第48話 オクトマンを求めて

 猫の姿の朱雀と青龍は、インフェルヌスの研究所の出入り口で白虎を待っていた。


 杏里から指示を受けた白虎と玄武がやって来る。浜村の正式要請があったので、彼女たちが出入り口で止められることはなかった。警察官が玄武の豊満な胸に鼻の下を伸ばしている隙に、朱雀と青龍は外に出て、元の姿になって戻った。


『朱雀と青龍は2階を確認して来て。私と玄武は地下工場に先行します』


 白虎が仕切り、さっさと事務室へ向かう。まるで本物の姉のようだ、と向日葵は思った。


『向日葵は杏里に頭が上がらないのだな』


 千紘が笑う。


『仕方ないでしょ』


 杏里が上で向日葵が下であることは生まれた時に決定づけられている。そうして育った魂には逆らえないのだ。


 朱雀はファントムの気配のある寝室に入った。そこのウオークインクローゼットの中に、わずかだが生き物の気配があった。


「そこにいるのはオクトマンなの? 私は鈴木杏里の代理のものです。開けますよ」


 小声で告げ、ドアを開けた。中は寝室の半分ほどの広さがあり、大量の衣類の他にスーツケースや段ボール箱が並んでいて、箱の陰に、奥に続く小さな隠しドアがあった。奥の部屋に子供を抱いたレディー・ミラがいた。


 朱雀を見ると子供は牙をむいたが、ミラは朱雀に向かって拝むように手を合わせた。


「安心してください。私たちはあなたたちを助けたい。ただ、警察はそうではないの。……オクトマン、ではないのですね?」


「レディー・ミラといいます」


 話の通じる相手らしい。……朱雀はホッとした。


「もうしばらく隠れていてください。あとで迎えに来ます。大丈夫ですね?」


「はい。オクトマンが、鈴木杏里さんは信用できると言っていました」


「そう、良かった」


 こんな事態でも、ミラは杏里を信じると言った。その信頼の根拠はどこにあるのだろう?……朱雀は、株主総会での姉とオクトマンのやり取りを思い出しながら、寝室を後にした。


『あのちっこいの、廃工場にいたやつだよな』


 青龍が言う。あの時、別の母親とベビー・ファントムが溶けたのを思い出した。あんな子供まで殺したと思うと自分が嫌になる。


『その話は止めて』


 朱雀は足を速めて地下に下りた。工場は稼働していて、数人の社員が機械の調整をしていた。


「どうもー、お邪魔しまーす」


 朱雀は普段以上に愛嬌を振りまく。そうやって嫌な記憶をぬぐった。


『ここにはいなかったわ』と白虎。


『外に続いていたのがオクトマンの足跡であることには間違いないようです』


 警視庁のデータを覗き見た玄武の声に従って、廃駅に移動した。


『東京の地下は、まさにラビリンスだ。朽ち果てた廃駅にリニア、調圧水槽、製薬工場に商店街。何でもアリだ。亡霊やモンスターが生まれても不思議じゃないよ』


 青龍の感想を無視して、白虎は地面の足跡を追った。車両の走らない線路は、すぐに本線に合流している。そこで足を止めた。


『おかしいわね。警官たちが向かったのと逆方向に、沢山の足跡が向かっている』


 光の届かないトンネルの先をセンサーで探る。


『裸足のものもありますね。オーヴァルのものではないでしょうか?』


『見えないファントムを追うか、危険なオーヴァルを追うか、どうする?』と青龍。


『二手に分かれよう』


『却下。別れてオーヴァルと遭遇したら、即全滅だ』


 青龍が朱雀の提案に反対した。


『まず、オクトマンを保護しましょう。彼には、世界中のファントムとの仲介役になってもらわなければならないから』


『決まったわ。前進ね』


 玄武が言い終わるより早く、白虎は線路に沿って走り出した。


『白虎、走ったらオクトマンの息遣いがわからないわよ』


『私たちに気づいたら、オクトマンの方から姿を現してくれるわ』


 白虎はオクトマンを信じていた。


§   §   §


 ――SET社、社長室


「オクトマンという方から電話です」


 取り次いだ秘書、姫川ひめかわの声に杏里は驚いた。


「もしもし……」


 悪戯電話を疑いながら受話器を取った。


『何をしている』


 それは紛れもないオクトマンの抗議の声だった。


「何を、って。……警察が研究所を襲撃したと聞いて、あなたを探していたのよ。地下鉄トンネルには聖獣戦隊がいます。彼女らに保護を求めてください。今、どこにいるのですか?」


