第7話 暗殺未遂

 その夜、厨房で料理長からホットミルクを受け取ったレオンハルトは、人目を盗んで己の懐から取り出した粉末をカップに混ぜた。そして何食わぬ顔で皇帝ヴィルヘルムの待つ寝室に運んでいく。

 ヴィルヘルムはいつもの銀仮面を身につけたまま寝着をまとい、キングサイズのベッドの背にもたれるように座っていた。手には読みかけの書物がある。

 レオンハルトはいつものように主の読書を邪魔しないよう静かに入室してからサイドテーブルにホットミルクを置き、出て行こうとしたが──。


「待て」


 ヴィルヘルムがそう声をかけてきて、レオンハルトはビクリと肩を揺らした。


(まさか気付かれたか?)


 内心レオンハルトは冷や汗を流す。


「何でしょうか? 陛下」


「いつも苦労をかけるな。たまにはお前を労いたい。まぁ、そこに座れ」


「はっ、はい! お気遣いありがとうございます……」


 突然そんなことを言われたレオンハルトは居住まいをただし、近くの椅子に腰掛けた。

 落ち着かない気分になりながらヴィルヘルムの顔色をうかがう。皇帝はいつもと変わりなく泰然としていた。


(なぜいきなり労を労うなどと……まさか毒を入れたことに勘付いて……? いや、大丈夫だ。バレるはずがない。手抜かりなどないんだ)


 これまでヴィルヘルムの信頼を得るために何年も誠心誠意尽くしてきた。

 ヴィルヘルムが毒で死んだ後は料理長に罪を着せるつもりで、すでに厨房の棚に瓶に入った同じ毒を忍ばせてある。


(ここまで準備は万端だ。皇帝は俺を信用しきっているんだから、本当に感謝を伝えるために呼び止めただけだ)


 そう思うと少しだけ胸が痛んだが、すぐに己の恩人であるイルゼの顔を思い出して内心で首を振る。彼女のためならば、レオンハルトは皇帝を殺すことだって厭わない。


「汗をかいているな。喉が渇いただろう? このホットミルクを飲むと良い」


 ヴィルヘルムにうながされて、レオンハルトはぎょっとした。


「い、いえ、それは陛下のためにご用意したものなので……」


 声が裏返ってしまう。不審がられたか、と心配になりながら皇帝の様子を見る。


「気にするな。ホットミルクはまた用意させれば良いんだから。温かいうちにな」


 ヴィルヘルムの思慮深い眼差しを見て、レオンハルトは全てを察した。


(毒が入っていることを知られしまっている……)


 そうでなければ、こんな提案をしてくるはずがない。

 おそらく毒を盛った責任を取って自害しろ、と言われているのだ。

 とっさに逃げようと寝室の扉に顔を向けたが、間もなく兵士達が何人も入ってきてレオンハルトは囲まれてしまう。


「ほら、飲まないのか? もし誰かに唆されたと白状するなら命だけは助けてやろう」


 ヴィルヘルムはそう言う。

 兵士達の無言の圧力の中、レオンハルトは己の敗北を悟った。


(もう終わりだ。イルゼ様にご迷惑はかけられない……)


「……いえ、全て私の独断による行動です」


 そう絞り出すように言うと、レオンハルトはぎゅっと瞼を閉じてホットミルクをあおった。


「ぐっ、うぅ……」


 レオンハルトは地面に這いつくばって、うめいた。四肢が震え、脂汗が額に浮き出る。

 喉を押さえながらうめくレオンハルトを、ヴィルヘルムは寂しそうに見おろした。


「……残念だよ、レオンハルト。信頼していたのに」


(ああ……もしも本当に彼が主君であれば良かったのに……)


 心の底に生まれた後悔は、意識の消失と共に消えていった。



 寝室からレオンハルトが運び出され、兵士達が一礼をして出て行く。

 ヴィルヘルムは大きくため息を落とし、誰もいなくなって静まり返った寝室で銀仮面を外す。

 そこには火傷も傷すら一つもない、きめ細かな肌の青年がいた。

 ただ、ヴィルヘルムは普通の容姿ではなかった。

 その整いすぎた容貌は、悪魔のような魅力を放っている。

 彼の素顔を見た人物は仕事に集中できなくなり、下手するとあまりの美しさに耐えきれなくなり気絶してしまうため、ヴィルヘルムは幼少期から恐ろしい銀仮面をつけているのだ。

 その仮面のせいで妙な噂を流されていることを知っていたがヴィルヘルムは放っておいた。どちらにしても容姿で色んなことを言われてしまう。仮面をつけていた方が不気味で舐められないし、残虐皇帝と思われた方が都合が良かった。

 今では己の体の一部になってしまっている仮面を撫でながら、


「……何度経験しても、裏切られるのはこたえるな」


 そう、つぶやく。

 ヴィルヘルムはイリーナに忠告されてから、密かに信頼できる部下を厳選しレオンハルトの行動を監視させていた。

 100%イリーナの言葉を信じた訳ではない。だが嘘とも思えなかったのだ。

 レオンハルトのことは信頼していたから、叛意なんてなければ良い。それを証明したい気持ちもあった。

 ──だがヴィルヘルムの期待はあっけなく打ち破られた。

 レオンハルトが瓶に入った毒を厨房の棚に忍ばせているのを確認したからだ。その後の彼の行動も想定通りだった。

 思い出すとフツフツと悲しみが湧いてくるが、ヴィルヘルムは首を振ってその感情を払い除ける。

 未来の皇帝として生まれた時から、幾度も暗殺の危機にさらされてきた。

 それでも今まで生きながらえてきたのは彼の勘が良く、さらに用心深い性格だったからだ。


(それにしても、イリーナ……彼女は何者だ?)


 ヴィルヘルムは昼間に会った少女を思い浮かべる。

 彼女の予言は本物だ。イリーナのおかげでヴィルヘルムは命を救われた。


(なぜ彼女は毒が入っていることが分かったんだ……?)


 いくら考えても理由が分からない。レオンハルトとは知り合いではなさそうだったし、目や足の悪い彼女に計画を事前に察知するのは難しいだろう。


(……ともあれ彼女にお礼をしなければならないだろうな)


 愛らしい見た目をしているが、目が見えず足が悪いためか気が弱そうに見えた。

 昼間に着ていたドレスは似合っていなかったから、もっと彼女の愛らしさを強調させる衣装でも贈ろう。

 なんとなく庇護欲をそそられる彼女の姿を思い浮かべて、ヴィルヘルムは少しだけ微笑む。

 目が見えないためにヴィルヘルムに偏見なく接してくる少女。彼女に興味をそそられていた。

 謎めいた彼女に再び会えることを考えると心が不思議と浮き立つのを感じるのだった。



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