。もう去れ」


「しかし……っ」


(このままじゃ計画が……!)


(なんとしても陛下と二人きりにならないと!)


 慌てたビアンカと伯爵の心の声が聞こえてきて、イリーナは驚いた。


(計画?)


 なんとなく嫌な予感を覚えた。しかしそれ以降、二人の心の声は聞こえなくなる。心の耳を閉じていれば強い内面の声以外は届かないためだろう。

 イリーナは少し迷ったが、自分の嫌な予感を捨てきれなくて、覚悟を決めて心の耳を開けた。

 一斉に入ってくる数多の声の中から、伯爵とビアンカのものを探る。


(このままだと陛下に媚薬を盛ってビアンカを襲わせる計画が破綻する……!)


(隙をついて二人きりの時に媚薬を盛ってやれば、すぐに陛下も私に愛を囁くわ! 他の令息達みたいに。問題はどうやって二人きりになるか……)


 次々と伯爵とビアンカの声がイリーナの頭の中にまで流れてきて──。


「……び?」


 思わずイリーナの口から言葉が漏れる。


(媚薬?)


 予想外の伯爵とビアンカの心の声に、イリーナは凍りついた。

 直後、実父と義姉がヴィルヘルムに媚薬を盛ろうとしていることに気付き、イリーナは卒倒しかけた。


「イリーナ様ッ!」


「イリーナ!?」


 ローラとヴィルヘルムに支えられながら、イリーナはどうにか態勢を立て直す。


(頭がガンガンする……)


 イリーナは血の気が引いた顔を手で押さえた。

 まさか父親と義姉がそんな愚かな計画を立てるとは思ってもいなかった。


(発覚すれば死罪になるかもしれないのに、どうしてそんな馬鹿なことを……)


 イリーナはあまりの動揺で頭を押さえていることしかできない。

 ヴィルヘルムが気遣うように言う。


「イリーナ、疲れたんだろう。ちょっと休め」


「はい……ありがとうございます。陛下、お話があるのですが、どこか人のいないところで少し話せませんか?」


 イリーナはこれはどうしても先に彼に伝えておかねば、と焦った。間違ってもヴィルヘルムが媚薬を飲んでビアンカに発情するなんてことがあったら耐えられない。


「今か?」


 ヴィルヘルムは驚いたような声を漏らした。

 さすがに今日は婚約披露パーティで貴族達から挨拶を受けるので忙しい。イリーナも無理を言っているのは分かってはいたが──。


「ええ。どうしても伝えたいことがあって……ダメですか?」


「いや……分かった。一緒に行こう」


 そう言ってからヴィルヘルムは側近に一言二言何かを伝えてから、イリーナを抱き上げた。


「わっ」


 イリーナの口から声が漏れる。

 いつもより豪奢なドレスで重いだろうに、ヴィルヘルムは軽々と運んで行く。


「陛下! お待ちください!!」


「陛下……ッ」


 遠ざかる伯爵とビアンカの縋り付くような声を聞きながら、ヴィルヘルムとイリーナは庭園に出て行った。

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