第5話 パーティ

「いや、そんなことはできない。パーティに来た客を空腹で帰しては俺の沽券に関わる」


 ヴィルヘルムはイリーナの制止も聞かず、ずんずんと会場に進んでいく。人々の好奇の視線がイリーナに突き刺さる。


「陛下! 私は本当に大丈夫ですから!」


「遠慮するな」


(そうじゃないんです……!)


 壁際に設置されていた長机の上にはたくさんの料理が並んでいた。スタンドに載った一口大の季節の果実を使った色とりどりのケーキや、こんがりと焼き上げられた肉が挟まれたパンなど、どれも食欲を誘う香りを漂わせており美味しそうである。思わずごくりと喉を鳴らしてしまい、イリーナはますます恥ずかしさが増した。

 しかし今のイリーナにとってそれどころではなかった。


(あのご令嬢は何者?)


(ヴィルヘルム陛下が直接抱いてくるなんて……)


(ドレスだっさ! デザイン古ぅ……)


 パーティ会場にいた招待客の困惑と好奇の心の声が突き刺さってくるのだ。

 そんな縮こまっているイリーナの様子に気づかず、ヴィルヘルムは従者の男に命じて皿に料理を取らせようとしていた。


(美味いものを食わせてやろう。まずは肉を……)


 ヴィルヘルムがそんなことを考えているのが聞こえてきた時、アイゼンハート伯爵が慌てて駆け寄って来た。


「へ、陛下! イリーナ、お前は何をやっているんだ!?」


(庭園で待っていろと言ったのに! どうして陛下に連れられて会場に来ているんだ!?)


 父親が激怒しており、イリーナは青くなった。必死に首を振り、わざとしているわけじゃないことを訴えようとした。


「お父様、ごめんなさい。私……」


 イリーナの言葉を無視して、伯爵は揉み手をしながらヴィルヘルムに顔を向ける。


「陛下のお手を煩わせてしまい申し訳ありません。目の悪い娘で、パーティにはこさせるつもりはなかったのですが『どうしても連れて行け』と我儘を言って聞かなくて……」


「構わない。俺が勝手に連れてきただけだ」


 ヴィルヘルムはそう言うと、イリーナを半個室の貴賓席に座らせる。陽の光がそそぐテラス近くの心地よさそうな場所だ。


「ほら、食べて良いぞ」


(あ……)


 従者の男が次々と目の前の机に小皿を置いていく。目に鮮やかなケーキやパンだが、イリーナは認識することしかできない。


「イリーナ! お前いい加減に……っ!」


(あの馬鹿! 何を悠長に食事しようとしているんだ! また庭園に連れて行かねば)


 怒り心頭の伯爵がイリーナの手をつかみ上げようとして、ヴィルヘルムに鋭い目で止められる。


「俺が用意させた食事を取らせないつもりか? 何様のつもりだ?」


 びゅうと凍てつくようなヴィルヘルムの眼光にさらされ、伯爵は震え上がった。


「わ、私はそんなつもりでは……!」


 慌てて唾を飛ばす伯爵に、ヴィルヘルムはハァとため息を落として従者を見る。

 従者の彼は心得たように頷き、伯爵に言った。


「アイゼンハート伯爵、太皇太后たいこうたいごう陛下がお待ちでございます」


「シルヴィア様が?」


 急に皇帝の祖母の名前を出されて、伯爵は面食らった様子だった。しかし今日のパーティの主役からの呼び出し。同じく太皇太后への挨拶待ちでホールにいた者達も多くいたため、タイミング悪く自分の順番がまわってきたのだろうと納得したらしい。


(仕方ない。イリーナのことは後回しだ)


 伯爵はそう内心舌打ちした。


「イリーナ、すぐ戻るから大人しく待っているんだぞ。余計なことはするな!」


 そう言って伯爵は去って行った。イリーナは安堵して、そっと肩の力を抜く。


「お前の父親は面倒くさいな」


 ヴィルヘルムのあけすけな物言いに、イリーナは何と返して良いか分からず、ほんの少しだけ苦笑いを浮かべた。


「それより遠慮せず食べるが良い」


 目の前に腰掛けたヴィルヘルムがそう促した。

 イリーナは「はい……」と言って、恐る恐るトマトサンドを口に運ぶ。じゅわっと広がる酸味とレタスのしゃきしゃき感。それにこんがり焼いた鶏肉の旨味と香草の香りが口の中いっぱいに広がった。咀嚼して飲み込むと、自然と口元がほころぶ。


