第55話 最後の戦い
警察の大型ドローンが窓の外を横切る。湯川麗子の家が警察官に取り囲まれていた。
捜索の中止を依頼したのだが、行き違いがあったのだろう。……戸惑いながら杏里は立ちあがった。
「ここを動かないで」
ゼット親子らに指示して階下におりた。
玄関ドアを開けると、目につく範囲だけでも30人ほどの警察官がいた。異種族用に開発された大型拳銃を携帯している。彼らの背後には2台の装甲車。
「私はSETの鈴木です。娘は無事に戻りました。捜索は取り下げたはずです」
杏里の言葉に警察官達は耳を貸さなかった。
後方の車両から降りたスーツ姿の男性が近づいてくる。おそらく指揮官だろう。彼は制服姿の警官に並ぶと口を利いた。
「鈴木杏里さんですね。勘違いしてもらっては困りますよ。日本は法治国家です。あなたの一存で何かが変わるわけではない」
「あなたは誰です?」
「失礼、警視庁公安部の
公安部の官僚なら政治的な意図があって来たのだろう。……杏里は察した。
「誰の命令でここへ?」
杏里の言葉を遮るように、彼が手を挙げる。
「鈴木杏里、あなたを不法移民
彼が手で合図を送った。制服姿の警察官が杏里の両脇に立って腕を取る。
「岩熊さん。自分のやっていることが、わかっているの?」
杏里は、あえて感情を表にしてにらみつける。こういう時は先にキレた方が状況を支配できるものだ。小心者なら、命じた者が誰か、その意図が何かを口にするだろう。
しかし、彼には杏里の策が効かなかった。
「その言葉は、そっくりお返ししましょう。勘違いされては困るのですよ。世界企業の経営者であろうと、どれだけ社会貢献していようと、犯罪は犯罪です」
彼は
手続き上、彼が言うのは正しい。しかし、それが良好な社会を作るとは限らない。
「形式主義は社会を腐らせるわよ。世の中にとって何が大切なのか、自分の頭で良く考えてみなさい」
彼に言ってから振り返った。動くなと言ってきたのに、やはり麗子とルミルの姿があった。
「心配いらないわよ」
声をかけて猪熊に向き直る。
「理想を語るのは、政治家に任せますよ。私は官僚ですから形式を重んじます。……さて、湯川博士。お宅にいる2名の不法移民を差し出していただけるかな。あなただって、ファントムがどれだけ危険な存在か知っているでしょう。彼らは姿も身体の構造も我々と違うのですよ。身体が違えば心も違うでしょう」
彼が麗子を見ていた。
「あなた、それは差別ですよ。彼らは正式の手続きを踏んでスラムに住んでいたはずです」
「彼らが届け出た書類には、異種族の旨の記載がありませんでした。身元を偽った書類は正式のものとは言い難い」
どうやら岩熊も、その辺りは手抜かりなく調べたうえで来たものらしい。はったりが通用する相手ではなさそうだ。……考えながら杏里は苦しい応答をした。
「スラム地区居住の書類に、人類か異種族かなどと記載する項目はないはずです」
「もちろん。日本は異種族の居住を認めていませんからな。万が一、異種族だと政府が知っていたら、スラムどころか、日本国の土を踏むことさえ認めませんよ。……ファントムとオーヴァル両者の被害にあった日本人のトラウマは深い。異種族の居住が認められるような文化が醸成されるのには時間がかかるでしょう。それまでは断固、移住を認めない。それが国の方針です」
異種族の居住を容易に認めない日本政府は、諸外国の批判にさらされていた。岩熊は、国際会議で批判に応える日本代表のいつもの発言と同じことを言ったのだ。
「そんなやり方が、いつまで通用すると考えているのですか! あれから、もう20年も経っているのですよ」
杏里の批判に岩熊は冷笑で応じ、車に連れていけと、部下に合図を送った。
