第53話 神のサイクル

『あなたが生きていてくれて、本当によかった。姉から、ミラと息子さんが生きていたと聞いた時、どれほど嬉しかったか……』


 ホワイトの部屋、向日葵のホログラムが言った。


「訊いていい?」


  ルミルは手を挙げた。ミラと向日葵の話はとても興味深かったけれど、理解できないことがいくつもあった。


『あなたを見ていると、昔の自分を思い出すわ。で、なあに?』


「どうして日本にはオーヴァルやファントムが住んでいないの?」


『うーん……』向日葵のホログラムがゆがんだ。『……私には難しい問題ね。私、馬鹿だから……。まぁ、昔から日本という国は移民とか外国人とか、受け入れない国だったのよ。私が言えるのは、そのくらいかな』


「ふーん。で、オーヴァルは、どうして人を殺さなくなったの?」


『それは自分たちの国ができたからね』


「それだけ?」


『国を持つというのは簡単なことじゃないのよ。世界中どこの土地だって、持ち主がいるのだもの』


「オーヴァルが国を持ったということは、人間が土地を奪われたということよね?」


『そうね。でも、その大切な土地を、オーヴァルを殺すだけの目的で、核や化学物質で汚し、住めなくしたのは人間自身なのよ。住めない土地ができたから、そこにオーヴァルが国を建てる余地が生まれた。……その調整を国連とエルビスがやったのよ。エルビスに話をつけたのは、ルミルのママだけどね』


「へー、そんなことをしたんだ」


『大変だったのよ。ママは手足を失っていて、療養もしなければならなかったし。私はこの通り、馬鹿で役立たずだし……』


「えー、向日葵叔母さん、私が叔母さんに似ているって……」


『オバサン、オバサンって言わないで。へこむわ』


  向日葵が笑った。


「ゴメンナサーイ……」あれ、どうして私が謝ることになったんだろう?


『でも、結果的には、オーヴァルのお陰で地球は救われたのよ。化学物質で汚染された大地は浄化され、気象変動は抑えられたのだもの』


「エクスパージャーの存在は、どうして隠されてしまったのですか?」


 訊いたのはホワイトだった。加えてルミルも別の疑問を言った。


「それにオーヴァルだって、人間を食べたのでしょ? オーヴァルは薬を使わないって話なのよね?」


『えー、またまた難しい質問だねぇ』


 向日葵が全身をクネクネさせた。


「その質問には、私が答えましょう……」


 杏里が言った。


「……エクスパージャーが人間を殺した罪は問わない。オクトマンが開発した薬はSETが製造し恒久的に無償で提供する。人間社会で暮らすことも認める。その代わりにエクスパージャーは人間を殺さない。オーヴァルとの折衝を責任もって行う。それが、私とエルビスが交わした協定です。それからオーヴァルの人食の件だけど……」


 杏里が言いよどむ。すると、麗子が口を開いた。


「人間の葬儀をどんなふうにやっているか知っている?」


 彼女がルミルの顔を覗き込んだ。


「遺体を棺に入れて、葬儀場や教会でお祈りして……」


「出棺ですね」とホワイト。


「……それからお墓だ!」


 ルミルは、クイズの正解を得たように声を上げた。


「お墓に遺体は埋めませんよね」


 麗子が優しく教える。


「そうなの?」


「昔は遺体をそのまま土葬したり、火葬したりして納骨したものですが、今は、遺体はオーヴァルの国に送られるのです。そこで処理されます」


「エッ!」


 遺体はオーヴァルが食べるということか。……想像すると胃液が喉元まで上がった。


「ルミル同様、多くの国民は知らないのよ。知らないふりをしているという方が正しいかもしれない。役所から無事に埋葬されたと報告を受けて納得しているの。……遺体そのものは、夜になると大型の冷凍コンテナが葬儀場から港に運ばれるわ。地球環境を守るために」


 ルミルは、スラムに墜落した日、冷凍コンテナを積んだトラックを何も知らずに見たことを思い出した。


「人間だけが、遺体を差し出しているわけじゃないのよ。オーヴァルの森から樹木が切り出され、人間が利用していることをルミルも知っているでしょ」


「ええ、もちろん」


「人間の国から遺体を提供する代わりに、成長したオーヴァルの木材は、建材として人間社会に送られてくるの」


「循環しているのね」


 ホワイトが声にした。


「おそらく、ユリアナ・トトは、それを想定してオーヴァルを創造したのです。。……そのことを人類に理解させるために、オーヴァルによる殺戮が必要だったのでしょう。……おまけに、おそらく意図的に、異種族の遺伝子に弱点を作っておいた。人類に依存しなければ生きていけない体質を。……それは異種族が人間を殺す動機になると同時に、人類の絶滅を防ぐ保険だった。殺し過ぎれば、異種族は生きていけなくなりますからね。動物がむやみやたらに獲物を殺さないのと同じです。彼女こそ、正に天才。……生態ピラミッドを再構築した彼女の功績は大きいと認めなければならない。でも、数十億の人間を殺した扇動者でもある。人類とオーヴァルの平和協定成立のためには、いえ、人類を納得させるにはオーヴァルの創造者たる彼女の血が求められた。……今も彼女が牢獄にいると思うと、気持ちが塞ぎます」