「……美味しいです」


 素直に感想を口にすると、ヴィルヘルムは「そうか」と少し嬉しそうに微笑んだ。


(相手の反応を気にせず食事できるのは初めてだ。皆、俺を恐れてビクビクしているし、素顔を見せれば放心してしまうからな)


 ヴィルヘルムのそんな心の声が届く。どうやらイリーナは目が見えないから彼の容姿に反応しない。それが物珍しく、ヴィルヘルムは興味を惹かれているらしい。


(陛下はやはり見た目のせいでご苦労をなさっているのだわ……)


 イリーナは気の毒に思った。目が見えないこの不自由な身が初めて役に立ったことに安堵する。


「もっと食べろ」


 そうヴィルヘルムに言われて、イリーナは目の前にあるフルーツを慎重に選んで口にする。

 次々とデザートが運ばれてきた。お腹いっぱいになるまで食べさせてもらう。

 あたたかい紅茶を口にふくんで、ほうと満足した息を吐く。


「……こんなに美味しい食事は初めてです。ありがとうございます」


 仕事に追い立てられ、ゆっくりと食事を取れたのは久しぶりだった。伯爵家では家族から見向きもされず、使用人達からも冷たい目で見られているため、厨房で己の食事の準備をしている時も気を遣って軽い食事しか取れない。不思議とイリーナはヴィルヘルムの前では安らぎを感じていた。


「……何かお礼をしなければならないところですが、この身では……」


 イリーナの言葉に、ヴィルヘルムは首を横に振る。


「礼をされるようなことはしていない」


「でも、それでは私の気が済みません」


 イリーナが食い下がると、ヴィルヘルムは少し考え込んだ後、こう提案した。


「では、俺の話し相手になってくれ」


(話し相手……?)


 きょとんとするイリーナに構わず、ヴィルヘルムは続ける。


「俺は今日パーティに出席するために数日前から働きづめだったんだ。まだ挨拶回りをしなければいけないが……正直、令嬢の相手ばかりでもう疲れたからな。お前と一緒にいたら良い言い訳になる」


 ヴィルヘルムはそう言うと、イリーナの向かいの椅子に腰掛けた。


「俺の話し相手になってくれ。退屈なパーティが終わるまで」


 そう言って彼は頬杖をついてイリーナを見つめる。その青色の瞳はどこか楽しげだ。


(退屈なパーティが終わるまで……)


 パーティは華やかだが、ヴィルヘルムは皇帝として結婚相手を選ばなければならないというプレッシャーがあるのだろう。だが目の前の彼はうんざりとした様子で、言葉通り本当に疲れているようだった。


「私などで、よろしければ」


 彼の小さく笑う空気が伝わってくる。


「お前は随分慎ましい性格のようだ」


(陛下はお礼なんて良いとおっしゃったけれど、やはりそういう訳にはいかないわよね……話し相手になるだけなんて、きっと私に気を遣わせないための方便なのだわ)


 見た目の強烈さと相反するヴィルヘルムの優しさを感じ、イリーナは自分に何かできることはないだろうかと思う。

 普通の令嬢ならばハンカチに刺繍をして渡したり、ちょっとした贈り物をするのかもしれない。だが目の見えないイリーナには刺繍は難しく、贈り物をするほどの財力もない。


(正直に陛下に欲しいものを尋ねても、気を遣ってお答えいただけないでしょうし……)


 それで密かに能力を使おうと考えた。誰か一人くらいはヴィルヘルムの欲しいものを知っているかもしれない。些細なものならばイリーナにも用意できる可能性もあると期待して。


(たくさんの声が聞こえてきて人の集まるところは苦手だけれど……)


 パーティのような人の多い場所では人から気を逸らしていたが、イリーナは皇帝や彼の周囲の人々に意識を向けた。そうすると少し開いていた扉から洪水のような声がイリーナに降り注いだ。


(あの娘は何者かしら……陛下はあんな小娘が好みなの?)


(アイゼンハート伯爵とは似てないな)


(いったい誰が皇帝の心を射止めるのだろう? あの娘はありえないな。あれならまだうちの娘の方が器量が良い)


 そんな無遠慮な声の中に、ひとつだけ気になるものがあった。


(皇帝暗殺計画の首尾は上々だ。陛下は油断しきっている。これならイルゼ様をご満足させられるだろう)


「えっ……」


 イリーナは驚き、思わず従者の男の方に顔を向けた。声は彼から聞こえている。

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