「ママ!……」麗子の背後から、ルミルが飛び出した。「……ママを連れていかないで。ゼットを連れてきたのは、私なのよ」
「ルミル、止めなさい」
いつものようにルミルは杏里の言うことを聞かなかった。彼女は母親を拘束する警察官の腕に組みついた。
「子供がしでかしたことは、親の責任だ。邪魔をするな。怪我をするぞ」
警察官がはねのけ、ルミルが転倒する。
「子供に何をするの!」
身をよじりながら警察官に抗議する。ルミルが怪我をしていないか心配だ。
「公務執行妨害を加えるぞ」
抗う杏里に岩熊が声を浴びせる。
その時、空から声がした。
「止めろ!」
3階の窓から飛び降りたゼットが、目の前に着地した。
「戻りなさい!」
杏里は命じたが、後の祭り。警察官が、ゼットに銃口を向けていた。
「俺はここから出ていく。だから、その人を解放しろ」
彼が杏里を指した。
岩熊が一歩前に出る。
「良い心がけだ。だが、お前の罪と鈴木社長の罪は別物なのだよ」
「どうしてだ? 俺がいなかったら、その人が俺をかくまうことがなかったはずだ」
「法律に理由は関係ない。鈴木社長が異種族を隠匿したこと自体が罪なのだ」
彼が口角を上げた。
「クソッ……」
ゼットが憤り、警察官の手から杏里を奪おうと動く。
「ゼット、手を出してはだめ!」
誰の言葉もゼットを止めることはできなかった。彼は杏里の腕を取っていた警察官の腕をひねりあげて投げ飛ばした。
「ゼット、戻りなさい!」
玄関から飛び出してきたミラの叫びも届かない。ゼットはもう一人の警察官の腕を握った。
「大人しくしろ、抵抗すると撃つぞ」
「鈴木社長を解放しろ!」
短いやり取りの末に、ゼットはもう1人の警察官も投げ飛ばしていた。
「撃て」
一陣の風が吹くのと、岩熊が命じるのが同時だった。
――ドン、ドン、ドン……――
打ち上げ花火が上がったような腹の底に響く銃声が鳴った。
杏里は、咄嗟に銃口の前に手を伸ばした。ルミルとホワイトが目を覆う。誰もがゼットは死んだと思った。
一陣の風はドローンから飛び降りた朱雀が巻き起こしたものだった。彼女はゼットを守るように立ちふさがった。3発の弾丸が朱雀の体内で炸裂、3発目はキューブを破壊して、朱雀の姿を粉々にしていた。
4発目の弾は、銃口の前に伸ばした杏里の義手を砕いた。破片が脇腹に突き刺さり、血が飛んだ。激痛が全身を走り、杏里は地面に倒れた。
5発目の弾が、ゼットを押し倒したミラの腰を貫通して穴をあけた。
「母さん!」
ゼットが抱き起したミラは虫の息。
「ゼット……、誰も恨んではいけない。信じるのです。杏里さんとホワイトを信じて生きなさい……」
ミラはそれだけ言うと意識を失った。
「抵抗したお前が悪いのだぞ!」
岩熊が言った。彼は死んだエクスパージャーが溶けると知っているようだった。ミラの死亡を確認しようとしない。倒れた杏里の傍らに腰をかがめ、部下を呼んだ。
「救急車を手配しろ」
「ふ、不要です……」
杏里は拒否した。
「そういうわけにはいかない」
「……私のことより、……自分のことを心配なさい。……私が、運ばれたら、……あなたは終わりますよ」
チッ、と彼が舌打ちをした。
「素手の者に対して、……過剰な武器使用は、………職務執行法違反よ」
倒れたミラを指し、痛みに耐えながら抗議した。できることなら、自分の怪我と彼女たちの自由を交換条件にしようと考えた。
「警告はした。訴えられるものなら訴えてみろ。そんなことより自分の心配をするんだな」
彼が悪態をついた。
「母さん……」
ミラを抱きしめたゼットが涙を流した。その瞳に憎しみの色はなかった。
「ゼット、離れなさい」
麗子が命じた。
その時、一台のワゴン車が猛スピードで突っ込んできた。警察官たちが蜘蛛の子を散らすように散開し、急停止した車に向けて銃を構えた。
