第3話 冷酷非道な仮面の皇帝

「今日のパーティは、皇帝のお祖母様であるシルヴィア様の誕生日会なんですよね?」


 馬車の中で、イリーナの前に座っているビアンカが豪奢な波打つ金髪を揺らしながらそう父親に尋ねた。

 ビアンカはイリーナより二歳年上の二十歳で、金髪緑眼の少し気の強そうな美少女だ。

 アイゼンハート伯爵は頷く。


「ああ、建前上はな。だが実際には妻子を持たない皇帝の妃選びために臣下が準備をした。だから皇都中の令嬢が呼ばれているんだ。ビアンカはまだ婚約者がいないし、知性溢れ、剣の腕も素晴らしいと評判の陛下ならお前の相手にぴったりだろう。しかも同い年だ」


 その言葉に素早く「まぁ」と咎めるように反応したのはビアンカの隣にいたクララ・アイゼンハート伯爵夫人だ。

 イリーナの義母である伯爵夫人は、いつも金髪を後ろで綺麗に編み上げている。伯爵の三つ歳下で今年四十歳になる彼女だが、ビアンカの姉と言われても違和感ない若々しさがあった。

 伯爵夫人は緑色の目を剥いて眉を釣り上げている。


「あなたったら、なんてことをおっしゃるの!? ヴィルヘルム陛下がお相手だなんて……あの方は血も涙もないと評判よ。そんな相手に可愛いビアンカを差し出すなんてできないわ! それに常に不気味な仮面をつけていて気味が悪いもの。きっとよほどの醜男なのよ!」


 その散々な言いように伯爵は苦笑する。


「陛下のお顔を見た者はいないが……まぁ確かに大きな傷があるとか、醜い火傷の痕があるという噂はあるな。実際、先日側近であるハンス筆頭書記官は陛下のご尊顔をうっかり見て気を失ってしまったと宮廷でも噂が流れている」


「気絶するほどだなんて……どれほど、おぞましい顔なのかしら……」


 伯爵夫人はつぶやき、顔を青ざめさせて身を震わせる。


「駄目よ! 伯爵家にそんな不細工の血を入れるなんて! 私の孫は可愛い顔でないと許せないわ!」


 悲鳴のように伯爵夫人が言い、夫である伯爵から「無礼だぞ。黙りなさい」と窘められる。

 その後に彼は小さく息を吐いた。


「まぁ陛下がお相手なら我が伯爵家の事業にも良いし、良縁なのだがな」


 そう商魂逞しい父親の愚痴る声を馬車の中で聞きながら、イリーナは近付く皇宮の姿を想像した。目が見えないイリーナには、もう耳と想像だけが頼りだ。


(やはり皇宮は広くてきらびやかなのかしら……)


 イリーナには縁遠く、皇宮に行くのは初めてだ。

 楽しげに会話している家族の邪魔をしないよう、イリーナは馬車の端で存在感を消す。

 家族の会話に入らないのが決まりだ。出しゃばらない。それがイリーナが穏やかに暮らせる唯一の方法だった。


(寂しさと疎外感は無視すれば良いだけだもの……)


 名ばかり伯爵家の娘であるイリーナは、家族と普段食事を共にすることもない。いつも暗い自室で一人食事をし、一人で厨房で皿を静かに片付ける。食堂の廊下から聞こえる伯爵達の団らんの声を聞きながら。


「陛下のお顔はそんなに恐ろしいんですのね」


 ビアンカは残念そうにため息を落とした。


(たとえ玉の輿でも、そんな見た目の方の伴侶になるなんてごめんだわ)


 彼女の心の声がイリーナに届く。

 イリーナは眉を寄せてしまいそうになり──慌てて無表情を作って『心の耳』を閉じた。

 家族は心を読まれることを嫌う。イリーナがうっかり聞いてしまったことを知られると怒られるのだ。


「まぁ実際のところは分からないがな。目撃者が少ないし、陛下のお顔を目にしたことのある数少ない人物は皆一様に口を閉ざすから」


 そう言って、伯爵はため息を吐いてから続けた。


「陛下は生い立ちが複雑だ。今は亡きリーザ前皇妃の忘れ形見だが、後妻であるカタリナ皇妃の一派に追いやられて14歳まで塔で監禁生活をされていた。それから皇妃派に戦場の最前線に追いやられ、今に至る。幼い頃から仮面をつけているから素顔を見た者は多くはない。塔で拷問されたり、戦場でつけられた大きな傷があってもおかしくないだろうな」


 イリーナは神妙な気持ちで顔を伏せた。


(あまりにもお辛い過去だわ……)


 父親である皇帝も幼いヴィルヘルムを助けてはくれなかったのだろう。

 それなら自分を虐げたり、見て見ぬふりをした皇族を手にかけてもおかしくない。何もせずにいたら彼はきっと殺されていただろうから。

 そんなことを考えているうちに皇宮にたどり着いた。


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