第52話 オーヴァルの森
小夜子がSETの情報網を駆使してトアルヒト共和国のエルビス・スミスを捜し出した。杏里が彼と接触し、国連を巻き込んでファントムとの平和交渉を始めたのは、意識を取り戻してから3カ月後のことだった。
杏里とエルビスの共存協定が極秘裏に結ばれた2か月後、トアルヒト共和国でクーデターが発生、エルビスが仮面の貴公子カマエル・トトを拘束した。
エルビスは新政権を樹立。オーヴァルを利用した国際テロの容疑で、カマエルの身柄を国際司法裁判所に送った。その行動を評価し、国連加盟国はエルビス政権を支持した。その時を境にファントムによる殺人事件は影をひそめた。
カマエルを裁く法廷が開かれた。500ほどある
法廷の中央に立った全面マスクのカマエルは、そこでも貴公子然としていた。高級ブランドのスーツはよれて皺ができていたものの、シャツは白く眩い。ネクタイはしておらず、胸元では十字架のダイヤモンドが輝いていた。
法廷は深い洞窟内のようにシンと静まり、重い緊張感で満ちている。
――コホン――
裁判長の咳払いが始まりの音だった。
「被告人カマエル・トト、仮面を外しなさい」
その声に反応したのは、カマエルではなく傍聴人だった。彼らは示し合わせたように瞳を光らせ、唾をのんだ。
フーっと息を吐いた後、カマエルが口を開いた。
「拒否する」
声はマスクのためか、くぐもって聞き取りにくい。
「幼いころの火傷の跡が残っていると聞いていますが、それが恥ずかしいのですか? 当法廷としては被告の人権も尊重したいが、いかんせん、事件が事件。被告人が間違いなく裁かれるべき本人であることを確認しなければならないし、マスク越しの声で聞き違いが生じる可能性もあります。是非に、マスクは外してほしい。拒むのであれば、私の職権を発動することになります」
裁判長が警告した。
「拒否する」
カマエルは繰り返し、裁判長が職権を発動、係官がカマエルの左右に立ってマスクに手をかけた。
カマエルは抵抗するのではないか?……傍聴人の注目が係官の手元に集まる。
カマエルは姿勢を正したまま、ピクリとも動かなかった。そうしてはずされたマスクの下から素顔が現れる。
「オォー」
「
傍聴人の驚きの声と感嘆の吐息を、裁判長が制した。
白い仮面の下から現れたのは、火傷の跡が残る紳士の顔ではなかった。磨かれた
「あなたは何者です?」
裁判長が眉をひそめた。
「私はブエルド・トトの息子、カマエル・トト」
「カマエル・トトには大火傷の跡があるはずです。それにあなたは、どう見ても女性です。説明願えますか?」
傍聴人の中からざわざわと私語が飛んだ。その中に「ユリアナでは」という声があった。
被告人がユリアナの名が出た辺りに視線を向け、それから裁判長に向き直った。
「私はカマエル・トトであり、ユリアナ・トトであり、スピリトゥスである」
再び傍聴席がざわついた。
「静粛に……」裁判長はガベルという木槌でトントンと音を鳴らし、再び被告人に問うた。
「幼いころに火傷を負ったのは、あなたですか?」
「いいえ」
「火傷を負ったカマエル・トトはどうなりました?」
「ほどなく、亡くなりました」
「あなたは、カマエル・トトを演じていたのですね?」
「いいえ。私のここは……」被告人は自分の心臓の位置に手を当てた。「……ここは、カマエルです」
「ふむ……、オーヴァルを創り出したのは、あなたで間違いないのですね?」
「はい」
「オーヴァルを創り出したあなたは、何者ですか?」
「オーヴァルを創造したのはスピリトゥスであるユリアナ・トトです」
「スピリトゥスとユリアナ・トトは、どう異なるのです?」
「スピリトゥスは神であり、ユリアナ・トトは人である」
「狂人だ……」傍聴人がつぶやく。
「静粛に……」
