第8話 贈り物のドレス

 イリーナが皇帝暗殺計画の黒幕であるイルゼ・シュタイヒャーマン侯爵夫人が拘束されたと知ったのは翌日の昼過ぎのことだった。


(まさかイルゼが陛下のお命を狙うとは……)


 イリーナが廊下を歩いている時にたまたま伯爵邸の居間から父親のカール・アイゼンハート伯爵の心の声が聞こえてきた。室内には義母クララと義姉ビアンカもいるようだ。


「どうやらイルゼは手下を使用人に紛れ込ませて陛下のお命を狙ったらしいですわね。怖いですわ。幸い陛下は毒を飲む前に犯人は捕まったようですけれど……」


 続いて義母がそう話している声が届いた。

 そして二人の会話からシュタイヒャーマン侯爵夫人の家族も兵士に捕まり、取り調べを受けているらしい。シルヴィア太皇太后たいこうたいごうは娘がしでかしたことの責任を取ると宣言し、隠居することになったとか。


(陛下はご無事だったのね。良かった……)


 イリーナは胸を撫でおろす。隣で介助してくれていた伯爵家のかかりつけ医であるマティアスが心配そうに足を止めたイリーナを見た。


「大丈夫ですか、お嬢様。無理はなさらない方が……」


「大丈夫です」


 日に日に膝が強張り、歩けなくなっている。少しでも時間と体力がある時は邸の内外を歩き、リハビリをしていた。目も見えないから繕い物もできず、掃除をしてもバケツを転がしてしまうため、最近では自分の身の周りのことをこなすことさえ難儀する。


(また皇宮へ行けたら良いんだけど……)


 ヴィルヘルムのことが気になっていた。再び父親に連れて行かれる機会があれば良いと思うけれど、それはイリーナの『心読み』の力を必要とされてのことだ。力を使えばもっと体が衰弱してしまう。

 その時、居間の扉が開いてアイゼンハート伯爵が現れ、イリーナを見て顔をしかめた。


「何だ、またウロチョロ出歩いているのか。私が呼ぶまで部屋で療養しろ」


 そうは言われてもこんな状態でも食事は自分で用意しなければならないし、体を清めるのだって使用人の手は借りられないので自分でするしかないのだ。


「……失礼いたします」


 イリーナはうな垂れたままそう言って、自室に踵を返そうとした時──。

 来客を告げる鐘が鳴った。イリーナがその場から去ろうとしたが、間もなく慌てた様子の執事が困惑顔でアイゼンハート伯爵の元までやってきて言った。


「皇宮から贈り物が届いております。お嬢様へのドレスのようですが……」


「ドレス? ビアンカへか?」


 驚きながら義姉の名前を出した伯爵に、執事はオドオドとした態度で首を振り、ちらりとイリーナの方を見る。


「……イリーナお嬢様への贈り物のようです」


「イリーナに?」


 それを聞いた伯爵は驚き、すぐに訝しげな顔になった。


(私にドレス? 陛下が?)


 イリーナは目を丸くした。

 先日出会ったヴィルヘルムのことを思い浮かべて、すぐに首を振った。何かの間違いに決まっている。あんな素敵な人が自分にドレスをくれるはずがない。


「とにかく開けてみろ」


 アイゼンハート伯爵はそう言って執事をうながし、大きな箱が玄関から運ばせて伯爵の眼の前で開けられる。


「まぁ、なんて素敵なドレスなんでしょう!」


 箱の中身を見たビアンカは歓声を上げた。


「これは皇室御用達のデザイナーが作ったドレスじゃありませんか! イリーナなんかにはもったいないわ!」

 クララは眉をひそめている。イリーナは二人の声を聞いてますます混乱した。


(どうして私にそんな立派なドレスを……?)


「お父様! これ、私がいただいても良いでしょう?」


 ビアンカが興奮気味に言って伯爵にねだり、伯爵は頷く。


「そうだな。これはビアンカにふさわしい」


 イリーナは慌てた。ヴィルヘルムから貰ったものだと思うと我慢ならなくなり、普段なら絶対にしないはずの口答えをしてしまった。


「お父様、それは私が──」


「黙れ! お前が口を出すことじゃない!」


 伯爵の言葉にクララも頷き、冷たい視線をイリーナに向けた。


「そうよねぇ。身の程をわきまえなさいな、イリーナ。そもそも目も足も悪いあなたがドレスなんてもらっても、どうしようもないでしょう? ビアンカが有効活用してあげるんだから、むしろ感謝なさい」


(身の程って……)


 そんな言い方しなくても良いではないか。そう思いながらも反論できない自分を情けなく思った。

 確かにイリーナにはドレスの色も分からない。着ていく場所もない。だけど、それはイリーナに贈られたものなのだ。

 イリーナは気持ちを押し込めて、ギュッと胸元で拳を握りしめる。

 結局ドレスはビアンカに与えられることになった。


「心配するな。陛下にはお前が感謝していると御礼状を送っておく」


 伯爵はそう言って、イリーナを虫か何かのように「シッシッ」と手で払うような仕草をした。

 イリーナは唇を噛み締めて、マティアスと共に部屋に戻る他なかった。

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