『オーヴァルは、完全な死を手に入れるために人間を襲った、ということだったわよね?』


 向日葵が、杏里に確認した。


?」


 ルミルは小首をかしげた。


「オーヴァルとの交渉が進んでから彼らの生態が分かったのよ。彼らは人間の形で繁殖を繰り返す。それはクラゲが子供のポリプの状態で増殖するのと似ていた。そして最終形体になるには、人間を食べる必要があった。そして樹木になって静かな死を迎える。……それは自然死するということだけど、そうした死を迎えることが出来た者だけがオーヴァルの木の姿になることができるの。……人型の状態で死ぬと、彼らは溶けてこの世から消えてしまう。彼らにとってそれは、完全な死ではない」


 杏里が解説した。


『釈然としないのはGセブンのことね。アメリカの企業集団Gセブンは、スピリトゥスの研究開発に莫大な資金を提供していたはずなのに裁かれなかった……』


 向日葵が吐息を漏らした。


「法廷で、ユリアナはGセブンに言及しなかったの?」


 ルミルは訊いた。


『何故かしら?……裁判は公開されていたから、彼女がGセブンを告発するのは簡単だったはずなのに』


「あまり知られていないけど、リアルタイムと放送は、5分ほどのラグがあったそうです。そこで編集があったのかどうかわからないけど、検閲はされていたのでしょうね」


 麗子の言葉を支持するように、杏里がうなずいた。


「エルビスは、ユリアナ・トトとGセブンの関係を秘密にすると約束してGセブンを動かし、アメリカ政府の合意を取り付けたのだと思うわ……」


 杏里が話を続ける。


「……裁判の行方を全て予想していたのでしょう。彼女はとても落ち着いていた。全ての運命を受け入れるような眼差しをしていて、真実を語るよりも、人類のごうを背負って十字架にかけられようとしているように見えた。私は感動さえ覚えたわ」


「なんだか、可哀そう」


 ルミルの気持ちが揺れていた。


 杏里がミラの前に進み、彼女の手を握った。


「生きていてくれて良かった。てっきり……」そこで、グッと息をのんだ。「……ゼットがルミルと来た時には信じられなくて……。失礼なことをしてしまいました」


 彼女の瞳が濡れていた。


「こちらこそゼットがとんでもないことをしてしまって、申し訳ありません。息子は何も知らなくて、……私が教えていなかったものですから。……私も初めて知りました。夫、オクトマンの最後を見届けていただき、そのために手足を失われたと……。ありがとうございます。改めまして、私はレディー・ミラ、最初に日本に上陸したエクスパージャーのひとりです」


 杏里が静かに首を振った。


「いいえ、彼を守りきれず、こちらこそ申し訳ありません。……今日までずっとスラムで暮らしていたのですか?」


「ハイ、お陰様で、誰かに成りすますのは得意なものですから」


 ミラのユーモアに、ルミルは感動してしまった。


「エクスパージャーは、定期的に人の肝臓を摂取しないと急速に老化が進んで死にいたるはずですが、あなたと、あなたの息子さんは、どうやって生きてきたのですか?」


 麗子の科学者としての性が、いきなり不躾な疑問を投げた。


「まさか、……人間を食べているの?」


 ルミルは口元を両手で覆った。


「鈴木社長は、そのことを案じて警察に通報したのですよ」


 麗子の視線は、母親の気持ちを考えろ、とルミルに言っていた。


「私たちがこうして生きているのは、ゼットが薬を探してくるからです。オクトマンが開発した薬を」


「ゼットが調圧水槽で掘っていたのは、それなのね」


 ゼットの秘密をひとつ知り、ルミルは彼に近づいたような気分だった。ゼットはといえば、相変わらず怒ったように表情を強張らせている。


 まだ、ママや向日葵叔母さんを、敵だと考えているのかしら?……ルミルは首を傾げた。


「そうでしたか。まだ、それが残っているのですね。聞けて安心しました。挨拶が遅れました。私は湯川麗子、ホワイトの母です」


 麗子がレディー・ミラに握手を求める。


「……新たに薬を作ろうとは考えなかったのですか?」


「スラム街には薬を作る機械もノウハウもありません。日本では流通すらしていない。でも、お宅にはあるのではありませんか?」


 ミラがホワイトに視線を向けた。


「ホワイト先生もエクスなんとかだったのね。やっぱり人の肉を食べるの?」


「私はママから薬をもらって飲んでいるのよ」


「私がホワイトを育てているのを知った鈴木社長が、定期的に薬を送ってくださるのです」


「ああ、それで、ママはホワイト先生を家庭教師に頼んでいるのね」


 ルミルは納得した。


 麗子が暖かな視線をルミルに送る。それとは対照的に、レディー・ミラはねっとりと絡みつくような視線でホワイトを見つめていた。


「もしかしたら……」ホワイトが遠慮がちに口を利く。「……レディー・ミラ、あなたが私を生んだママですか?」


 ミラの黒い瞳から涙があふれた。麗子が目を瞬かせて、腰が抜けたように座り込んだ。


「ゼットと私は姉弟……」


 ホワイトがゼットに目を向ける。彼は動揺していた。

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