裁判長は制した。被告人が狂人とあっては裁くことができない。裁判が始まる前から、そうあってはならない。
裁判長は、被告人を人間であるユリアナ・トトと認定し、遺伝子操作によってオーヴァルという異種族を生み出したこと、それを世界に放ったこと、世界に放たれたオーヴァルが人間を殺すと認識していたこと等、犯罪事実と認定して裁判を始めた。
「罪は法によって裁かれなければならない。けれども今、事件は進行中です。世界各地でオーヴァルは街を襲い、市民を殺している。まず、オーヴァルを止めて市民を救うことが、この法廷の最大の課題です……」
裁判長は、オーヴァルとは何者で、どのようにしたら排除できるのか、それをユリアナに尋ねた。その返答次第で量刑も変わるだろう。そう司法取引と思しきことにまで踏み込んだ。それほどオーヴァルによる殺戮は切実な問題だった。
「これは摂理なのだ」
仮面を奪われたユリアナは、世界に向かって声をあげた
「人類は適者生存の名目のもとに大地を侵食し、生きとし生ける動物を、植物を、生命を
――トン! トン!――
裁判長がガベルを打った。
「この裁判は、オーヴァルによるテロ行為を裁く場である。エクスパージャーの件は、別途、切り離して論じられる。議事録からエクスパージャーの文字を削除するように……」
裁判長は宣言し、書記官に命じた。
傍聴席がざわつく。
「オーヴァルを発展途上国に送り込んだのは何故ですか? ユリアナ・トト、あなたにも弱者を差別する心があるのではないですか?」
裁判官が、検事が、口々に責めたてる。弁護士は眼を閉じて狸寝入りを決め込んでいた。
「私の選択は間違っていたのかもしれない……」
ユリアナはうつむいた。が、すぐに頭をあげ、自分を非難する人々をぐるりと見回した。
「……私は最短の道を選択した。人類のために……、世界を正すために……。オーヴァルは不安定な国々を国家ごと滅ぼし、世界から不安定要素を排除する。オーヴァルによる人類絶滅の恐怖は、人類に反省と意思の統一をもたらし、新たな世界が始まる。エクスパージャーは安定した国々の反体制的な富裕層を殺し、国家の安定と格差是正を……」
――トン! トン!――
裁判長が、強くガベルを打った。
「この裁判は、オーヴァルによるテロ行為を裁く場である。エクスパージャーの件を論じるものではない。議事録からエクスパージャーの文字を削除するように……」
彼は、同じことを繰り返した。
ユリアナはフッと吐息を漏らし、寂しそうな笑みを浮かべた。見た者がゾクゾクとする儚げな美しさがあった。
「……地球から人間の数が減り、経済的な格差が縮小すれば人類は幸福に近づく。そして地球は救われる。……聖獣戦隊とオクトマンによって計画は狂ったが、おおむね満足すべき結果に向かっている」
ユリアナがフッと吐息をもらした。
「あなたは間違っている。側近に裏切られたのが、その証拠だ。……世界を救うのは、我々人類なのだ。それでオーヴァルの件だが……」
国際法廷は、発展途上国で暴れ続けるオーヴァルの活動を止めるよう、彼女に要求した。
「私には不可能だ。オーヴァルの活動を止めることが出来るのは、人類とエクスパージャー、あるいは時間のみ……」
ユリアナが断言した。
――トントン……、裁判長がガベルを打つ。
「この法廷は、オーヴァルによるテロ行為を裁く場である……」
彼は宣言し、改めて、人類と時間がオーヴァルを止めることが可能なのか、と尋ねた。
「オーヴァルは地球の浄化を行う者。エクスパージャーを通じて、人類がその場所と材料、時間を提供すれば彼らの行動は沈静化する」
――トントン――
「この法廷は……」
裁判長は、どこまでもエクスパージャーの文言を排除した。
「人類はオーヴァルの前に身を
――トントン……、裁判長がガベルを打つ。ユリアナは止まらない。
