第54話 茨の道の先の幸福
英雄の血でつながる、優れた身体能力を具えた姉弟。……ルミルは嫉妬を覚え、つい言わずもがなのことを口にした。
「ユリアナの気持ちはわからなくもないけど、そのために異種族まで創って社会を壊すなんて、異常よね」
「そうかな?……」ゼットが応じた。「……スラムにいると、あまり空を見なくなる。そこを飛ぶドローンを見ると辛くなるからだ。自分は一生あの空を飛ぶ喜びを知ることはないと絶望してしまう。男を演じていたユリアナは、似たような気持ちを持っていたと思う。異種族を作ったのは、好き勝手できる人間というものへの憧れと、復讐だった。異種族が暴れたことで人類は独占していた地球をもぎ取られ、命を失った金持ちが溜め込んでいた金を世の中に戻した」
「人を殺してまで、世の中にお金を戻す必要があるの?」
「誰かが溜め込むということは、別の誰かが空っぽになるということだ。お前みたいな金持ちになりたいとは思わないが、自由を体感できる程度の金は欲しいと、みんな思っているさ。少なくともスラムに住んでいたらな」
「そんな……」ルミルの顔が曇った。
『人には、お金も自由も大切なのよ。どちらも、少なすぎても多すぎてもいけないの』
「鈴木家は大金持ちだから、良かったわね」
ホワイトが微笑む。
ちょっと嫌な感じ。……ルミルが友人から、よく受ける感覚だ。
「あら、私もパパも資産管理会社を作ってないから相続税は大変よ」
杏里がルミルに向かって口角を挙げた。
「相続税って?」
ルミルは、母が何を言っているのか、全く理解できなかった。
「財産を引き継いだときの税金よ。ざっと、資産の半分を納めなければならないわ。それを減らすために、資産家は財産を資産管理会社においているの。子供を思って始まったことだけど、子供のない者まで、税金を払うのは馬鹿な者のすることだと考えて、同じことをやっている。……結局、彼らが死ぬと残された遺産は国家に入らない。別の誰か……、ほとんどの場合、最期を看取った終末支援企業のものになっている。それが幸せな死を約束するという、終末支援企業のサービス条件になっていますからね。その影響で、本来あるべき富の再分配という相続税が機能不全に陥っている。ユリアナは、そんなものも打ち壊したかったのかもしれないわね」
麗子が説明を加えても、ルミルが理解できないのは同じだった。
「税金が沢山! ママ、それじゃダメじゃない」
『ルミル、よく考えなさい。……オーヴァルは亡くなったら樹木に変わった身体を世の中に返す。ところが人間は、溜め込んだ財産を死んだ後まで抱え込もうとする。そのどちらが自然な状態かを。……お姉さんが資産管理会社を作らないということは、お姉さんが亡くなったら、あなたが数兆円の相続税を払うということ。でもそれは、お姉さんもしてきたことなの。もちろん私もね。ルミルにもそうした社会的責任を自覚してほしい』
向日葵がルミルに教えた。
「ウーン……」
ルミルは、混乱した頭を抱え込む。
「税の支払いと経営の維持の両立に耐えられないのなら、あなたにはSET社の株を売ってしまうという選択肢もある。それでもスラムに住む人々と比べたら、あなたには十分すぎる財産が残るでしょう」
杏里が諭すように話した。
「そうなのかな?」
『お金はオーヴァルと同じくらい恐ろしいものなのよ。強い意志がなければ、操っているつもりが、いつのまにか取り込まれてしまう』
「オーヴァルの出現で世の中も法も、徐々に変わってきた。オーヴァルの国家が国連に承認され、人類一辺倒だった基準が二つの視点から検討されるようになってきた。経済格差は依然として大きいけれど、人類と異種族との交流は益々活発になるでしょう」
麗子はミラとゼットに穏やかな目を向けた。
「日本の法律も早く変わればいいのに。そうしたらゼットも逃げ隠れする必要がないでしょ?」
ルミルは、面白くなさそうな顔でいるゼットに、同情以上のものを感じている自分に気づいた。
「ゼット、わかったでしょう。鈴木夫婦を仇と狙うのは筋違いなのです」
ミラの言葉に、ゼットが頭を上げた。
「ああ。鈴木社長もSETも敵ではなかった。オーヴァルもスピリトゥスに創られた可哀そうな奴らだし、スピリトゥス自身も仲間から追われた可哀そうな天才だ。それなら、……どうして俺の両親は死ななければならなかったんだ……」
「その理由はわからないけれど、その結果ならわかるわ。今こうして私たちが生きていて、人類と異種族が共存する社会がある。それはオクトマンや多くの人々の努力と命を積み上げてできたということよ」
「大手を振っているのはオーヴァルだけだ」
「ミラが話したでしょ。私たちの存在価値は仲介者としてあった。人類とオーヴァルが協調している今は、静かにしていた方がいいのよ」
ホワイトが物知り顔に言った。
「ホワイトの話は、教育端末の講義のようだな」
「これでも科学者の端くれだもの」
「向日葵さん、俺も宇宙で働けるかな?」
突然、ゼットが尋ねた。向日葵はNRデバイスを使って、発電衛星のメンテナンスの仕事をしているのだ。
『もちろん。ゼットさんがNRデバイスのパイロットの資格を取るつもりなら、SET社は歓迎するわよ。ねえ、社長?』
「もちろんよ」
杏里が微笑んだ。
「仕方がないわね。勉強の手助けなら、私がするわ」
ホワイトがぶっきらぼうに言った。
「私もなれる?」
ルミルはゼットと同じ場所にいたいと思った。
『お母様の言うことをきいて、しっかり勉強すればね』
向日葵とホワイトが笑った。
『それでこれからのことだけど……』
「そうね。警察に追われているのだったわね。向日葵から警視庁に連絡してもらえるかしら。私が責任を持って保護すると」
杏里が頼むと、『了解』と向日葵が応じた。
「チェッ」
舌を鳴らしたゼットの瞳が濡れている。
「ママ、一つだけ教えて。どうして、プロレス馬鹿のパパと結婚したの?」
問いかけられた杏里が、ゼットの横顔に目をやった。
「それは、誰かのために無茶をするルミルなら、もう分かっているはずよ」
「そうすることが得じゃないと分かっていても?」
「そうね。たとえ目の前にあるのが茨の道だと分かっていても、誰かを愛することや、誰かの役に立つということは、素敵なことでしょ。そういう人を好きになるのは理屈じゃない。そうでしょ?」
ルミルは、母親の言葉を素直に聞いた。そうしたのは久しぶりのことだった。
「外が騒がしくないか?」
大人が昔話に花を咲かせていると、ゼットが窓際に立った。
ルミルは耳を澄ました。何も聞こえない。彼と同じものを見るために隣に立つ。そうして味わう幸せな気分は一瞬のことだった。
外には沢山の警察車両が並んでいて、無言の武装警官たちが忙しく移動しているところだった。
「大変!」
「警察に包囲されているぞ」
振り返ったゼットの大きな瞳が怒りに燃えていた。
『私はちゃんと伝えたわよ』
向日葵のホログラムが揺れた。
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