第15話 伯爵達のたくらみ

「これ以上は銀行から融資を引き出せません……」


 そう気弱な声で伯爵の補佐をしているマーク・ヴォルフに言われて、カール・アイゼンハート伯爵は執務机を叩いた。


「言い訳ばかりするな! 良いから、もっと銀行の融資を引き出せ!」


(この無能め……!)


 伯爵の額には青筋が浮いていた。

 新しく始めた紡績《ぼうせき》事業が上手くいっていないのだ。

 輸入商に売られた原綿が粗悪品で、それで作った衣服を着るとかぶれてしまうため回収騒ぎになっているのだ。新聞でも大きく記事にされてしまっている。


「現状では工場も止めざるを得ない。わざわざ外国から数十基も高額な紡績機を買ったというのに! 大赤字だ!」


 伯爵はそう怒鳴って、綺麗に撫でつけてある金髪が乱れるのも構わず掻き回す。


(これも全てイリーナのせいだ! イリーナが役目を果たさないから……!)


 一か月ほど前に皇帝ヴィルヘルムに連れて行かれた妾腹の娘の顔を思い出し、伯爵は苦々しい顔をする。

 そう、イリーナさえいればここまで被害が出ることはなかった。そもそも、そんな粗悪品を売る輸入商とは取引をしなかっただろう。


(もう一人、愛人に子を作らせておけば……)


 そこまで考えて、伯爵は首を振る。


(いいや、駄目だ。神に捧げられるのは一人までだ。さんざん実父から言われたじゃないか)


 たとえイリーナが死んでも、五十年経たないと神が新たな生贄を受け入れないのだ。だから代わりの者は立てられない。それで先祖は多くの子供を無駄に犠牲にしたと聞いている。

 長い伯爵家の歴史の中で、心読みの子供はアイゼンハートの血筋の者でなければならないこと。そして心読みの能力者が現れるには五十年の周期があることが分かっている。


(イリーナをどうにか皇帝の手から取り戻さねば……!)


 しかし、どうすれば良いのか分からない。皇帝相手では武力で刃が立たない。


(あいつは私に従順だから、直接会って命じれば家に戻ってくるだろう)


 伯爵はそう考えていた。問題は、どうやってイリーナと会うかだ。

 イリーナを懐柔しようと手紙を送り続けているが返答がない。おそらくどこかで止められているのだ。

 かといって、イリーナとの面会の申し出をしても皇宮の許可がおりない。


(あの仮面の若造が邪魔をしているに違いない……!)


 伯爵は八方塞がりとなっていた。悔しさにギリリと奥歯を噛み締める。

 マーク・ヴォルフは上目遣いで、伯爵に向かって言う。


「このままでは資金調達もできません。工場も閉鎖し、赤字だけが残ります……今月の使用人の給金も待ってもらっている状況で、執事からは文句を言われておりまして」


「何か打開策はないのか!?」


 伯爵の強い声に、ビクリとマークは身を震わせて苦し紛れというふうに言う。


「そっ、そうですね……ビアンカ様を裕福な家に嫁がせるのはいかがでしょうか? 伯爵家を援助してくれるくらいの」


「……ビアンカを嫁がせるだと?」


 思ってもいない方向から打開策を差し出されて、伯爵は眉根を寄せる。

 ビアンカは今年で二十歳だ。これ以上遅くなれば行き遅れと謗られる年になる。だから伯爵も焦っているのだが、当の本人が『あの男性は嫌だの』『この男性も嫌だの』と文句を言って一向に婚約者が決まらない。


「ビアンカは超がつくほどの面食いだ。その上、伯爵家に援助できるほどの資金力がある家となると、相手はいないぞ」


 顔か金か。どちらかだけを持っている男ならいる。お金のある老人、不細工な貴族の息子、顔が美しいだけの画商など。しかし両方を兼ね揃えた相手など、そうそういるものではない。いたとしても既に既婚者だ。美形だとしても浮気者で悪評ばかりの者など、ビアンカの相手としては相応しくない。


「お父様!」


 突然執務室の扉が開いて現れたのはビアンカだった。


「どうした、いきなり」


 不躾に入ってきた娘に、伯爵は顔をしかめた。


「すみません、お父様! 廊下を歩いていたら声が聞こえてきましたの。私の婚約者の話でしょう? それなら名案がありますわ!」


 目を輝かせてビアンカは言う。

 伯爵は嫌な予感を覚えた。娘のビアンカは容姿は美しいが頭が少々足りない。そのため、これまで様々な尻拭いをさせられてきたからだ。


「名案とは何だ?」


 伯爵の問いかけに、ビアンカは胸を張って言う。


「私が陛下の御心を射止めますわ!」


「陛下の? しかしヴィルヘルム陛下はイリーナとの婚約を発表したばかりだぞ」


 伯爵は眉を寄せる。


(今までさんざん陛下と会わせようとしても嫌な顔をしていたくせに。この前に邸に陛下が来た時も私が命じて渋々というふうに対応していたはずだ)


 いったいどんな変化がビアンカの身に起きたのか分からない。


(そういえば……陛下がイリーナを連れ去った日からビアンカは上の空になることが多かったな)


 まさか、と思う。


(ビアンカが陛下に紅茶をかけたと聞いた時は青くなったが、もしや娘はあの男の素顔を見たのか……?)