『私のことはいい。オーヴァルが大東西製薬ビル内で虐殺を繰り広げているぞ。同朋を守るつもりはないのか?』


「まさか……」


 ウエアラブル端末のニュースを検索する。そこに、オクトマンが言うようなものはなかった。


『私のことは心配するな。いずれ、そこに顔を出す』


 オクトマンの電話はそれで切れた。


 杏里は浜村に連絡を入れた。彼も大東西製薬ビルが襲われているとは知らなかった。


『聖獣戦隊からの連絡なのか?』


「彼女たちは地下鉄トンネル内です。連絡は、オクトマンからです」


『オクトマン! ファントムか?』


「はい、私のところに電話が……」


だまされているのではないのか?』


 彼の声に猜疑さいぎの色が宿る。騙すから、騙されているのかもしれないと感じるのだ。


「私を騙すメリットがありません。とにかく、近くにいる自衛隊を派遣してください。くれぐれも縄張り争いで出動が遅れることがないようにお願いします」


 念のために釘を刺す。


『年寄りをいじめないでくれ』


「策略をもてあそぶ老人に同情はしません」


 ピシャリと言って電話を切ると地下駐車場に降りた。


 コンテナトラックに足を運ぶ。リンクボールに入って白虎の得た情報を確認したかったが、それに出入りする時間が惜しく、助手席に乗り込んだ。


「大東西製薬ビルでオーヴァルが暴れている。みんなを大至急、ビルに向かわせて」


 アキナに頼み、今、自分がなすべきことに向かう。オクトマンを交えた会談に河上総理を引きずり出すことだ。平和交渉が遅れるのに比例して、世界中で流れる血が増えるのは明らかだ。


「降りてくるのが大変だから、次からは電話するわね」


 アキナに自分のウエアラブル端末を渡してトラックを降りた。


「シンゴさん。ずっと待たせて、ごめんなさいね」


 外で待つシンゴさんに詫びた。


「いいえ。ワシなら大丈夫ですじゃ」


 その穏やかな声に、生き返る思いだ。


「また来るわね」


 そう声をかけて社長室に向かう。


§   §   §


『なんだって!』


 地下鉄のトンネル内を移動していた聖獣戦隊が声を上げた。


『ビルへ急ぎましょう』


 慌ててトンネルを引き返す。


『オーヴァルが大東西製薬ビルに侵入したことをオクトマンは知っていた。彼もその近辺にいるはずよ』


 白虎が言った。


『ドローンで、状況を確認しておきましょう』


 玄武が遠隔操作でドローンを移動させる。それが5階、10階と上昇しながらビル内を撮影した。


 カメラがとらえた窓の多くは、ブラインドが下りていた。開いている窓にはオーヴァルの影も形もなかった。人影もない。


『本当にオーヴァルがいるのか?』


 青龍が杏里の、いや、オクトマンの情報を疑った。


 ドローンが屋上に達した時、3体のオーヴァルの姿がカメラに映った。1体は重機関銃を担いでいる。それを屋上に設置しているところだった。


『何をするつもりだ?』


 青龍が言うのと、ドローンに気づいたオーヴァルが銃口をドローンに向けるのが同時だった。


 ――ドドドドド……、重機関銃が火を噴く。


 玄武はドローンを急旋回させて攻撃をかわした。映像が揺れる。


『ウワ、目が回る』


 朱雀が声を上げた。足元と映像を同時に見ながら走るのは難しい。


『上空からの攻撃に備えているのよ。馬鹿ではないみたいね』


 玄武が言って走り出す。


『屋上にオーヴァルがいたということは、……中はどうなっているのよ?』


 ドローンが反対側に回り込んで降下していく。その時とどく映像にも人影はない。


『みんな、やられちゃったの?』


 朱雀が声をあげた。


『あ、人です』


 映像に、逃げ惑う人影があった。


『14階あたりね』


 人間の背後に、オーヴァルの姿が映る。


 分岐点を曲がり、廃駅を通り抜け、階段を駆け上がる。工場の扉を開けたところで青龍の足が止まった。


『さっきまでは、こんなもの、なかったのに……』


 目の前の光景に息をのんだ。床がオーヴァルの卵で埋め尽くされ、警察官の引きちぎられた遺体が散乱している。


『アキナ、地下製薬工場にオーヴァルの卵がある。杏里に連絡して自衛隊に焼いてもらって』


 白虎は伝え、ビル側の出入り口に向かった。


『大変な繁殖力ね』


 卵を振り返りながら、玄武がつぶやいた。


 地下のホールでエレベーターのボタンを押す。それはすぐに降りてきた。


『ウッ……』


 朱雀が息をのんだ。エレベーター内に折り重なる遺体があった。


『オーヴァルの動きは、予想以上に速いわ』


『生きている人を探しましょう』


 先頭を切って玄武が階段に向かう。


『絶対許さない』


 階段を駆け上りながら朱雀は声を上げた。そこには、至る所に遺体が転がっていた。頭部が割れた者、内臓がえぐられた者、マリオネットのように四肢が不自然な形に折り曲げられた者……。5体満足な遺体はない。


 4人に死が侵食する。彼女らは遺体に慣れていった。

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