「……言葉に耳を傾けるだろう。私は、私が生んだオーヴァル、エクスパージャー、そして愛する人類と神のために命を捧げよう」
胸のクロスを握りしめたユリアナの目は血走り、口調は神がかっていた。それから彼女は、貝のように口を閉ざした。
「宗教のような話では、世界の首脳陣たちは納得しないぞ」
検事のひとりが声を上げた。狸寝入りを決め込んでいた弁護士が
その場に杏里がいたら裁判の行方も違ったのかもしれない。しかし、神も歴史もそうはしなかった。結果、裁判所は、死者1人当たり1年の禁固刑の判決を出した。その累積年数は、世界からオーヴァルが消え失せるまで加算されるという。
そのころ、オーヴァルによる犠牲者は25億人といわれていた。すなわちユリアナには25億年プラスアルファの禁固刑が確定した。
判決を聞いたユリアナは、穏やかな笑みを浮かべたという。
§ § §
ユリアナが拘束されてから1年……。国連はナパーム弾や戦術核兵器といった特殊兵器によるオーヴァルの殲滅作戦を継続していた。結果、地球上の大陸の25%が化学物質や放射性物質に汚染され、人間どころか野生動物さえ立ち入らない死の大地が生まれた。それだけ犠牲を払ってもオーヴァルは増え続け、人類とオーヴァルの戦いに終わりは見えなかった。
ファントムはSETと連携し、各国政府とオーヴァルの間を行き来して和平の道を模索していた。
オーヴァルの要求はただ一つ。自分たちの国を作るための土地を明け渡せ、というものだった。その要求に、いかなる政府も応じなかった。
――その大地は、間もなく
オーヴァルが占拠した都市を爆撃した帰りの国連軍機が、死の大地と呼ばれる赤々とした汚染地域の上空7000メートルを飛んで帰還しようとしていた。
「あれは何だ?」
パイロットが指す。赤い大地の一部が青黒く変色していた。
「ここには何もないはずだぞ」
爆撃手が身を乗り出して地平線に眼をやる。確かに、白い雲の下に青黒い景色が広がっていた。
「森だ!」
「まさか……。ここは死の大地だぞ」
3人の搭乗員は自分の眼を疑った。
「降下してみろ」
パイロットが操縦桿を静かに押し込んで左に旋回しながら機首を下げた。
高度を下げると、樹木の1本1本が視認できた。
「間違いない。死の大地が生き返った!」
搭乗員たちの眼下に、青々と葉を茂らせた木々が並んでいる。
パイロットは喜び、尚も高度を下げて復活した森の景色を楽しんだ。
「しかし、どうして……」
常識的な知識を持ち合わせた搭乗員は疑った。何故、死の大地に草原ではなく、森が生まれたのか。
森を横切り、その端が見えた時のことだ。
「オーヴァルがいるぞ!」
パイロットが叫んだ。
機内に緊張が走る。オーヴァルがどこかの基地から対空ミサイルを奪っていれば、それを撃ってくる可能性がある。
帰還途中のために弾薬庫は空だったが、情報収集はしなければならない。爆撃手がカメラを向けた。
「攻撃してくる気配はないな……」
オーヴァルが武器を持たないと判断し、更に高度を下げて観察する。
「……様子が変だぞ」
搭乗員たちは、森の周辺にたたずむオーヴァルの姿に目を凝らした。
「全く動かないな」
「森に近いやつを見てください。身体に葉っぱが……」
オーヴァルの顔は樹木のように灰色に変わり、髪は細い枝のように天に向かって伸びていた。そこにはいくつもの葉が風に揺れている。その足は死の大地に食い込んでいた。
「木、……だな」
「はい」
「あいつら、樹木になるのか……」
「見てください。遠方からオーヴァルが集まってきます」
どこからやって来るのか、地平線の先から無数のオーヴァルが列をなして森へ集まってくる。
「これで地球は救われるのか……」
国連軍機は、オーヴァルの森の上空を旋回し続けた。
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