 そしてビアンカのこの反応で、伯爵は真実にたどり着いた。

 皇帝ヴィルヘルムは魔性のような美貌の男なのだ、と。

 そうでなければ美しいもの好きのビアンカがこんな提案をしてくるはずがない。

 ビアンカは自信ありげに言う。


「陛下はきっと……イリーナが可哀想だから、お相手をして差し上げているだけですわ。今までそんなタイプが周囲にいなかったから物珍しく感じているだけに過ぎません。だって、どう見たって私の方が魅力的ですもの!」


 伯爵もそれには同意した。


「まぁ、それは確かに……そうかもしれないな」


 目が見えず足も悪い、儚い見た目の少女に皇帝が惹かれるはずがない。同情心は大いにあるだろう。そう伯爵は思った。イリーナは皇妃にふさわしくない。


「おそばにいれば、陛下も私の方が魅力的なことに気付くはずです」


 ビアンカの言葉に、伯爵は渋い顔をする。


「しかし、どうやって陛下に近付くんだ? イリーナへの面会すら叶わず、伯爵家は避けられているようだというのに」


「イリーナの婚約発表のパーティを使うのです。さすがに陛下も婚約者の家族を招待しないわけにはいかないでしょう。その時を狙います」


 貴族の間ではイリーナは白い目で見られている。皇帝が婚約者の家族を蔑ろにしているというのは聞こえが悪い。皇帝自身は気にしないかもしれないが、家臣が外聞を気にして皇帝に伯爵達を招くよう進言する可能性は高いだろう。


「それで……どうするつもりだ? チャンスは少ないぞ。再度お前に会ったところで、陛下のお気持ちがお前に向くかどうか……」


 普通の貴族の男ならビアンカが迫れば、すぐに惚れるだろう。

 しかし相手は冷酷非道と噂される皇帝だ。しかも仮面をつけている偏屈な男である。

 もちろん伯爵もこれまでヴィルヘルムとビアンカの仲を取り持とうとしたものの、本気でできるとまでは考えていなかった。


「これを使いますわ」


 ビアンカが懐から出したのは、ピンク色の液体が入ったガラスの小瓶だった。


「それは?」


「これは強力な媚薬ですわ。今は社交界のとあるサークルで流行っているらしく、一本譲っていただきましたの」


 それを聞いて、伯爵は驚きと同時に「またか」と、うんざりした。性に奔放なビアンカは怪しいサークルで男遊びをしているのだ。おそらく一度は試し済みのものだろう。


「一滴でも効果はてきめんでしたわ。どんな紳士でも我を忘れて目の前の相手にすがりつくようになりますの」


「なるほど。それは良いな」


 バレたら皇室侮辱罪として捕まってしまうだろう。しかし男なら突如性欲に駆り立てられる経験は誰しも一度はあるはずだし、知らせなければそれが媚薬のせいだとは思いもしないはずだ。


(既成事実さえ作ってしまえば、婚約発表どころではなくなる。一度男女の仲になれば、皇帝の子を身ごもったから責任を取れと言って婚約させることができる。その後に子供は流れたと言い張れば良い。そうなれば世論はビアンカを可哀想だと思い、皇帝も婚約破棄はできない空気になるはずだ。その後に本当に子供を作ってしまえば良い)


「なるほど。悪くない考えだ。それなら、私もその日にお前と陛下が二人きりになれるよう協力しよう」


(そうしたらイリーナは意気消沈して伯爵家に戻ってくるしかなくなるだろう)


 その様子を想像して、伯爵はにんまりと笑みを浮かべる。


(そうしたら父親として優しい言葉をかけてやろう。あいつの心読みの力は全て伯爵家が独占するべきなんだから)


 伯爵は、ふと疑問に思ってビアンカに顔を向ける。


「しかし、もし計画が上手くいかなかった時はどうするつもりだ? 皇帝と二人きりになるチャンスがなかったら……」


「いつか必ず機会は巡ってきますわ。それにイリーナはどんどん衰弱していると聞きますわ。おそらく長くはないはずです。伴侶を失くしてお寂しい陛下の御心をお慰めするのも悪くはありませんわ」


 イリーナの方が先に皇妃になるのは気に入りませんけれど、とビアンカは付け足す。

 伯爵の頭に血がのぼった。


「めったなことを言うんじゃない! イリーナが死ぬなどと……!」


 激しい剣幕で怒鳴る伯爵に、ビアンカがぎょっとしたような顔になる。


「お父様?」


「もう良い。下がれ。計画の日までおとなしく過ごしていろよ。良いか、分かったな!?」


「も、もちろんですわ。怒鳴らないでくださいませ」


 ビアンカは不貞腐れたように唇を尖らせて執務室を出て行く。

 ずっと黙り込んでいた伯爵の補佐役のマークが気遣うように声をかけてくる。


「伯爵様……」


「お前も下がれ!」


 苛立ち混じりに机を叩けば、「ヒィッ」と情けない声を出してマークは部屋を出て行く。


「イリーナが死ぬだと?」


(そんなことになったら誰が心読みをするんだ!?)


 まだイリーナには役に立ってもらわなければならない。

 生贄の子供が短命なことは実父から聞いて知っていた。だが三十歳くらいまでは生きるだろうと踏んでいたのだ。早々に死なれては色んな計画が破綻する。


(イリーナにはその力を伯爵家のために全て使ってもらう! もし短命だというなら、伯爵家のために全身全霊を捧げて心読みをしてから死ぬべきだ!)


 そう傲慢に伯爵は考えていた。

 もはやイリーナの心に家族はおらず、その最後の力は皇帝ヴィルヘルムのために使おうと決めていることも知らずに。

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