自動運転のそれにドライバーはおらず、後部ハッチが開いた。降りてきた人物の姿に警察官たちがあんぐりと口をあけた。
「こら、警察! 無茶は止めないか」
裸にバスタオルを巻いただけの向日葵が息巻いた。
「どきなさい」
再び麗子がゼットに命じる。
「嫌だ、俺も一緒に死ぬ」
「どうして死ぬと決めつけるのです。私が治療します」
「エッ?」
彼の瞳が収縮した。
「いたずらにホワイトを育ててきたわけではありませんよ」
その時には、ホワイトが救急箱を運んできていた。
「あなた方の方が回復力は高いのです」
麗子が治療を始める。ふらりと立ち上がったゼットの腕に警察官が手錠をかけた。あまりにも突然で、彼が抵抗することもなかった。
「お姉さん、大丈夫……」
向日葵は杏里のもとに駆け寄った。その杏里にも、別の警察官が手錠をかける。
「怪我をしているのよ。やめなさい」
抵抗する向日葵を彼は押しのけた。
「最初から大人しくしていたら、こんなことにはならなかったのだ。事情聴取が済んだら医者に連れて行ってやる」
岩熊の声にも苦いものがあった。
うなだれたゼットが装甲車に引き立てられていく。
「待ちなさい! その子を、すぐに開放しなさい」
向日葵が岩熊の前に立ちはだかった。
「どういうことだ」
「たった今、法務省からレディー・ミラとゼットの政治亡命者としての居住許可が届いたわ。20年前の日付にさかのぼってね」
「馬鹿なことを言ってもらっては困る。これでも私は官僚でね。様々な手続きに通じている。法務省が簡単に動くことなどない。……鈴木向日葵、あなたもSETの幹部だ。苦し紛れに嘘を言って恥をかくのはあなただ」
岩熊が鼻で笑った。
「もちろん。私は、日本がどういう国かわかっているつもりよ。手続きが気になるなら、データを確認なさい」
向日葵が髪からヘアピン型のウエアラブル端末を外して岩熊に突き付けた。その勢いで向日葵がまいていたバスタオルが解けて落ちた。豊かな白い胸と尻が白日の下にさらされる。
「ヤダァ!」
向日葵が慌ててバスタオルを拾い上げた。
相変わらずそそっかしいんだから。……杏里は思わず笑った。傷が痛んだ。
赤らんだ顔に不信を映しながら猪熊が情報端末を操作して、向日葵からデータを受け取った。法務省が発行した居住許可の写しだ。それには、スマートエナジーテクノ社が20年前に保護すると約束したオクトマンの家族の政治亡命を、当時にさかのぼって許可する、とあった。大概の政治家は、スマートエナジーテクノ社と杏里の名を出せば素早く対応するのが常だった。それは総理大臣でも同じこと。人間の世界では、まだ富が幅を利かせている。
「これは……」岩熊が、苦虫をかみつぶしたような顔を作った。
「どうなの?」
「法務省が動いた。……政治家でも使ったのか?」
「想像にお任せするわ」
向日葵は、ゼットと杏里を拘束している警官に鋭い視線を飛ばした。
「手錠をはずせ……」岩熊が言った。「……これだから、金持ちは嫌いだ」
「官僚のあなただって、こっちの側でしょ」
杏里は、壊れた義手を岩熊の鼻先に突き付けた。
「ママ、大丈夫?」
ルミルが杏里に抱き着き、肩を支えた。
「俺たちのことで、立場を悪くしてしまったようだ。すまない」
ゼットが杏里に頭を下げた。
「何を言うの。20年前の、あるべき形に戻っただけよ。私たち家族は、いつもこんな風に生きてきたのよ。それよりも、レディー・ミラが……」
ミラの治療が続いている。身体が変色していないから、命に別状はないだろう。ホッとすると、傷がひどく痛んだ。
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