第19話 婚約披露パーティ

 イリーナは婚約披露パーティに出るために、自室で豪奢なドレスに着替えさせられた。

 朝から身支度して、丁寧に髪を結い上げられる。


「とてもお綺麗ですよ」


 ローラがそう言うと、イリーナは淡く微笑みを浮かべた。


「ありがとう」


(自分の姿が確認できないのが残念だけど……ローラが綺麗と言ってくれたから、きっとそうなのだわ。その言葉を信じよう)


 昨日は緊張して、うまく眠れなかった。

 前にマティアスから余命は変わらないと聞かされた時から一か月が経っている。彼が言っていた通り、今は腕も動かせなくなってきていた。

 できるだけ皇宮内や庭園を散歩して運動しているのだが、やはり緩やかに悪化しているようだ。

 この一か月、ヴィルヘルムが国中の名医と呼ばれる医者達を集めてくれたが、いくら診てもらっても状態は変わらない。むしろ与えられる薬が合わなくて体調が悪くなるので、マティアス以外の医者には会うのを止めてしまった。


(どうせ私の症状は薬でどうにかできるようなものではないから……)


 イリーナはそう思いながら、ドレスを越しに肘や膝に触れる。


(硬くて動かしにくい体……まるでマリオネットにでもなった気分……)


 ブリキの人形なら油を差せば元通り滑らかに動くようになるだろうが、イリーナの体はどうにもならない。


(パーティで皆にどんなことを言われるかしら……)


 ヴィルヘルムの婚約者として皆の前に出るのは今日が初めてのことだ。

 自分を否定的する言葉ばかりが脳内に浮かんできて怖かった。


(もし皇妃に相応しくないと思われたら……)


 やはり、公の場になんて出るべきじゃないんじゃないか。どうせ一年で終わる契約なのに──。

 そんな不安な感情に支配されていた時、扉がノックされてヴィルヘルムが入室してきた。


「イリーナ、よく似合っている」


(皆がイリーナに惚れないか心配だ。あまりに可愛らしすぎて誰にも見せたくない)


 その言葉にイリーナは頬を染める。


「ありがとうございます……」


 ヴィルヘルムが心の声でも、表の声でも本当に褒めてくれているのが分かって嬉しかった。普段は無口な彼だから余計に口で言ってくれるのが嬉しい。


「行こうか」


 ヴィルヘルムはイリーナに手を差し出す。イリーナはその手を取って、彼のエスコートで広間まで歩いた。

 ヴィルヘルムはイリーナを気遣い、彼女を支えるようにゆっくりと歩いてくれる。


(陛下の手……とても大きいわ)


 大きくて骨張っていて、それでいて温かい男の人の手だ。

 その感触を噛みしめていると、ヴィルヘルムが口を開く気配がした。


「今日のパーティで婚約を発表することになるが……お前は何もしなくて良い。疲れたら無理せず早めに部屋に戻って休め」


 言いにくそうなに告げたヴィルヘルムの言葉に、イリーナは顔を伏せて表情を暗くする。


(陛下は気遣って言ってくださっているんでしょうけれど……)


 それはイリーナにとって残酷な言葉だ。ヴィルヘルムの婚約者としての役割を何も果たせていないように感じる。けれど普通の人ほどイリーナに体力もないのは事実だ。


「……ご心配なさらないでください。無理はしませんから」


 ヴィルヘルムが何か言う前に、イリーナは慌ててそう言って、ぎこちなく微笑んだ。

 婚約披露パーティは、ヴィルヘルムの婚約者としてお披露目する場であると同時に、イリーナが皇妃として相応しいかどうかを判断される場でもあった。


(きっと、皆はあまり私に良い感情を抱いていないはず……)


 そんな声を聞きたくないから、用心して心の耳を閉じていようと決める。

 ヴィルヘルムとイリーナが会場に入ると、溢れるような拍手に迎えられる。

 大広間にはたくさんの人が集まっていた。

 ヴィルヘルムに支えられながら壇上に上がると、楽団の音色が止まりシンと辺りが静まり返る。


「あれが噂の……」


「足が悪いのか? 足を引きずっているぞ。あんな女が皇帝陛下の婚約者だなんて」


 ヒソヒソと囁かれる心ない言葉の数々に、イリーナは唇を噛み締めた。


(そう言われるのは分かっていたことだわ)


 しかし覚悟していたけれど、やはり辛いものは辛い。


「皆、よく集まってくれた」


 ヴィルヘルムが壇上で挨拶すると、会場はシンと静まり返る。

 イリーナも背筋を伸ばして前を向く。


(私は大丈夫……)


 そう自分に言い聞かせた。


「今日ここに私との婚約を発表したい令嬢がいる」


 ヴィルヘルムはイリーナの腰に腕を回して引き寄せた。彼の胸に頰を寄せるような形になって、イリーナは頰を赤らめる。


「イリーナだ」


 ヴィルヘルムはあえてだろう、伯爵家の名前は出さなかった。

 彼がイリーナを紹介すると、会場から一斉に拍手が起こる。


「ご婚約おめでとうございます! ヴィルヘルム陛下万歳!!」


 その祝福の声に混じって、心ない内面の言葉も聞こえてくる。内面の言葉も聞こえてくる。


(あんな足の悪い女が皇妃なんて)


(陛下は騙されているんじゃないか?)


(まさか皇帝の気を引くために足が悪い演技をしているのでは?)


 心の耳を塞いでいても、そんな批難と疑念の心の声がたくさんイリーナの心の耳をこじ開けて届く。

 イリーナは笑みを保つので精一杯だった。


(せめて、泣き出さないようにしないと……)


 ぎゅっと拳を握りしめた時、ヴィルヘルムがハッキリと群衆に向かって言った。


「彼女は私の婚約者だ。皇帝が選んだ女性を侮辱することは、私を侮辱するのと同義である。今後はそれを肝に命じておくと良い。──もし不愉快な言葉が彼女の耳にまで届いたら、容赦しない」


 その銀仮面越しに放たれたヴィルヘルムの殺意に、群衆は静まり返る。


「私は彼女を心から愛している。だから彼女を選んだのだ」


 心の声を聞かなくても分かるくらい強い想いが込められた言葉だ。彼のまっすぐな愛情は伝わり、イリーナは頰を赤らめる。


(陛下……)


 先程とは違う嬉し涙がこぼれそうになって、イリーナはその感情をぐっと堪えた。


「イリーナ、皆に挨拶を」


 ヴィルヘルムに促されて、イリーナは微笑みを浮かべた。


「皆様、初めまして。イリーナと申します。皇帝陛下の婚約者として精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」


 イリーナの言葉に最初はポツポツとまばらに打たれた拍手が、次第に大きくなって会場を揺らした。


「それでは皆、楽しんでくれ」


 ヴィルヘルムの言葉と共に楽団が曲を奏で、ダンスパーティが始まった。

 イリーナはローラの手を借りて、ヴィルヘルムの斜め下に設置された椅子に座る。まだ皇妃ではないので彼の隣ではなく一段下に置かれた豪奢な椅子だ。

 ローラからオレンジの果実水を受け取り、口に含んで安堵する。


「ありがとう」


 思っていたより緊張して喉が渇いてしまっていた。


「陛下、格好良かったですね! あんなにズバッと皆の前で言っちゃうなんて」


 ニヤニヤしているローラにそう耳打ちされて、イリーナの頬が染まる。


「ええ……」


(本当に私にはもったいないくらいの人だわ)

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